第65話 歌声

「人間にとって快適な寝床ですか? うーん、そうですね……。心当たりがあるので着いてきてください」


 マリンは俺の話しを聞いて快く案内してくれた。

 やって来た場所はせせらぎが心地よい川辺だった。気温が低く、息苦しくない。海から吹く風も周りの高い木のおかげで塩分が無くなり、湿度が良い具合に保たれていて心地よかった。


「なるほど、ここなら快適に眠れそうだな」


 俺はキクリと共に、簡単な小屋を建てた。キクリの技術があれば何ら難しくなく、一日で完成してしまった。木を切って正方形の頂点に一本ずつ立てる。間に細長く切った木の枝を縄で結んだ。大きな葉を下の枝から引っかけていき、壁を作る。

 水気を弾く大きな葉を斜めになっている屋根状に並べて行っただけの簡単なつくりだ。

 ただ、家を作っていたら時間があっという間に過ぎ、すでに夜になっていた。


「はぁー。快適……。これならぐっすりと寝られそうだわ……」


 コルンはキクリが作った簡易ベッドに寝転がり、弱ったお婆さんのように微笑んでいた。一番辛いのは寝不足のコルンなので早急に寝てもらう。

 

 俺とフィーア、キクリは交代で火の番を行う。まあ、まだ夕食前なので、コルン以外寝ていない。


「ディアさん、夕食をお持ちしました」


 マリンは川の底がはっきりとわかるほど綺麗な川から上がり、身が銀色で輝いている川魚を八匹ほど取って来てくれた。


「ありがとう、マリン。凄く助かる」


「えへへー。ディアさんに感謝されると、すごく嬉しいです」


 マリンは魚のヒレのような耳をパタパタと動かし、無邪気ながら優しい笑顔を浮かべている。尻尾で無意識に水面をバシャバシャと叩いていた。


 川魚はキクリが気づかぬ間に処理し、遠火で焼いていた。薪の煤が魚の皮に大量についているが、めくれば問題なく食べられる。


「海の民の主食は魚なのか?」


 俺は海の民の生活模様を隣に座っているマリンに訊いた。


「はい。海や川で取れる魚を食べています」


「海の民って海で生活しているのか? それとも陸地?」


 フィーアも気になったのか、マリンに質問した。


「えっと、海に潜りっぱなしは呼吸ができないので無理です。だから、普段は陸地で生活しています。でも水中で泳ぎながらディアさんの瞑想の時間(三〇分)くらい息を止めていられますよ」


「ふえぇー。凄い。おれは五分で限界だ」


 キクリは焼けた魚に食らいつきながら驚く。


 俺達はマリンと会食を行った。その間、マリンと沢山話す。コルンが眠っているが翻訳魔法は解除されていなかった。体調が悪い時に無理に解除すると危ないのかもしれないな。


 会話していてわかったが、マリンは海のようにおおらかだった。特に歌声が最高だ。

 透き通る高音。心地よい流れ。気を抜いたらすぐに眠れそうなくらい優しい。


「マリンは良い声だな……。海の民は歌が上手いのか?」


「海中だと言葉が届かないのでちょっとした音波で会話するんです。その波長が他の種族にとってすごく心地いいみたいなんですよ。気に入っていただけましたか?」


「ああ、すごくいい歌声だった。キクリなんてもう眠ってるぞ」


「あらあら、お腹を出して寝たら風邪をひいてしまいますよ」


 マリンはキクリの服を下げ、腹筋バキバキのお腹を隠す。


「森の民は長寿だが、海の民も長寿なのか?」


「うーん、そうですね……。多分、普通の人族と変わりません。海の中は危険がいっぱいで怪我や捕食されて命を落とす者が多いです。子供なんかは特に……。陸にずっといても戦う技術がほとんどないので猛獣に勝てませんし、海や川で餌をとって生活するしかありません」


「地上よりも海の中の方が弱肉強食なんだな……。魔法とか使えないのか?」


「使える者もいますが私は使えません。魚を追いかけて捕まえるだけしか能が無い種族なんです……。泳ぎが早くて餌を取れる強い者が生き残り、弱い者は海に消えていきます……。だから、命の価値が少し低いんです。そんな海の民の雌は強い方と交尾をして強い子供を沢山産まないといけないんです!」


 海の民は短命なことが多いため、他の種族と貞操観念が少々違った。


「いわば知能は高いが行動は動物っぽいっ種族と言うことか。なるほどな」


「ディアさんの子種を私にください! なんなら、多くの海の民の女性にディアさんの子を産ませてあげてください! ディアさんは海の怪物である棘竜(トランドラゴン)を倒すほどの男性です! マグロやカジキを取ってくるなんてものじゃありません。あの棘竜を持って海の民に求愛すればだれとでも結婚出来ます! なんなら、全ての海の民の雌にディアさんはやりたい放題、孕ませ放題です! 子を育てるのは女の仕事なのでディアさんは何も気にせずお帰りください!」


 マリンは俺の肩に手を置き、目を血走らせながら話す。ドルフィンのような太い尻尾で地面を叩き、鼻息が荒くなっていく。雄を捕食する雌カマキリのような威圧感を放っていた。


 ――なるほど、コルンはこのことを知っていたのか。どれだけでも出来るのは魅力的だが、相手は次から次にやってくる可能性がある。そうなったら死ぬのはこっちだ。だから、手を出すなと。ありがとう、コルン。お前のおかげで俺は命拾いした。


「ま、待て待て……。悪いが、俺は欲求不満じゃないんだ。海の民の種族繁栄に貢献することはできない。すまないな」


「うう……。そうですか……。ものすごく、ものすごーっく残念です……」


 マリンは肩をすぼめ、尻尾と体から力を抜く。釣られて時間が経った魚のように覇気がない。


「まあ、なんだ。マリンは死にかけたが生き残ったんだ。なら、海の民の為ではなく自分の為に生きたらいいじゃないか?」


 俺はマリンのつやつやな髪に触れながら頭に手を置いた。


「私の為に生きる……。わ、私の為に生きるってどういうことですか?」


 マリンは種族繁栄のことしか考えていなかったのか、とぼけた犬のように首を傾げた。


「それはマリンにしかわからない。まぁー、自分が好きなことについて少し考えてみろ」


「わ、わかりました……」


 マリンは腕を組み、尻尾で地面をぺしぺしと叩きながら考える。


「泳ぐこと……、食べること……、遊ぶこと……、寝ること……。うーん、どれもしっくりこない。私は何が好きなんだろう」


 マリンは長い時間、考えていた。俺とフィーアは初々しいマリンの姿を見て微笑む。悩むと言う行為は賢い証拠だ。


「歌うこと……。私、歌うことが好きです! ディアさんに褒められて物凄く嬉しかった。私は歌に生きます! って、どういう意味ですか?」


 マリンは好きなことに気づいたが、そこから繋げられなかった。

 ハキハキ喋るが思考回路が極端に少ない。まるで幼稚園児や保育園児と話しているような感覚に近い。


「歌は世界で人気だ。なんせ、言葉がわからなくても心に響く。今、俺とフィーアはコルンの翻訳魔法でマリンの言葉がわかる。歌も翻訳されて聞こえた。でも、声だけでも十分感動できたんだ。マリンなら世界を震わせる歌を披露できる。大きな劇場で多くの観客に歌を届け、拍手喝さいを浴びるんだ」


「そ、そんな。言い過ぎですよ。私、ここら辺の海域から出た覚えが無くて……。世界なんて知りませんし……。なんか怖そうじゃないですか……」


 マリンは指先を突き、呟く。箱入り娘みたいな状態だったんだな。まあ、箱と言うには、海は広すぎるか。


「超巨大なトランドラゴンと水中で食うか食われるかの競争をする方がよっぽど怖いっつーの。それ以上の恐怖なんて滅多に感じられないさ」


「ええ……。私、あの時、ものすごく楽しかったんですけど……。背後から迫る超巨大な口、鋭い爪、硬そうな鱗。尾びれを一度動かしただけで大波が立ち、気を抜けば一瞬で追いつかれるドキドキ感! あんな追いかけっこは一生出来なさそうです!」


 マリンは微笑みながら両手を握りしめている。頭がとち狂っているな。

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