吉備真備(6)

 鉄と鉄がぶつかる甲高い音が鳴り響いた。

 吉備真備が地より出現させたつるぎは、どうやら本物のようだ。


 王貴人の持つ繍鸞刀しゅうらんとうの切れ味は凄まじく、刃が触れていないにもかかわらず、真備の着ている水干の袖を切り裂いていた。


「思い出したぞ」

 真備がぼそりと呟くようにいった。


「ワン・グェイレン……王貴人おうきじんじゃな。そういえば、そんな名の物怪もののけがおったな。確か、女媧じょか眷属けんぞく玉石琵琶精ぎょくせきびわせい……琵琶びわの物怪じゃったな」

「黙れ、盗人が!」


 王貴人は繍鸞刀を振り回す。

 ギリギリのところで真備はその刃を避けているが、どこか余裕を感じさせるところがあった。

 その証拠に王貴人の繍鸞刀を避けながら、奇妙な足の動きをしていた。禹歩うほ。そう呼ばれる陰陽道の歩き方だった。禹歩は元々、道教に伝わっていた足さばきであるとされていることから、金烏玉兎集で真備が学んだ歩法の可能性が高かった。禹歩は北斗七星の形を歩法で行うことによって完成する陰陽の術でもあった。

 王貴人は繍鸞刀で真備を斬ろうとすることに集中しているため、真備の動きが禹歩となっていることには気づいている様子はない。


 そして、最後の一歩を真備が踏み出そうとした時、王貴人が一瞬笑ったかのように見えた。

 真備の身体が揺れ動いた。

 その刹那、繍鸞刀の刃が繰り出され、真備の胸元を真一文字に切り裂く。

 足を宙で止め、真備はその刃をギリギリのところで裂けていた。あと一歩踏み込んでいたら、真備の首と胴体ははなばなれとなっていただろう。


「お前の術に気づいておらぬとでも思ったか、盗人よ」

 王貴人はそういい、繍鸞刀の刃にうっすらとついた真備の血を振るようにして払った。

 胸元を斬られた真備の水干は真っ直ぐ横に切り裂かれており、そこから小ぶりな乳房が露わになっていた。その乳房の上には赤く筋のような切り裂かれた痕が残されている。どうやら斬られたのは、皮一枚だけのようだ。


「これだから、三下の物怪は」

 真備は吐き捨てるようにいうと、持っていた剣を王貴人の足元へと突き刺した。


「道教の教えはこの国に来て陰陽五行と交じり合い、陰陽道が生まれた。が行っていたのは、道教のような古臭い禹歩では無いわ」


 そう真備は告げると、指で印を組んだ。真備が何やらしゅを唱えると、王貴人の足元に突き刺された剣が光を放ちはじめた。


「アイヤ!」


 王貴人は動けなかった。真備は剣で王貴人の影を突き刺しており、影縛りという術法の印を組んだのである。


破軍星はぐんせい。そちらの国の言葉では剣先星けんさきぼしと言ったかな。北斗七星はその気の流れによって術者の力を増幅させるのじゃ。我の行ったのは、王貴人、お主の力を奪うための禹歩。どうじゃ、道教には無いものじゃろ」


 笑いながら真備は言うと、さらに印を結んだ指を組み替えていく。


「戻ったら女媧に伝えよ。金烏玉兎集きんうぎょくとしゅうを返して欲しくば、自ら我の前に現れよ、とな」


 そう真備が言い終わるや否や辺りを光が包み込んだ。

 その光の眩しさに篁は目を開けては居られず、袖で顔を隠した。

 次第に光の強さは弱まっていき、視界も戻ってくる。


「終わったのか、真備」

「ああ。終わった」

 真備はそう言うと、王貴人がそれまで立っていた場所に落ちていた一面の琵琶を拾い上げた。


「それはなんだ?」

「王貴人よ。あやつの正体は琵琶の精。だから、琵琶に戻してやったのじゃ」

「なんと……」

 真備はその琵琶を持っていた布製の包みの中に丁寧に入れて、しっかりと抱きかかえた。


「さて、この落とし前をつけに行くか」

「落とし前?」

「ああ。閻魔のところへ行くぞ、篁」

 真備はそう言うと、牛鬼が最初に出てきた古井戸の中へと飛び込んだ。


「おい、その古井戸は大丈夫なのか、真備」

 そう篁は声を掛けたがすでに真備の姿は古井戸の中へと消えてしまっており、篁も慌てて真備の後を追うことにした。


 この古井戸は、六道辻にある古井戸と同様に冥府へ通じていた。

 ただ、設置されている場所が違うということもあってか、篁たちが辿りついた場所は冥府の門の前ではなく、いつもとは違う場所だった。


「ここはどこなんだ、真備」

「冥府の外れといったところかな。まあ、すぐに目的の場所には着く」

 真備はそう言うと、歩きはじめた。


 しばらく歩いていると、前から見覚えのある羅刹が現れた。

 馬の顔に身体は鬼。虎柄の腰巻を身に着けた大男。そう、馬頭めずである。

 馬頭は篁たちに気づき、声を掛けて来た。


「お前ら、このようなところで何をしているんだ」

「良いところであったな、馬頭。閻魔はどこにおる」

「大王か。大王なら、いつも通り裁判所で仕事に励んでおるわ……というか、お前は誰だ?」

 馬頭は馴れ馴れしく話しかけてきた若い女を警戒しながら、強い口調でいう。


「なんじゃ、わからぬのか。だ、吉備真備じゃ」

 そう真備がいうと、馬頭は驚いた顔をして飛び退いた。


「あなやっ!」

「そこまで驚くことは無かろう。我は転生を繰り返しておるのじゃ」

「これはとんだご無礼を」

 馬頭は真備に非礼を詫びて頭を下げる。


 二人の関係がどのようなものであるかはわからないが、どうやら真備は馬頭よりも格は上のようだ。閻魔が以前、真備が自分と同じような仕事をやっていたと言っていたことを篁は思い出し、真備と馬頭も古い知り合いなのだろうと勝手に理解した。


「まさか、真備様がこのような女子になっているとは思いませんでした」

「そうであろう。我もこのようになるとは予想外であった」

 真備はそう言って、王貴人に切り裂かれた水干の隙間から見えている胸元を馬頭に見せる。


「なんと……。牛頭ごずが知ったら、驚きますぞ」

「あいつには言うな。我が会って驚かせたいからな」

「わかりました」


 そんなふたりの会話を聞いていると、冥府の役人というのも意外と現世の人間に近いのかもしれないと篁は思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る