無位、篁(5)

 中務省は、大舎人寮おおとねりりょう図書寮ずしょりょう内蔵寮くらりょう縫殿寮ぬいどのりょう内匠寮たくみりょう陰陽寮おんみょうりょうといった様々な機関が属しており、朝廷に関する重要な役割を担う機関であった。

 その中のひとつである陰陽寮には、暦や天文、占いなどを担当する役人たちが働いており、彼らのことを陰陽師おんみょうじと呼んでいた。

 陰陽師は、陰陽道と呼ばれる天文学や暦学を中心とした技術を扱い、時には占いや呪術といったものも使用する者たちである。


 そんな陰陽師に会うために、篁は中務省陰陽寮を訪ねたのであった。

 以前、大内記だいないきの役に就いていたことのある篁は、中務省内でも顔が効いた。そのため、目的の陰陽師のところまでは入ってきたことを誰にも咎められること無くたどり着くことができた。


滋岳しげおかの雄貞おさだ殿は、いらっしゃるかな」

 そう言って篁が顔をのぞかせると、陰陽寮の一番奥にいた白い水干に烏帽子という姿の若い男が反応した。


「これはこれは、篁様」

 雄貞は嬉しそうな声を出すと、床の上を滑るようにしながら走り寄ってきた。


「お久しゅうございます。お元気でいらっしゃいましたか」

「何を言うか、雄貞殿。一昨日に会ったばかりであろう」

 そう篁が笑いながら言うと、雄貞も一緒になって笑ってみせる。


 このその抜けに明るい男は、いまの陰陽寮で一番の呪術使いであると評判の滋岳雄貞であった。

 顔こそは、幼さの残った優男ではあるがその秘められた力は並大抵のものではない。かつて、篁の友人であった陰陽師、刀伎ときの浄浜きよはまも認める実力の持ち主である。


「ささ、どうぞ奥へ。今日は唐より持ち込まれた美味い菓子がございますぞ」

 妙にはしゃぐ雄貞に引っ張られるようにして、篁は陰陽寮の奥にある部屋へと通された。


 奥の部屋へと入った篁は、雄貞が淹れてくれた唐の茶と菓子を食べ、少し雑談をした後で本題に入った。


「雄貞殿にお尋ねしたいことがありましてね」

「なんでございましょう。この滋岳雄貞、篁様の頼みであれば何でも聞きますよ」

「まず、その篁様という呼び方を改めていただきたいのだが」

「え……どうしてでございますか」

 雄貞は驚いた顔をして目をパチクリとさせている。


「いまの私は無位、無職です。陰陽寮の陰陽師であられる雄貞殿が私を様付けで呼ばれるのはおかしいかと」

「おかしいでしょうか? 私は篁様の人柄や教養の高さに対して感服しておりますゆえに、篁様と呼ばさせていただいておるのです」

「それはありがたいこと。しかし、人が聞けばどう思いますか。これは雄貞殿のために申しております」

「……わかりました。では、人前では篁殿と呼ばさせていただきます。ですが、ふたりの時は篁様と呼ばさせてください」

「困りましたな」

 そう言って篁は、苦笑いを浮かべた。だが、嬉しいことであることは確かだった。こんな自分であっても慕ってくれる人間がいる。それだけで十分だと篁は思っていた。


「それで、篁様。私に尋ねたいこととはなんでしょうか」

「このことは内密にしていただきたい」

「わかりました。誰にも話しませぬ」


 その返事を聞いた篁は、内裏に出たという両面の子鬼の話を雄貞に語って聞かせた。 

 もちろん、その話が何処から出たかといったことはすべて伏せてある。雄貞のことを信用していないわけではないが、どこから妙な噂が漏れるかわかったものではないからだった。


「なるほど。東宮様があやかしを見たというのですか」

「なにか、心当たりはありませんか、雄貞殿」

「両面の子鬼……。鬼ではありませんが、面を前と後ろにふたつ被るかんなぎがいるという話なら聞いたことがあります」

「巫……」

 篁は予想外だと言わんばかりに呟いた。


 巫とは、朝廷の祭祀を司る官である神祇官じんぎかんに属する役のひとつであり、主に少女が巫を務めることが多かった。巫は神からの言葉を降ろすを行ったり、祭祀で踊りを舞ったりする役目にある。この巫が後に巫女みこと呼ばれる神職になっていったとされている。


「しかし、妙な話ですね。巫が夜中に内裏をうろつくだなんて」

 雄貞はそう言って首を傾げていた。


 その時、篁は不思議な感覚を覚えていた。面を被った巫の姿が目に浮かぶのである。そのようなものは一度も見たことはないはずだ。しかし、篁の脳裏で巫は前後に無地の白い面を被り踊りを舞っているのである。これは何なのだろうか。

 篁は困惑しながらも、これはもう少し深く調べる必要があると考えていた。

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