承和の変(4)
陸奥国へと入った篁は状況を確認するために、部下である
陸奥は大きな国である。現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県の各県と秋田県の一部にあたる地域をひとまとめにした国であり、「むつ」という読み方以外に「みちのおく」とも読まれていた。そう、現代でいうところの「みちのく」の元となった言葉なのである。
報告を受けた篁は、現在の陸奥があまり良い状態にはないということがわかった。特に
「ここまで来てしまっては、武を持って鎮圧するしかないか……」
部下たちから上がってきた報告書を篁が読んでいると、ひとりの少年が篁のもとへとやってきた。年の頃は十五、六くらいだろうか。背は大きく、身体も骨太な印象があるこの少年は、篁の末の子の
「父上、戦でございますか。でしたら、私も連れて行ってください」
利任は篁のことをじっと見つめながらいった。
陸奥の地には、利任だけを連れてきていた。利任はまだ
利任には、あやかしが見えるようです。そう篁に教えたのは、妻の藤であった。
ある日、利任が屋敷の中に大きな猫がいるというので家人が探してみたが、どこにも猫の姿は見当たらなかったという。ただ、利任部屋の隅を指して「そこにいる」というのだ。
それだけならまだしも、ある時は東市へ向かおうとして従者と共にいる際に、この先は行きたくないから回り道をしろと利任がいう。どうしてかと従者が聞くと、そこには鬼が立っているのだと利任は従者に伝えた。仕方無しに従者は利任に従い道を変えて進んだのだが、その後日に利任が鬼がいるといった場所で人が殺されるということがあったことを従者は知った。
利任には、他の者には見えないモノが見えるのかもしれない。そう家人たちの間で噂になったという。
しかし、その噂話は一番年嵩の家人のひと言で終焉を迎えた。
「篁様の子じゃ、当たり前ではないか」
藤の屋敷に仕える家人たちは、篁にあやかしなどが見えると知っていた。それだけではなく、牛車に乗らずにふらりと現れたかと思えば、夜中にこっそりと抜け出すように去っていくことも。篁に奇妙なところがあるからといって、それで嫌われているというわけではない。むしろ、あのお方は特別な人なのだと家人たちは見ており、篁のことを慕っていた。
そういったこともあり、利任についても家人や従者たちは他の兄弟たちと同様に扱っていた。
「私が蝦夷を相手に戦っていたのも、お前くらいの年の頃だった。ただ覚悟は必要だぞ、利任。戦というのは命と命のやり取りなのだ」
「はい。肝に銘じておきます」
利任はそういうと篁に頭を下げて部屋から出ていった。
翌日、篁の命令により多くの兵たちが集められた。
陸奥国人は普段より、蝦夷との小競り合いを経験しているため屈強な者が多い。
それに、過去に篁と共に蝦夷と戦っていた者もいるため、篁の武勇については陸奥国人たちに語り継がれている。そのため、篁が陸奥太守となったことを聞きつけて、多くの陸奥国人たちが自分も蝦夷との戦いに参加させてくれと集まってきたのだった。
当時の
篁と利任は、それぞれ馬にまたがり出陣した。篁の指揮下にいるのは数百の騎馬兵たちである。
蝦夷は騎馬戦が得意な民族だった。騎馬と戦うには歩兵では分が悪い。そのため、陸奥兵たちも騎馬が得意な者たちが集められており、その中でも篁の指揮下にいる陸奥兵たちは優秀な者ばかりであった。
「そんなに気張るな、利任」
篁は馬上で歯を食いしばり、手綱をぎゅっと握りしめている利任に声をかけた。
利任にとっては、これが初陣である。
もしかしたら、死ぬかもしれない。そういった恐ろしさもある。これから始まるのは、戦である。誰かが死に、誰かが生き残る。自分が殺される可能性もあるし、自分が相手を殺す可能性もある。生と死。この非日常であり、非現実的な世界。それが利任を飲み込もうとしているのだ。
「怖いか、利任」
「正直に言えば、怖いです、父上」
「良い。それで良いのだ、利任。だが、相手も同じことを思っているだろう。生き残れ、利任。私がお前に言えることはそれだけだ」
「わかりました、父上」
利任はそういうと、すっと前を向いた。
篁はその利任の姿を見て、驚きを隠せなかった。落ち着いた途端、利任の顔はまるで何千、何百もの戦場を駆け抜けてきたような顔つきになったのだ。
こいつは化けるかもしれないな。篁は、我が子の横顔を見ながら、そんなことを思っていた。
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