凌霄花 / 掌編

よるん、

凌霄花

 ようやく都合のいい物件を見つけた。職場からも駅からも近く、部屋の広さも十分。なにより家具が一式ついている。実家に住んでいる身としては、新たに買う必要がないのでありがたかった。


 大学を卒業して職が決まり、会社に通い始めたのはいいのだが、思ったよりも通勤時間が長かった。まだ慣れない仕事で疲れている上に、電車でさらに疲労するのは体にこたえた。それならばいっそ、近くに引っ越してしまおうと思ったわけだ。


 手続きが済んで引っ越しの日、荷物を運びこむと、かたいベッドに横になった。寝返りをうつたびに、きしむ音がする。安眠するためにこれだけは替えたほうがいいかもしれない。


 他の家具を確認すると、小さなベランダにでた。室外機も問題はなさそうだ。視線をずらすと、緑が目に入った。鉢に入った花のようだった。これも家具に含まれているのかと首を傾げる。とがった葉の茂る、つるの先に、オレンジに色づいたつぼみがある。咲いている花はまだひとつもなかった。


 閉じたつぼみを見ていると、この花を咲かせてみたいという気持ちがわきあがった。植物を育てたことなど一度もないが、このつぼみが割れて花になるのを見たかった。


 スマートフォンで花の育て方を簡単に調べると、近くのホームセンターでじょうろと肥料を買ってきた。与えすぎないよう慎重に肥料を土に混ぜると、じょうろで水をやった。土の色が変わっていくことが楽しくて見ていると、水をやりすぎそうになった。


 それ以来職場から帰ると、花の面倒を見るようになった。ベランダの向かいには別のマンションがあって、あまり日光がない。だが、その隙間であれば日差しが多いということに気付いて、より日が当たるように高さや場所を調整した。移動させて少しすると、つぼみがふくらんだ。頭のほうに少し切れ目が入っていて、もうすぐ咲くということを示していた。


 花が咲いたころには、すっかり夏になっていた。初めて花びらが開いているところを目にしたとき、慌てて飛びついたものだ。鮮やかなオレンジ色の花は、夏の暑さによく似合っていた。ふくよかな花を眺めていると顔が緩んで、ずっと見ていたい気持ちでベランダにいることが増えた。


 ふと、隣の住人がベランダに出てきた。慌てて部屋に戻ろうと思ったが、ぱったり目が合ってしまった。大学生くらいの女性は焦ったような顔をして挨拶をした。


「きれいなノウゼンカズラですね」


この花はノウゼンカズラというのか。花を褒められたことがむずがゆく、ありがとうございますとだけ返した。


「よほど愛情を注がれたのですね」


 花の名前も知らなかったし、育てたのも初めてだった。それでも愛情を注いでいたと言われると照れて顔が熱くなった。


 大粒の花が風でゆれるたび、頬がゆるむ。また来年も咲かせよう。そう思うと花は嬉しそうに体を震わせた。


--

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

凌霄花 / 掌編 よるん、 @4rn_L

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ