承和の変(7)

 平安京の大内裏には、十二門と呼ばれる外郭の門が存在している。

 東側には、陽明門ようめいもん待賢門たいけんもん郁芳門いくほうもんの三門。

 南側には美福門びふくもん朱雀門すざくもん皇嘉門こうかもんの三門。

 西側には、談天門だんてんもん藻壁門そうへきもん殷富門いんぷもんの三門。

 そして、北側には、安嘉門あんかもん偉鑒門いかんもん達智門たっちもんの三門が存在する。

 その十二門には門額が掲げられており、各門の名前が書かれていた。


 三筆さんぴつ。その名は後世(江戸時代中期頃)になってからつけられたものではあるが、日本の書道史上で最も優れた三名の能書家に送られた名前であった。

 その三筆の祖とも呼ばれる三人が平安時代初期にいた。

 ひとりは、真言宗の開祖である空海(後の弘法大師)。もうひとりは、平安時代初期に絶対的な力を手に入れて平和な時代を築き上げたと言われている嵯峨天皇。そして、最後のひとりは書の天才と言われた橘逸勢であった。


 嵯峨天皇の頃、十二門の門号(門の名前)を唐風に改めるとした際、嵯峨天皇は自分を含めた三人の能書家で門額を書くとした。

 嵯峨天皇は自ら東と西の六門を担当し、空海が南側の三門とその内側にある應天門おうてんもん、橘逸勢が北側の三門を担当し、それぞれの門額に門の名前を書いたとされている。


 ちなみに、この門額を書く際に空海が應天門の「應」の字に点を書き忘れてしまい、筆を投げて「應」の字を完成させたという逸話から『弘法も筆の誤り』ということわざが生まれたとされている。


 そんな三筆のひとりである、橘逸勢は大内裏にほど近い左京三条通に面した場所にある蛟松殿はいまつどのと呼ばれる屋敷で、ひとり琴の稽古に励んでいた。

 逸勢は書の達人であるとともに、琴に関してもかなりの腕前を持っている。

 従五位下、但馬権守という官位と役職に就いていたが、逸勢は病と老年(この時、逸勢は五十八歳。当時の年齢としては高齢であった)を理由に出仕はせず、屋敷に籠って暮らしていた。


 書と琴に関しては、若い頃に遣唐使で唐へと渡った際に学んできたものだった。唐へは空海や最澄といった後々高僧となる人物たちと共に渡っていることから、若かりし頃から逸勢もかなり優秀な人物であったということが伺える。

 ただ逸勢は、中国語(唐語)が得意ではなかった。相手の話していることなどが、よく理解できないのだ。そのため、逸勢は会話をすることが少ない、琴と書を選んで勉強をした。それが功を奏し、逸勢が帰国する頃には書と琴の第一人者となっており、唐人たちから「橘秀才きっしゅうさい」と呼ばれるほどとなっていた。

 帰国後、逸勢は従五位下の官位に就くことができたが、何かの役職に就くことは無かった。朝廷の仕事は向かない。そう決め込んで職には就かず、しょや琴に没頭していたのだ。


 橘家は優秀な家系であった。曾祖父であるたちばなの諸兄もろえは、敏達びだつ天皇の後裔であり、初名を葛城王かずらきのおおきみといった。後に臣籍降下して、初代・橘姓となった人物であり、正一位・左大臣を務めていた。また、祖父である奈良麻呂ならまろは正四位下・参議を務めた人物でもある。

 そのため、逸勢も朝廷での活躍を期待されていたが、逸勢は書や琴に没頭するばかりで朝廷の要職に就くことはしようともしなかった。


 琴の音色が静かな蛟松殿の中を支配していた。

 ここ数日、逸勢は琴を弾いて過ごすことに楽しみを覚えていた。時おり、弟子にしてほしいと逸勢を訪ねてくる者もあったが、逸勢は弟子を取ろうとはしなかった。


 その日も逸勢が琴を弾いていると、家人が来客を知らせた。

 きょうは人には会いたくはない気分だったが、その来客が伴健岑であるということを知り、逸勢は会うことにした。


「突然の来訪、失礼いたします」

「おお、健岑殿、どうかなされたか」

 健岑のことを部屋に通した逸勢は、強張った顔つきの健岑を見て、何かがあったのだなと察した。


「嵯峨上皇がまた病床に臥せられたと聞き、急ぎやってきたのだ。今度は、危ういとの話だ」

「それはまことか、健岑殿」

「逸勢殿、嵯峨上皇の身に何かがある前に我らも行動を起こさねば、東宮様の身が危険にさらされるぞ」

 健岑は熱弁を奮った。


 逸勢と健岑はふたりの力だけではどうにもならないということを悟り、淳和派である阿保あぼ親王(平城上皇の皇子)に今回の計画を打ち明け、協力を求めることにした。

 阿保親王は現在、弾正台の長である弾正尹だんじょうのかみの役職についている。弾正台は朝廷の役人たちの不正を取り締まる機関である。


「――というのが、我らの計画にございます」

 逸勢と健岑は阿保親王の屋敷を訪れ、計画のすべてを打ち明けていた。

 その計画を聞いた阿保親王は明らかに困惑した顔を見せていたが、ふたりの熱意に押されて、相談に乗ることにした。


「左様か……。しかし、東宮の首をげ替えるなどという蛮行を帝がお認めになるだろうかのう」

「良房が吹き込めば、帝もその気になってしまいます」

「そうか……」

「いまこそ我らが力を合わせて、藤原良房による東宮・恒貞つねさだ親王廃除を阻止しなければならないのです」

「……わかった。しかし、軽率な行動は慎んでくれ。失敗すれば、謀反人となってしまうぞ」

「わかております」

「それならば、良いのだが」


 これは困ったな。それが阿保親王の本音だった。

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