よもやま話

よもやま話 「救急車有料化」というミスリード

「6月から1件7700円を徴収ちょうしゅう 救急車〝便利使い〟歯止め 救急搬送はんそうされ入院至らずの患者 三重・松阪市」


 このような記事が新聞社から出されたところ、「いよいよ救急車も有料化か!?」とちょっとしたニュースになっているようです。


 記事自体は特に間違ってはいませんが、この見出しの誤解を招くところは、あたかも6月から新たに導入された仕組みであるような印象を与えること、また徴収の根拠について具体的に書かれておらず、救急車をタクシー代わりに使うごく一部の患者に対する対策として打ち出されたような印象を与えることです。


 この7700円、まず知っていただきたいのは「救急搬送費用」ではなく「選定療養りょうよう費」だということです。

 すなわち救急車にかかる費用ではなく、病院を受診した際にかかる費用なんです。

 だからまちがっても、激務の救急隊員に対するお手当になるわけじゃありません。


 この「選定療養費」というのは2016年から導入された制度で、大規模病院や救急病院に軽症の患者が集中することを防ぐために設けられた患者負担なのですね。

 この選定療養費、200床以上の大規模病院を紹介状なしで受診した場合にかかる「初診時選定療養費」、紹介先に転院した患者が退院後にもとの大規模病院を再診した時にかかる「再診時選定療養費」、入院が必要でない比較的症状が軽い患者が時間外受診した場合の「時間外選定療養費」の3種類があります。

 つまりは時間帯が時間内にしろ時間外にしろ、大きな病院を紹介状なしで受診した場合には、余分にお金がかかるという事ですね。

 だから本来はとっくの昔から、救急搬送だろうが入院が必要ないと判断された患者からは、一律徴収して良いことになっていたのです。


 ではなぜ今までは、救急搬送された軽症例の患者からも徴収していなかったのか。

 その理由についてはいくつかありますが、主なものとしては、①本当に救急車が必要な患者の受診抑制につながること②選定療養費をとるとらないの判断が医師にゆだねられており、その基準があいまいであること③選定療養費を払う患者の過剰かじょう要求が懸念けねんされること、などが挙げられます。

 患者の立場から言えば、お金がかかるなら我慢しよう、となって重症化するのはもちろん問題なのですが、②と③も医療機関側からすれば超問題。

「入院できなかったら金取られるんだから、入院させろ」とか、「余計な金払って救急車で来ているんだから、優先的に診察しろ」とか、阿鼻叫喚あびきょうかんが見える見える。

 そんなこんなで患者と医療機関お互いがトラブルをけるために、これまで救急患者に対する選定療養費の請求せいきゅうはアンタッチャブルに考えられてきたところもあったのですね。

 ただしそんな忖度そんたくはとっくに超越ちょうえつして、毅然きぜんとしてがっつり徴収している医療機関もすでに出てきてはいましたし、軽症患者に対する選定療養費の請求についての窓口でのトラブルも、医療事務の方なら経験済みの方も多いと思います。


 つまり問題は、国が「搬送された患者が緊急性が高いかどうか判断するのは病院の自由」と、お金を取るか取らないかという責任を現場に丸投げしているからなんですね。

 一律いちりつの基準がないから、もめる。

 これは患者でも医療機関の責任でもありません。

 通常の外来と同じように「入院の有無にかかわらず、紹介状のない患者からは一律に選定療養費を徴収する」とすればいいだけのに、入院患者とそうではない患者を分断するような不可解な条項じょうこうをわざわざ付け足している。


 そんなあいまいな状況の中、なぜあえて今このような記事がニュースになるのか。

 それはもちろん、松阪市での救急搬送のキャパが限界を超えてしまい、市民に啓蒙けいもうしなければ救急医療が回らなくなった事情からでしょう。

 それは十分にわかるのですが、この記事は「医療体制の問題点」を「経済格差による医療格差」にすり替えてしまう危険性をはらんでいます。


 救急体制に破綻はたんが見え始めているのならば、救急医療に対する人員配置や診療報酬ほうしゅうを手厚くするとともに、「選定療養費」という従来からある負担を正確に情報として周知して「便利使い」を抑制よくせいするといった、患者と医療機関相応の努力によって解決を図るのが 健全な考え方だと思います。

 特に後者は、これこそが大規模病院に対し選定療養費を導入した本来の目的だったはずです。

 そのような具体的な議論が行われずに、お金がなければ病院にかかれないとか、弱者切り捨てだとか、そういう印象操作をして欲しくない。

 7700円などという扇情せんじょう的なワードで、救急医療に対する不信感をあおって欲しくない。


 結局この記事は、ほとんどの救急患者には、あるいはこれを読んで下さっている「便利使い」など考えたこともないあなたには、ほとんど影響のない話なんです。

 ただ松阪市が、救急患者でも選定療養費を徴収する場合があるという事を、はっきりと周知しただけなのです。

 だから、「救急車有料化」などという誤った情報を流しているSNSの記事などには、耳を貸さないでください。

 救急車の有料化の是非ぜひについては、今回とはまた別の話です。


 どんな名医でも電話だけで重傷かどうかを判断することは出来ません、危ないと思ったらためらわずに救急車を呼んでください。

 誤った情報を土壇場どたんばで思い出して救急要請をためらうことで、緊急時の貴重な時間を浪費ろうひしないでください。

 大したことなかった、心配しすぎてお金余分に払っちゃった、それならそれでいいじゃないですか。

 あなたには何の悪意もない。


 重傷患者と軽傷患者、患者と医療機関、患者とそうでない健康な方。

 それぞれがお互いを猜疑さいぎし合うするような情報を流すのは、はっきり言って有害だと思います。

 医療の世界に限らず、年齢や世代、ジェンダー、経済力など、この世は分断であふれています。

 正確な情報と対話こそが寛容かんようの根本だという事、私も自戒じかいしたいと思います。

 

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