教師近藤と読み聞かせ

 なんとも意外ですけれども、近藤は時間に余裕があるときに、託児所で子どもの面倒を見るボランティアをしています。

 ある日、そうして働いている保育施設で、一人の男の子の母親が、急な仕事ができたことで、迎えにくるのが遅くなってしまいました。

 それで、他の幼児たちが帰っていって、独り残されたそのコのために、近藤が絵本を読んであげていました。

「いつも明るく元気な塩くんがしょんぼりしていたので、ともだちの砂糖くんがたずねました。

『おちこんでいるみたいだけど、どうしたんだい?』

 塩くんはこたえました。

『さいきんみんな、ぼくのせいで血圧が上がるって、やっかいものあつかいするんだ。だから、かなしくてさ』

 砂糖くんは言いました。

『そうだったのかい。つらかったね。でも、大丈夫さ。そのうちみんな、きみの良さを思いだすよ』

『ほんとうに?』

 塩くんはまだ不安でした。けれど、はげましてくれた砂糖くんのおかげで少し元気になりました。

 それからしばらくしたある日のことです。こんどは砂糖くんが一人でさみしそうにしていました。

 そこへ、こんかいは前とははんたいに塩くんがやってきて、ききました。

『くらいかおをしているけど、何かあったのかい?」

 砂糖くんはこたえました。

『うん。どうやらちかごろ、ぼくがけんこうに良くないって、みんなにきらわれているらしくてさ』

 そうです、あのゆうめいな糖質制限ブームがとうらいしたのです。

 塩くんは言いました。

『わかるよ、そのくるしいむねのうち。泣きたければいっぱい泣けばいいさ。でもね、ぼくをなぐさめてくれたときのことをおぼえているだろう? きみのいいところを忘れていないコだってたくさんいるから、そんなにしんぱいするひつようはないよ』

『……そうだね。ありがとう』

 砂糖くんも塩くんのおかげでゆうきづけられたのでした。

 その二人のゆうじょうを、ほかの調味料たちはほほえましく見ていました。

 ところが、一人の子どもだけ、それどころではなく、つぎは自分がみんなにわるく思われてしまうんじゃないかとおびえています。

 それは調味料ではなく、人間でした。

 どうしてまだ何もおきていないのに、それに人間なのに、そのコは不安がっていたのでしょうか?

 なぜなら、かれの名前が佐藤俊夫くんだったからです。

 え? どういうことかわからない? よーく考えてみて。

 それでもダメ? しょうがないな。じゃあ、おしえてあげましょう。さとうとしおくん、砂糖と塩くん、だったからですよ。

 おしまい」

 近藤はその絵本を閉じました。

 彼が読んでいる間に、男の子の母親は到着していました。しかし我が子が読み聞かせをしてもらっていることに気づいて、終わるまで離れた位置で静かに待っていたのでした。

 変な内容の絵本だな。

 母親は近藤に感謝しつつも、聞こえてくる声に耳を傾けて、そう思っていました。

 そして彼女が近寄っていくと、読み終えて本から意識が遠ざかった近藤は、背後に迫ってくる人の気配を感じ取って、振り返りました。

「あ、本を読んでいただいてありがとうございました。迎えにくるのが遅くなってしまって申し訳ございません。その子の母親です」

 彼女は深く頭を下げました。

「ああ、そうでしたか。私、時間のあるときにこちらでお手伝いをさせていただいている、近藤と申します。謝る必要なんてまったくないですよ、ご事情がおありになったのですから。それに、ずっとおとなしく聴いてくれましたし。いいコですね」

 近藤はとても感じの良い笑顔で応じました。

「本当ですか? 家ではしょっちゅう駄々をこねて、困ってしまうんですけど。ご迷惑をかけなかったのならよかったです」

 事実、男の子は普段より行儀の良い態度で、近藤の話を聴いていたのでした。そのコは今、眠そうでうつらうつらしています。

「きっと、私なんかの何倍も上手に読み聞かせをしていただいたので、気持ちが良かったんですよ」

「そんなそんな、上手じゃないです。ただ、読んだこの絵本が気に入ってもらえたのはあるのかもしれませんが」

 近藤は再度絵本を手に取って言いました。

「確かに、個性的で面白いですね、その絵本」

「あれ? 話の中身までお聞きになっていらしたんですか?」

「はい。途中からですけれど」

すると、近藤の瞳が何やら不気味に光りました。

「なるほどそうですか。やっぱり面白かったですか。実はね、奥さん。これ、私が執筆した物語なんですよ。いかがです? 本来は千五百円に消費税がつくところを、今ここでならなんと! 税込みたったの千円ぽっきりでご購入いただけますが?」

「はあ?」

 突如悪徳な感じの商売人へと様変わりした近藤に、男の子の母親は思いきり顔をゆがめました。

「ええい、こうなりゃ赤字覚悟の出血大サービスだ! 税込み八百円でどうだ! 持ってけドロボー! 言っときますが、これ以上は一銭たりとも安くできませんぜ、お嬢さん!」

 近藤は、ノリにつられてその気になるよう、こざかしい動きをしながら、そうまくしたてました。

「……」

 そうして、彼はそこの託児所を出禁になったのでした。

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