承和の変(6)
早朝。朝霧に紛れるようにして、篁は配下の兵の二〇人ほどを連れて街道を進んだ。全員が騎馬であり、辺りを警戒しながらゆっくりと進んでいた。
霧が濃すぎる。篁がそう気づいた時には、相手の術中に入ってしまっていた。
「父上、この先に誰かがいるようです」
そう告げたのは、篁と馬を並べるようにしてついてきている利任だった。
勘が良い奴よ。
利任の言葉を聞いた篁はそう思っていた。利任の言葉通り、気配がしていた。
篁は無言で右手をあげると、全軍を停止させた。
「どうかしましたか、篁様」
副将として従っていた武者が寄ってきていう。
「この先に何者かがいるようだ。私と利任で行く」
「しかし……」
「大丈夫だ。相手はひとり。もし何かあったら、お前が指揮をしてくれ」
篁はそう言うと馬から降りて、歩きはじめた。
そして、その後を追うように利任も続いた。
霧の向こうに影が見えて来る。
「父上」
「ああ。私が行こう」
篁はそう言うと霧の向こう側にいる人影をじっと見つめた。
だんだんと霧が薄くなっていき、その姿が見えてくる。
そこにいたのは顔の下半分が長い髭で覆われた大柄な男だった。おそらく、篁と並んでも身長はさほど変わらないくらいはあるだろう。
「
その男は篁に対して言った。
どうやら、言葉は通じるようである。
「私は、陸奥太守の小野篁と申す」
「ほう、大将のお出ましというわけか」
男はその立派な顎髭を撫でるようにしながらいう。
「そちらは?」
「我が名は
「阿弖流為だと……馬鹿なことを申すのはよせ、阿弖流為は坂上田村麻呂様に降伏して……」
「我が一族では代々、阿弖流為の名を継ぐ。それだけだ」
「そうか。して、その阿弖流為がなぜ我が軍の前に立ちふさがる」
「何を言うか。先に仕掛けてきたのは、お前らの方だろう」
怒気を含んだ言い方だった。
「どういうことだ」
「馬鹿も休み休み言え、お前ら大和人が日照りが続いているから作物ができない。だから、我らにいつもよりも多めに獣の肉や米を納めろと言ってきたのではないか。日照りが続いて苦しいのは、我らも同じ。それなのに、なぜ我らにだけ多く納めよなどと言える。お前ら、大和人は頭がおかしいのか」
「……なんと……」
阿弖流為のその話を聞いた篁は絶句した。敵は内にいた。陸奥の役人の誰かが、税を誤魔化すために蝦夷に多くの食料を納めさせようとしていたのだ。
篁は、身内を調べずに戦を優先させた自分の愚かさを呪った。
「すまぬ。私の勘違いだったようだ」
「勘違いだと……。馬鹿にするのもいい加減にしろ。お前たち大和人は、我らの土地を何度も踏み荒らしてきた」
「此度のことは、こちらが全面的に悪い。すまぬ、このとおりだ」
篁はそういって、阿弖流為に対して頭を下げた。
「ならば、軍を引くのか」
「ああ。最初からその話を聞いていれば、軍など率いて来なかった」
その篁の態度を見た阿弖流為も少し態度を柔軟化させた。
「そうか。お前は話の分かる大和人だな。小野篁、その名を覚えておこう」
「我らは軍を引く。だから、そちらも軍を引いてはくれぬか」
「お前は信じられる大和人なのか?」
「もちろんだ。この戦の原因を作った者は必ず罰しよう。それは約束する」
「そうか。だが、お前が信じられる者かどうかはわからないな」
阿弖流為はその大きな
「では、どうすれば信じてもらえるのだ」
「
阿弖流為はそう言うと、持っていた弓を構えた。
その動きに警戒した利任が自分も弓を構えようとする。
「利任。大丈夫だ、見ておれ」
篁はそう利任に告げると、弓をおろさせた。
阿弖流為は弓を引き絞ると、矢を一本の木に向けて放った。その矢は一直線に伸びていくと、そのまま鈍い音を立てて木の幹に突き刺さった。
「篁、お前の武を見せてみよ」
その阿弖流為の言葉に篁は頷くと、ゆっくりと弓を構えた。
狙う場所は、阿弖流為が撃った木と同じ木の幹である。
呼吸を整えた篁は弓の弦を引き絞ると、矢を放った。
風を切る音が聞こえた。
そして、矢が鈍い音を立てて突き刺さる。
篁の放った矢は、阿弖流為が放った矢を後ろから突き刺すようにして木の幹へと刺さっており、阿弖流為の矢は真っ二つに裂けていた。
「これは驚いたな。大和人にこれだけの弓の使い手がいたとは。恐れ入った」
阿弖流為はそういうと弓を降ろして、篁の前に
「では、軍を引いてくれるか」
「約束は守ろう。それに我らは、
「そうか……」
「我が一族のご無礼をお許しください」
跪いた阿弖流為はそう言うと、篁への忠誠を誓った。
すると不思議なことが起きた。先ほどまで立ち込めていたはずの霧が、すっと晴れていったのである。
阿弖流為は言葉通り、蝦夷の軍を解散させ、陸奥国人衆と協力していくことを篁に告げた。
篁もそれを受け入れると軍を解散し、
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