教師近藤とマスク

 冬の時期、毎年のことではありますが、学校で風邪が流行しました。そんなある日、めったに風邪はひかないので、それまでやっていなかったのですけれども、近藤がマスクを装着して登校してきました。

 こう記すと、当たり前の日常の風景が頭に浮かんで、問題などまったくないように思われるでしょうが、その彼を目にした人は皆驚いて、すぐさまそばにいる別の人とヒソヒソ次のような調子でしゃべらずにはいられなくなりました。

「なに? あれ」

「さあー?」

 どうしてかと申しますと、文字で表すと同じマスクでも、一人彼だけがしていたのはプロレスラーがするマスク、つまりは覆面だったのです。その上からいつもかけているメガネをし、服もお決まりのスーツだったので、顔見知りの人は誰もがそれが近藤であるとわかりました。

 一時間目の授業の前に、自身が受け持っているクラスの教室にやってきた近藤は、引き続きとても普通の中学校の教師とは思えない姿をしていましたが、彼がどういった人間かを熟知しているそこの生徒たちは「なぜ覆面なんてしているんですか?」などというまともな質問はやる意味がないことだと心得ているために、誰も触れないので、自ら出欠のチェック等の他の話をする流れのなかでさりげなくそれについて切りだしました。

「いやね、普通のマスクだと、どんなに高性能なものでも、横や上下のわずかな隙間からウイルスが侵入してきて、防ぎきれないって聞いたもんだから、これならシャットアウトできるんじゃないかと思ってさ」

 その発言を何人かの生徒は、近藤の人間性をよく知っているのに加え、覆面がどこからどう見ようともプロレスラーがかぶるデザインだったので、当然素直に受け取りはしなかったものの、それも装着してきた理由の一つとして本当にあることはあるのだろうと、うかつにも考えてしまいました。

 しかし彼らは、帰りの時間帯に再び自分たちの教室に入ってきた近藤が、チャンピオンベルトを巻き、それも腰にではなくタスキのように上半身に斜めがけでという格闘技好きなことがよくわかる身につけ方をしているのを見て、やはり覆面は単につけたかっただけであるのを思い知らされ、ウイルスを遮断するためなどという方便を信じた己の純粋さを呪いました。

 近藤は、もはや建前はどうでもよくなったのか、チャンピオンベルトに関しては何ら弁明することはなく、顔は見えずとも声の感じなどにより上機嫌なのが明らかで、連絡事項を伝えるといったやるべき用事を済ませると、ほぼプロレスラーだったその日一日の締めくくりとして、覆面から口の部分のみを出し、霧状のペンキのようなものを勢いよく吹きだして去っていきました。

「あ、毒霧だ」

 一人の男子生徒が言いました。

「毒霧?」

 その彼のそばの席の、別の男のコが尋ねました。

「うん。主に派手なメイクをしている悪役のプロレスラーが、試合でピンチのとき、起死回生で向かってくる相手の顔面にあれをやって目を見えなくする、観客を楽しませるパフォーマンスの要素もある、攻撃手段なんだ」

「へー」

 二人の大きめな声での会話を聞いて、毒霧についての知識がなく「あれは何だ?」と思った他のコたちも、理解することができました。

 それはそうと、近藤本人はやるだけやって行ってしまい、彼の放った毒霧によって教室の一角にド派手な汚れが残りました。

 そのため、この日教室を掃除する当番の生徒たちは仕方なく、「あんにゃろー」と近藤に対して怒り心頭で、綺麗にしたのでした。

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