第2話 最高の遊び

「さて、今日は店じまい」

 さずくが腰に手を当てて伸びをすると、歩美はランドセルを屋台の外に放り投げ、ぐに手をげる。

「手伝う!」

 歩美が小さい頃から彼女の遊び相手をしていた授は、危ないからなどとは言わず、一緒に小さな屋台を物置に片付ける。

「ね、乗せて乗せて!」

 物置から出ると歩美は、返事も待たずに授の背中に飛び乗る。

「今日は、探し物があるんだ。ちょっと寄ってもいい?」

 授はふわりと揺れて歩美の勢いを受け止めると、振り返ってあまり血色が良くない口の端を上げ、穏やかに微笑む。

「いいよー!」

「ちゃんと掴まっててよ」

「はーい!」

 両のこぶしを天に突き上げて叫ぶ歩美の両脚を、授は両手でしっかりと支え、地面から数センチだけ浮いて、ゆっくりと滑り出す。

 歩美と授は、まだオレンジ色にはならない住宅街を、軽くジョギングする程度の速度で滑る。

 歩美は小さい頃から、これが好きなのだ。

 見慣れた街が夢の中にひたっているようで、身体からだが軽くて、不思議で、とても楽しい。

 く人々は、空中を滑る授と歩美を景色の一部のように見るか、または、あらこんにちは、と挨拶をしてくる。

 これは、授と彼の体質がこの町で少し有名だからなのか、授の不思議な力のせいなのか、歩美にはよく分からなかった。

 半袖半ズボンの服から露出した肌が、授の、体温の低い身体に触れている。

 興味本位で平熱を尋ねたことがあるが、三十度もあれば高い方だという。

「あれ、授くん、シャンプー変えた?」

 歩美は柔らかな黒髪の匂いを遠慮なくぎ、また興味本位で質問する。

 授からはいつも、不思議ないい匂い――それは幽霊の匂いだと歩美は思っている――がするが、今日はいつもと少し違う気がする。

「ああ、香水かなあ。嫌だった? ごめんね」

 授は歩美には分からないどこかを目指してすいーっと進みながら、申し訳なさそうな顔をしているらしい。

「嫌じゃないけどさ、香水? 授くんが?」

「なんだよう。意外そうに」

 授は赤信号を前にゆっくりと停止しながら、口を尖らせる。

「意外だもん。授くん、何もしなくてもいい匂いするから、香水なんかいらないし」

「へへ、そーお? でもさ、ぼくだって十九だよ。そういうのに興味が出てくる年頃なの」

 授は分かりやすく照れながら、もごもごと言い訳をする。

 そういうのに興味が出てくる年頃――。

「シシュンキだ! 保健の授業で習った!」

 信号待ちをしている人たちが振り返るほどの大声で歩美が発表すると、授の首の後ろがぼっと音を立てて桃色に染まる。歩美の手足に感じる温度も、一、二度上がる。

「ぼっ、ぼくはぁ、学校行ってなかったからぁ、よくわかんないなあ。あははは」

 授は熱くなった身体で歩美を左右にぶんぶん揺らしながら、今度はしどろもどろで言い訳をする。

「あのね、シシュンキって、女の子のこととかが気になって、それで、身なりに気を使ったりするようになるの。授くんは十九歳だから、他の子たちと比べたらちょっと遅いと思うけど、それはコジンサっていうものだから、悩む必要はないんだよ」

 歩美が親切に教えてあげているのに、授の半透明な首の後ろは桃色を通り越して紅色になっていく。

「ああああああと、ほら、他の占い屋さんを見るとさ、ええと、お、おこうとか、ああああアロマとか、色々こだわってるところも多いしさ、ね、ほら、それっぽくなるかと思ってさ」

「授くんの占い屋は、何も無いのがいいんじゃん。ま、この匂いも好きだけど」

 授はつむじをすんすんと吸われて、どうしようもない時の笑い声を上げる。

 それを待っていたかのように、両側一車線の車道の信号が黄色になり、やがて赤になり、それから少しして、歩行者信号が青になる。

 どんな時でも、授が左右を見てから道路を渡るのは、歩美に手本を見せるためにできた癖である。

「あ」

 縞模様しまもようの横断歩道を渡り終える直前、目の前の歩道を横に歩いていく子供たちを見て、歩美は思わず声を漏らす。

 さっき、公園で見た女の子たちだ。

 彼女たちは、最近流行はやっているデコ写真帳を見せ合い、歩美にはよく分からないことを高い声で話しながら遠ざかっていく。

 彼女たちがジャングルジムに登ってやっていたのは、デコ写真帳のための写真撮影だ。歩美には、ジャングルジムの、頂上を目指すこと以外の使用法が理解できない――。

 授は歩美に、あの子たちとは遊ばないの、とか、学校では何が流行っているの、とかいったことはかない。

 歩美は昔から、女の子より、男の子と遊ぶのが好きだった。

 しかし四年生に上がった頃から、クラスメイトから「男好おとこずき」と言われるようになり、それからは男の子と話すのをやめた。そして女の子たちと遊園地へ行ったり、ショッピングモールに行ったりしてみたが、頭が痛くなるばかりで、何が楽しいのか分からなかった。

 だからこうして、学校が終わったら走って帰り、授と遊ぶ。これがいいのだ。

「ちょっと、細い道に入るよー」

 気が付くと、歩美と授はさっきの交差点からだいぶ離れた所を滑走しており、授は少し身体を傾けて、細い路地にれようとしている。

「いえーい!」

 広い道を堂々と進むのも気持ち良くて楽しいが、肩がこすれそうなほどに細い道をうように行くのも、スリル満点で最高に楽しい。

 授はふふ、と笑って、おばけが出そうな暗い路地に、半透明の身体を滑り込ませる。

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