第3話 嘘だらけ

「ぐねぐねーっ!」

「ぐねぐねぇー」

「ぐねぐねーんっ!」

「ぐねぐねぇーん」

 二人の楽しい歌声が、ほこりさびに黒く塗られた路地を明るく照らす。

「ぐねんぐねーんっ!」

「ぐねんぐねぇーん」

「ひょろろろろーんっ!」

「ひょろろろろぉーん」

 二人だけの音楽隊。

 二人のためだけの音楽隊。

 全然寂しくない音楽隊は、スリル満点の路地を、誰にも邪魔されずに滑走する――。

「ここなんだね」

 不意にそう言ってふわりと停止した授が見上げたのは、六階建ての小さなビルだ。

 ビルのこちら側には、赤茶色に錆びてあちこちに穴が開いた階段があるが――。

「上に参ります」

 エレベーターのアナウンスよろしく言った授は、深くお辞儀をするように腰と膝を屈める。

 ――来るぞ!

「うふぁーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 重力を無かったことにして上昇する授の背中で、歩美は気持ち良さと楽しさと嬉しさを全て、声と表情と全身で表現する。

「もう、しっかり掴まってってば」

 授は声を上げて笑い、歩美の脚をがっちりと掴みながら上昇を続け、ビルの屋上おくじょうから十メートルほどの高さまで上がると、パラシュートも無いのに、ゆっくりと下りていく。

「よ、っと」

 授のスニーカーの裏が、と、と、と心地よい音を立ててコンクリートを踏む。

 たくさん飛んだ後は、着地しなければめりはりが付かない。歩美も授の背中から下りて、彼の隣に立つ。

 久方ひさかたぶりの地面で、歩美が欠伸あくびをし、伸びをしている間に、授は何かを探すように首を動かし、やがて、柵の無い屋上のふちに向かって歩いていく。

「……ここに、いたんだね」

 授は屋上の縁の上で屈んで呟き、頷くと、すぐに立ち上がって、歩美の方に歩いてくる。

「探し物、見つかった?」

 そう言う歩美は上体をひねり、背中をほぐしている。

「うん」

 微笑んだ授はまた歩美を背負い、ふわりと飛んで、さっき下を覗き込んでいた場所から、ビルとビルの隙間に入る――。

「あ」

 暗く狭い路地で、歩美は授が地面に降り立つ前にその背中から飛び降り、苔の生えた室外機の向こう側へと走る。

「この子でしょ」

 背後で授が頷くのを感じて、歩美は周囲に砂が集められた骨の前に屈み、目を閉じて手を合わせた。

「マオくん……」

 骨は、一匹の猫のものだった。

 階段や雨樋あまどいを伝ってあのビルの屋上に登り、下りられなくなって、転落したのだろう。

 目を閉じた歩美の横に、ふわりと弱い風が吹く。

 授は歩美の隣で、歩美と同じことをする。

 しばらくして、授がすっと息を吸い込んだのを感じ、歩美も目を開ける。

「きれいに、なるかな」

 授が猫の死体に手を伸ばし、小さな革の首輪を、半透明の白い指で拾い上げる。

 血で黒くなった首輪は、金具を外さずとも、白い首の骨の継ぎ目を通り抜けて、授の手の中に納まった。

「手伝う」

 授に、ものを綺麗にする魔法の力は無い。

「ありがとう」

 嬉しそうに微笑む授の目の後ろには、排気ガスと砂埃に汚れた建物の壁が透けて見えていた。

 授は、元の色が分からなくなった首輪を柔らかなハンカチに包むと、それをポケットに仕舞しまって立ち上がる。

 歩美と授はこれから、授の家に帰り、猫の首輪を洗って、授がそれを身に付ける。

 授の首や手首、足首には、服に隠れて、行方不明になって死んだペットや人の持ち物がいくつも付いている。それらは、一縷いちるの希望にすがって彼の占い屋を訪れた人々の、大切なペットや人のものだ。

 授は、その物の持ち主が寿命を迎える頃に、使い古されたそれらを「その人は幸せに生き、最近、遠くで亡くなって、これをあなたにとぼくに伝えてきた」と言って、何年も前に占い屋を訪れた人に渡すのである。

 授には、亡くなった人や動物の魂が――つまり、幽霊が見える。

 授は半分幽霊なのだから、当然なのかもしれない。

 授によれば、行方不明になった人やペットは、亡くなっても、まだ生きている大切な人に、自分たちの不幸は知らないまま幸せに生きてほしいと言うことが多いそうだ。――動物は人の言葉を話せないが、それでも、怨念おんねんのようなものを感じることはほとんど無いらしい。

 授は、事故ではなく、事件によって亡くなった場合でも、その被害者は犯人への恨みではなく、自分の大切な人たちのことを想う気持ちを持っているのだと言う。

 ――授は、幽霊の声を聞いて、殺害事件を解決することもできる。

 だが、ほとんどの場合はそうはならない。

 授はただ、亡くなった者たちの為に、彼らの大切な者たちのために、自分の力を使う。

 再び授の背中に飛び乗った歩美は、暑そうな服の上からこっそり、様々な人や動物の持ち物に触れる。

 授の身体に着けられた、ネックレス、首輪、腕時計、チェーンに通した指輪に、おもちゃ――。

 それらは何にも繋がれていないのに、授は何かに繋がれているみたいだ。

「優しいね、授くん」

 授は聞こえないふりをして、ふうん、と適当に返事をし、今にも潰れそうな細い路地へと滑り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

半霊的なフォルスフッド・テラー 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ