承和の変(5)

 胆沢城いさわじょうに入った篁は、前線で蝦夷えみしと戦う前線の軍の報告を聞きながら、軍備を整える指示を行っていた。

 この胆沢城は、かつて征夷大将軍であった坂上田村麻呂が陸奥国に築いた城であり、陸奥国北部の軍の拠点でもある。


 いま味方の軍勢はこの先にある蝦夷が統治する領内へと進んでいるが、どうやら苦戦を強いられているようだった。

 その報告を聞いた篁は、自ら精鋭兵を率いて前線へと向かうべきだと判断し、すぐに胆沢城を出発した。


 最前線にある陣に篁が入ると、その状況は思わしくないということはすぐにわかった。多くの兵が傷つき、士気が下がっている。この前線の兵たちが胆沢城を出発した時は三〇〇人いたはずだったが、いまは一〇〇人にまで減っていた。


「何があったというのだ」

 篁は前線の軍の指揮を執っていた陸奥むつの大目おおきさかんを呼んで話を聞いた。大目も矢を受けて左腕に傷を負っている。


「あれは人ではありません。魔の者でございます」

「魔の者とな」

「はい。戦上手なことは確かなのですが、鬼神のごとく暴れまわり、ひとりで一〇人以上の兵たちを倒したりしております。また、呪術を使う者もいるようで、ある者は巨大な骸骨を見たと申しておりますし、ある者は鬼たちが鎧を着こんでいると申しておりました。そのせいもあって、我が軍の士気は低下し、総崩れとなりました」

「ほう。鬼神と呪術か。わかった。明日は私と私の連れて来た兵が先鋒を務めよう」

 篁はそう大目に告げると、大目の傷の手当てをするように従者に告げて下がらせた。


「呪術でございますか、父上」

「そうだな。呪術とひと言でいっても、様々なものがある。平安京みやこにいる陰陽師たちのような者が使う呪術もあれば、その地域に伝わる独自の呪術もあるし、本当に人では無き者が使う呪術の場合もある」

此度こたびは、どのような呪術なのでしょうか」

「わからん。だから、明日はこの目で確かめてみる」

「私もお供しても、よろしいでしょうか」

「ああ。ただし、自分の身は自分で守るのだぞ、利任」

「わかりました」

 そう言うと、利任は下がっていった。


 利任は物怪のたぐいを見ることができる。そう聞いている。もしかしたら、何かの役に立つかもしれない。篁はそう考えていた。


 日が暮れはじめていた。慣れない場所で、夜間に行軍するのは危険だった。そのため、篁は自分の率いて来た軍に野営の準備をするように命令した。

 野営の陣は帳が降りる前に、終わらせていなければならない。何よりも闇は危険なのだ。

 輜重しちょうは荷車で運ぶ専門の者たちがおり、その者たちが野営の支度なども指揮をした。


 このいくさがどのくらい続くかは予想が出来ていなかった。地の利があるのは蝦夷えみしたちの方である。彼らはこの地で生まれ育っているのだ。篁の兵である陸奥国人衆も、この地で生まれ、暮らしているがその生活には差があった。陸奥国人たちは平地に家を建て農耕などをしながら生活をしている。それに対して、蝦夷たちは山の中にある洞窟や竪穴式住居で暮らしているのだ。もちろん、陸奥国人と同じように住居を構えて暮らしている者もいるが、それはまだ数えるほどであった。

 もし、山の中で戦いとなったら、おそらく陸奥国人たちでは蝦夷には勝つことはできないだろう。だから、蝦夷たちを平地へと引きずり出す必要がある。篁はこの戦をそう分析していた。


 兵と兵の戦ということもあるが、それ以上に引っかかるものがあった。大目から聞いた呪術の存在である。蝦夷の呪術とは、どのようなものなのだろうか。篁が以前、父と共に陸奥にいた頃には、そのような者と戦うことは無かった。あの頃は、馬に乗って弓を放ったり、剣で斬り合うのが戦の主流だった。


「まさか、ここまで来た呪術の相手をしなければならないとはな」

 篁は苦笑いを浮かべながら独り言を呟いた。


 平安京みやこでは、様々な怪異に立ち向かってきた。鬼や物怪、過去の亡霊たち。数々の者たちを相手にしてきたが、それを陸奥でもやることになるとは篁も想像していないことだった。

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