教師近藤と演劇

 近藤の高校時代、同級生に鮫島達也という男子がいました。

 彼は芝居が好きで、観るのもですがそれ以上に演じるのが楽しく、将来役者になることを本気で考えていました。端正な顔立ちをしており、人気を得て成功しそうな雰囲気が漂っていましたが、モテたいとか金持ちになりたいといった下心はまったくない真面目な性格をしていました。

 二人が通っていた高校の演劇部は、著名な演劇関係者を何人も輩出するなど伝統があって、周辺地域では名の知れた存在でした。しかし、彼らが入学する少し前に当時の部員がトラブルを起こして、無期限の休部となっていました。そのためそこに入ろうと考えていたコたちは別の学校へと進路変更をするなかで、達也は敢えてそのまま受験して入学し、部を再建しようと立ち上がったのですけれども、学校の人間や他の生徒の保護者たちに時期尚早という声があったりで、容易には運びませんでした。一方で、大人のなかにも味方になってくれる教師がいたり、彼自身さまざまな努力を行った結果、演劇部の再スタートを認めてもらうことに成功しました。

 が、精力的に勧誘するものの、部活動に打ち込む意欲がある生徒はすでにどこかしらに所属してしまっていたりで断られ続け、部員集めにも苦労することとなりました。それでも諦めず、なんとか五人から良い返事をもらえて、ようやく活動ができるところまでこぎつけたのでした。

 演じることに対する興味は薄く、半端な気持ちではかえって失礼だとの考えから、演劇部には入りませんでしたけれども、幾多の困難に見舞われてもめげずに奮闘する達也を一緒のクラスということでずっと目にしていて心打たれた近藤は、彼にその気持ちを告げ、できる範囲で力になりたいと思って芝居の脚本を書いたので、次の文化祭でそれを上演してくれないかと伝えました。

「そうか。ありがとう」

 近藤の好意に、達也も胸を熱くしました。受け取ってすぐに読んだその台本は、非凡な味覚センスに恵まれたグルメな主人公が、同じように秀でた舌を持つライバルと最高の食を追い求めて切磋琢磨し、最後はお互いが用意した料理による対決で勝利を収めるという、漫画のようなストーリーで、あまり舞台向きではないと感じましたが、趣味でも特技でもないシナリオを書く作業を頭が痛くなるくらい頑張ってやってくれたと話した近藤の友情に応えて、受諾したのでした。

 それから達也は、演出は自らが行って、他の部員たちとその芝居の稽古に励みました。彼以外は誘われての入部なだけあって演技の能力も知識も乏しかったですが、達也が我慢強くサポートしたことや、若くて吸収する力が大きい年代ゆえに、日を追うごとに上達し、良いムードで目的の文化祭は近づいてきました。

 本番がいよいよ間近まで迫ってくると、達也は観てくれる人を一人でも多くするために、このときも勧誘を一生懸命に、それも何日も前からやり、おかげで当日は、満員とまではいきませんでしたが、客席を恥ずかしくない程度には埋めることができました。

 そうして迎えた演劇部の新たな船出から初となる本格的な舞台で、彼は担当の主人公の役を思いきり演じ始めました。

 あー、やっぱり楽しいや。

 演じている間は無我夢中でしたけれども、出番ではなく舞台そでにいるときに彼はしみじみそう思いました。今まで散々苦労したぶん、普通に演技をするだけでも喜びは格別でした。

 芝居は順調に進んでいき、訪れたクライマックスで、達也は物語の最大の見せ場と言っていい決め台詞を口にしました。

「俺の食に対するこだわりは並みじゃないぜ!」

 近藤からも盛り上がりを期待されていたこの場面を、達也は最高の芝居で演じあげました。

 ところが、ずっと行儀よく静かに鑑賞してくれていた客席から、すぐさまこういう言葉が飛んできました。

「って、要は食いしん坊ってことだろ!」

「え……」

 達也は思わずそう声を漏らしてしまいました。それほど大きい声ではなかったものの、本人としては不本意です。しかし、そのときはそんなことはどうでもいいと思えるくらいに驚き、耳を疑いました。劇をぶち壊しにするような今しがたのやじが、明らかに近藤の声だったのです。

 嘘だろ?

 頭の中はその言葉でいっぱいになりましたが、どうにか上演は無事に終えることができました。全体を通しての芝居は悪くなく、たくさんの拍手ももらえました。けれども、達也の意識にあるのは浴びせられたあのやじについてばかりで、達成感などは皆無に等しく、茫然自失といった状態でした。

 そうして、他の部員たちとは離れ、控え室として使っている部屋近くの廊下で一人ぼんやりとしていた彼のところに、近藤がやってきました。

「……なあ、客席で観ててくれたんだろ?」

 特に変わった様子は見られない近藤に向かって、達也は話しかけました。

「もちろん」

 平然とうなずいた近藤の真意を測りかね、躊躇しつつもやはり尋ねないわけにはいかず、彼は言葉を続けました。

「じゃあ訊きたいんだけど、あの見せ場の大事な決め台詞のときに客席からかけられた声、あれ、お前じゃなかったか?」

「そうだよ」

 近藤はあっけらかんとした態度で肯定しました。

「ええ?」

 近藤で間違いないとわかっていましたが、信じたくないために別の人が言ったのかもしれないと思おうとしていたのと、戸惑いが強かったこともあって、冷静だった達也ですけれども、そこに至ってようやく怒りが込み上げてきて、さらなる問いかけを責める口調で行いました。

「お前、どういうつもりだよ?」

 すると近藤は真顔でこう述べました。

「いや、面白いかなと思って」

 達也はびっくりして、口があんぐりと広がりました。

 彼はそのときに心底驚いた際のリアルな顔の表情などを知って、以降の演技に活かされたということです。

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