第8話 過去の情景

 お互いをぼんやりと見つめ合う二人。春花から伝わる胸の高鳴りは、夏樹の心へ鐘のごとく響かせる。その脈打つ鼓動を受け入れ、優しく唇へ触れようとした……。


 ――すると、目の前を一匹の猫が通りかかる。


 猫は軽快な足取りで歩き、何気なく二人を見つめた。けれど、人間達の行動に興味などあるはずもない。これにより、気にする事なく視線を逸らし再び歩きかける。


 そんな時だった――、目を見開き思わず二度見する猫。驚いた形相で毛と尾を逆立て、奇声をあげる。


「フギャッ――!」


 狼狽しながら威嚇する猫だが、すぐに後方へ飛び跳ね小走りで逃げる。この声に驚く二人は、とっさに離れ気まずそうに見つめ合った。


「――あの、これはわざとじゃないんだ。突然だったからね、驚いてしまって」

「そっ、そうよね」


 慌てる二人は顔を凝視することが出来ず、頬を赤らめ視線を逸らせながら話す。


「えっと、ほんとにごめんね」

「いいえ、夏樹くんは悪くないわ。転んだ私がいけないのよ。だからね、そんなにも気にしないで」


「うん。それよりも、このあと何か用事があるって言ってなかった?」

「――そうだ、忘れてたわ。これから揃えなきゃいけない物があったのよ」


「だったら、早く行かないと」

「そうだね。これから行けばまだ間に合うと思うから、じゃあ私はもう行くね」


「うん」


 こうして翌日の要件を伝え合う二人は、早々にその場を立ち去った……。



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 ほどなくして、部屋へたどり着く夏樹。疲れを癒すかのように、おもむろにベットへ横たわる。そしてぼんやりと天井を眺めながら、傍へ置いてあった欠片かけらを手に取りつかむ。それは空や海の色を思わせる綺麗な小石。何とも言えない美しさで淡く澄んだ青色の輝きを放つ。


「それにしても、さっきは驚いたよな。あの時と同じような気持ちになるなんて」


 このように暫く過去の情景を懐かしみ想い馳せていると、いつもの感覚がやって来た。それは決まった時間、眠気に襲われるような状態。そんな感覚に瞼はゆっくりと閉じていき、時計の針はやがて24時を迎えた。


 そして、深く……。


 深く…………。


 どこかへ向かうように、ゆっくりと意識は薄らいでいく…………。



    ✿.。.:*:.。.ꕤ.。.:*:.。.✿【場面転換】✿.。.:*:.。.ꕤ.。.:*:.。.✿



 こうした不思議な感覚に悩まされながら、いつものように次の日を迎えた夏樹。閉じた瞼には、ほんのりした温もりと優しく照らされた陽の光。この感覚により、再び目覚めることになる。


「――はっ! いま何時だ」


 温かい光により、夏樹は目を覚ますや否や突然にも何かを探し求めた。それは壁に掛けられた時計。放心した状態で駆け寄り、時針と分針の二針を確認する。


「18時? あぁ……良かった。約束の時間には間に合いそうだ」


 吐息を漏らす顔色は、硬直した顔から弛緩しかんした表情へと変わる。やがて全身の力は一気に抜け落ち部屋の床へくずおれた。このような素振りを見せる夏樹は、幼い頃からいつもそうだった。


 嬉しい出来事がある当日の日。必ずと言っていいほど、待ち合わせの時間には遅れたものだ。それは数を上げれば際限がないが、例えて言うなら遠足や修学旅行などが挙げられる。


「そうだ、偶には早く待ち合わせ場所にでも行って見ようかな。っていうか、着ていく服はどれにしよう。やっぱ浴衣の方がいいよな」


 頬を緩め嬉しそうな表情で準備を始める夏樹。このように微笑んだのは何年ぶりだろう。 


 その訳とは……。


 いまの夏樹には、本当の父親がいない。なぜなら、十数年前に近所の女の子を惨事から助け交通事故で亡くしたからだ。それ以来、笑顔を見せることは少なくなり、前の職場では能面君無表情と陰で囁かれていた。  


 しかし、めっきり笑顔が減ったのは、それが全てではない。というのは、事故に関係する付随したもう一つの事情があったからだ…………。

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