第4話 家族 Ⅱ

 冬が過ぎ、春が来た。

 大きな鍋に、大麦を煮るほんのり甘い匂いが厨房に立ち込める。

 その香りに釣られてジーノがレオルの腰に抱きついた。

「こら、ジーノ危ないじゃないか」

「だって腹減ったもん」

 レオルは柔和な顔をして待ってなと、欠けた皿に大麦のおかゆをよそい、ジーノへ手渡した。

 腹減った〜、腹減った〜♪ 陽気な歌と共にジーノは食堂へ駆けていく。

 いただきますと大声で言うジーノの手を制止し、レオルは少し待てと祈りだした。

 ジーノも、渋々その祈りに付き合う。

 武神グラハムへの讃文だった。

 祈りを終えたジーノは無我夢中でガッついた。

 食べ終わる頃になると、ジーノは平静になってレオルを見やる。

「父上、父上は食べないの?」

「フフフ、ジーノよ。味見してたらお腹が膨れてな」

「父上だめじゃんか」

「そう言うな」

 途端、腹の虫が盛大に鳴き出した。

 顔を赤く染めるレオル。

 眉を上げ目を見開くジーノ。

 ジーノは子供ながらに自分の分を犠牲に分けてくれたのだと悟る。

 涙と共に外へ駆け出した。

「おい、ジーノ。どこへ⋯⋯」

 ジーノはキョロキョロ地面や木々を見回していた。

「どこかに食べ物ないかな?」

 父上に、たくさんご飯を食べさせてあげたい。その一心だった。

 顔は険しく目は真剣であった。

 すると、赤茶色の屋根の家から炊事の煙が登っていた。

 何か作ってるんだ。

 貧民街も、はずれにある境界地区と呼ばれる所に建っていた家であった。

 レオルからは境界地区には行くなと言いつけられてはいたが、その煙から目が離せなかった。

 すみません、一言あいさつしてみたが人気ひとけはなかった。

 おそるおそるドアを開けて入る。

 小麦のパンと、まだ茹だったスープの匂いに、魔が差した。

 一口、パンをかじるとその甘さによだれが口いっぱいに広まり、ジーノは意識が飛びそうなくらい美味いと思った。

 スープは持ちきれないため、ありったけのパンを服の中に忍ばせ、抜き足差し足その宅を出ようとした瞬間。

 女の叫び声が背後から耳に入った。

「泥棒よ。誰か、誰か来て」

 ジーノは振り返る、女の齢の頃はジーノとそんなに変わらなかった。

 いわゆる飯炊き女と呼ばれるお手伝いさんだろう。

 金属製のトレイを落としてまだ叫ぼうとする口をジーノは手で押さえた。

「見逃してくれよ、お父さんは病気なんだ。力の付く物をやりたいんだ」

 目を見開いた飯炊き女は涙を浮かべて抵抗した、ジーノの左手薬指と小指を噛んだ。

 痛え。ジーノは思わず突き飛ばした。

 飯炊き女は弾みで白い柱に後頭部を打ち、そのままずるずる床へ崩れ落ちた。

 右左を見てからまだ誰も居ない事を確認してジーノは駆けた。

 道順も覚えてない。ただ双眸からはあふれんばかりの涙が出ていた。

 教会の隣にある大木に背中を預けて座り込む。

 ヒック、ヒックとしゃくるように泣くジーノ。

 それでも、パンだけは落とさなかった。

 パンを見た瞬間から涙は引っ込んだ。

 父上は、喜んでくれるさ。あんなに美味しいパンなんだから。

 教会の扉を開く。

 心配そうなレオルの顔が、一気に華やいだ。

「ジーノ、あれはお腹を壊してただけなんだ。気にするなよ、な」

「父上、これ」

 まだ温かいパンを見たレオルの顔が崩れた。

 叱るでもなく、感謝を述べるわけでもなく、ただジーノをそばまで手繰り寄せ強く、強く抱きしめた。

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夜叉鴉〜YASHAGARASU〜 ヒロロ✑ @yoshihana_myouzen

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