承和の変(8)

 檀林だんりん皇后(嵯峨上皇の妻。たちばなの嘉智子かちこ)のもとに密書が届けられたのは、深夜のことであった。

 密書は阿保親王からのものであり、内容はたちばなの逸勢はやなりともの健岑たけみねが東宮・恒貞つねさだ親王を東国へ移すことを画策しているというものであった。


 阿保親王としては、橘逸勢と従姉妹である檀林皇后から思いとどまるように説得してほしいと思っての密書だった。

 しかし、その密書があまりに衝撃的な内容であり、自分ひとりでは対処しきれないと考えた檀林皇后は、嵯峨上皇の側近であった中納言・藤原良房へと相談することにした。


 良房は、その相談を受けるとすぐに動いた。

 東宮様を東国へ連れ出すということは、朝廷に対する反逆と捉えてよかった。謀反を未然に防がなければならない。そう考えた良房は、すぐさま帝に面会を求め、右近衛大将の職から橘逸勢の従兄弟であるたちばなの氏公うじきみ(檀林皇后の兄)を外し、自らを右近衛大将にするように進言をした。

 その申し出を帝は承認し、良房を中納言と兼任で右近衛大将に任命すると、朝廷の軍の実権を与えたのだった。



 そして、その二日後――――

 嵯峨上皇が崩御された。



 その日、橘逸勢は蛟松殿はいまつどので、静かに茶を飲んでいた。

 茶は唐に留学していた時に覚えたものであり、帰国した後も唐国と貿易をしている商人を通じて茶を手に入れていた。

 空海が生きていた頃は、空海が手に入れた茶を分けてもらったりもしていたが、その空海も今はこの世にはいない。


「そろそろかな」

 一杯の茶を飲み終えた逸勢は立ち上がると、出掛ける支度をはじめた。

 しばらくの間、屋敷を離れることになる。そう家人たちには伝えていた。

 向かう先は東国あづまのくにである。


 この頃の東国というのは、現在の関東地方を指す。ツマというのは、当時の言葉ではしを指すものであり、東の端であるからあづまと呼ばれたとされている。このあづまの対義語はサツマであり、のちに薩摩と呼ばれるようになったとされている。


 計画は、まず逸勢と健岑が東宮の御座所ござしょ(屋敷のこと)へ向かい、密かに東宮様を連れ出して東国へと出発する。その後で、東宮職や春宮坊の役人たちも東国へと向かい、東宮様に御即位していただき、新たなる朝廷を起こすというものであった。


 逸勢が従者をひとりだけ連れて屋敷を出ようとしたところ、屋敷の前に大勢の人がいることに気づいた。


「しまった……」

 そう呟いたが、すでに時遅しであった。

 屋敷の前にいたのは武装した兵たちであり、その兵の姿を見た逸勢はすべてが終わったことを悟った。


「橘逸勢殿であるな。我々は帝の命を受けてやってきた。大人しく投降していただきたい」

 そう告げられた逸勢は、大声で笑って見せた。


「この老人相手に、これだけ大勢の武装した兵を差し向けられたか。これは愉快、愉快」

 口ではそう告げていたが、本音は違っていた。

 どこからか情報が漏れたのだ。健岑の奴がしくじったか。それとも、阿保親王から漏れたのか。どちらにせよ、帝に事が露呈したということは確かだ。こうなってしまったら、仕方がない。

 逸勢は従者に腰の剣を渡し、丸腰になってから屋敷を取り囲む兵たちのもとへと投降した。



 藤原良房の差配は見事なものだった。

 嵯峨上皇が崩御されるとすぐに、橘逸勢と伴健岑の両名が国家転覆の謀反を企んでいるとして、両名の屋敷に兵を送り込んだ。


 東宮・恒貞親王に関しては、内裏の警備を強化するという名目で実弟である左近衛少将の藤原ふじわらの良相よしみに命じて近衛兵を送り込み、東宮の御座所を包囲させ、出仕していた恒貞派の人間たちを投降させた。


 また東宮・恒貞親王についても身柄を確保しており、謀反を企んでいたとされる恒貞派の人間が誰ひとり行動させることなく、謀反の鎮圧をすることに成功したのであった。



 帝は、今回のくわだての首謀者として橘逸勢と伴健岑を謀反人として断じ、恒貞親王は謀反とは無関係としながらも、責任を取る必要があるとして東宮の座から降ろした。

 また、謀反の関係者として大納言・藤原ふじわらの愛発ちかなりは京外追放、中納言・藤原ふじわらの吉野よしの大宰員外帥だざいのごんのそち(大宰府の長官)、春宮大夫・文室ふんやの秋津あきつは出雲員外守にそれぞれ左遷、その他に春澄善縄など恒貞親王に仕えていた東宮職・春宮坊の役人が多数処分を受けた。


 そして、首謀者である伴健岑は隠岐へ、橘逸勢は伊豆へ遠流おんるとなったのだった。


 この謀反未遂事件は後に『承和の変』と呼ばれることとなり、謀反に関わった四〇名近い朝廷の官職たちが流刑や追放、左遷されることとなった。


 帝は新たな東宮として自分の息子である道康親王を立て、謀反を未然に防いだ功労者である藤原良房を大納言へと昇進させた。

 こうして、藤原良房は妹の子である道康親王を東宮にすることに成功し、その叔父として朝廷内での力を増していくのであった。

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