第6話 追想の愛

 あれから一ヶ月。同じ時間に待ち合う二人は、何度か出会う内に友人関係を築いていた……。



 そんな二人が出会う場所といえば、夏樹が住むアパートから数分の位置にある喫茶店。名はハルジオンといい、中はレトロな空間であり、風情ある様子を醸し出した趣ある雰囲気であった。


 けれども何故か客足は少なく、いつも訪れていたのは常連の春花だけ。ゆえにマスターと何度か話す機会があり、客もいないのに店を開けていた事情なども聞いていた。 


 その事情というのは、元々この場所は更地ではなく古ぼけた孤児院があった。ところが数十年前にがあり、施設は別の土地へ建て替えられたという。これにより、放置されたままの土地と建物は破格の金額。


 不動産屋の勧めもあり、マスターは土地をためらわず購入。家屋は取り壊さず、リホームして開店することになる。とはいえ、喫茶店を開いた本当の訳はお金ではなく、別の事柄が理由であった。


 孤児院はマスターにとって、幼少期に育った思い出の場所。ある女の子に好意を抱くも、里親に引き取られる二人は離れ離れ。このような事情から、過去の想いを消し去ることはできなかった。


 そのため、今も独身を貫き初恋の思い出を懐かしみながら人を待っているという。そんな忘れられない記憶、想いが込められた店名はハルジオン。花言葉の意味は追想の愛だという……。


 こうした落ち着きのある場所で、いつも夏樹と春花は安らぎのひと時を過ごしていた。 

  

「ねえ。夏樹くんって、いつもナポリタンばかり食べてるけど、飽きたりなんかしないの?」

「うん。これはね、よく母さんが作ってくれた懐かしの味。見た目以上に栄養もあってね、とっても美味しいんだよ。だから毎日のように食べても飽きないかな」


 美味しそうに食べる表情、楽しそうに話す笑顔。そんな夏樹の姿を、春花はずっと嬉しそうに眺めていた。


「ふふっ。そんなにも大好きなんだね」

「まあね、それよりもさ、春花は珈琲だけでお腹空かないの?」


「うん、私はいいの。夏樹くんを見ているだけでね、もうお腹いっぱい」

「もしかして、彼氏ができてダイエット中だったとか?」


「そっ、そんな人なんていないもん」

「ふーん、そうなんだ」


 夏樹の淡々とした言葉に、顔を赤らめ動揺を見せる春花。敏感に反応したワードは、彼氏? それともダイエット? どちらかは分からないが、うつむき表情を逸らす素振りからは、照れ隠しする様子が窺えた。


「それよりも、この時間に僕といても大丈夫なの?」

「だって、少しでも夏樹くんと一緒にいたいじゃない」


「えっ?」


 意味深な内容を口ずさむ春花は、物思う面持ちで小さな声で話す。その何気なく聞こえた言葉に、夏樹は驚きの声を漏らした。


「というよりもね、じつは勤めていた会社は気忙きぜわしいから辞めちゃったの。だから時間とかは大丈夫よ」

「そうだったんだね、てっきり僕のためかと思ったよ」


 春花の言葉に、ほんのり頬を赤く染める夏樹。そんな理由だったのかと、口角を引きつらせながら苦笑いする。


「夏樹くんのため? それってどういう意味」

「いや、今のは何でもないからね。っていうか、せっかく就職したんだからさ、別に辞めなくてもよくない?」


「だってね、夏樹くん私のために言ってくれたでしょ。『人生これからなんだから、焦らなくてもゆっくり歩んでいけばいいんだよ』って、その言葉がすごく嬉しかったの。だからね、思い切って決断したんだよ」

「なるほどね、あの時の言葉で判断したんだ」


 夏樹がそっと囁いてくれた言葉。この想いを振り返る春花は、そっと笑みを浮かべて呟いた…………。

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