第49話 東国を出る

 夕方、ゲンナイは漁港から旬の魚や貝、イカ、タコなどを持って来た。なんなら肉類も買って来ているし、山菜類も大量だ。


 今日は五名で食事の準備をした。昔、一人でいた時と比べて考えられないほど楽しい時間で食事の準備だけでどれだけ笑ったか……。

 俺は呪われているが、今、幸せを噛み締めている。皆で作った鍋を天井から垂れている鎖に吊るし、中身を炭火で温めていく。

 海鮮肉山菜たっぷり豪快鍋を依頼の完遂とキクリの門出を祝って食す。食事のお供はキクリお手製の米酒だ。キリっとした飲みごたえが油っぽい鍋との相性が最強だった。


「皆、聞いて聞いてっ! もうずっと昔、ディアが若いころね『俺は最強だぜ』とか言ってカッコつけてたんだよーっ!」


 酔っぱらったコルンは俺の黒歴史を言い始めた。


「お、おいっ! 何年前の話しをしてやがる! というか、そんなこと一言も言ってない!」


「あはははははっ! 必死過ぎっ!」


 コルンは顔を赤くし、大きく笑う。コルンは酔っぱらうと笑い上戸になるのだ。


「おれ、最強だぜー。って、ディアが言ってたと思うとなんかダサく聞こえるー」


 キクリははにかみながら、俺が持っている開いたおちょこに米酒を注いできた。


「な、なにをー。お、俺は……く、い、言えん」


 俺は若いころのように大見え切って言えなかった。やはり歳を取ると恥ずかしい発言が出来なくなってしまうようだ。


「なら、最強になればいいんじゃないか?」


 ゲンナイはおちょこを掲げながら冗談交じりに提案してきた。


「確かに……。よーし俺は最強になってやるーっ!」


 俺は米酒を口に含み、一気に飲み干す。喉を通る米酒が胸を熱くした。


「おおー、意気が良いじゃねえか!」


 ゲンナイもおちょこを傾け、米酒を飲み干した。


「負けてられん。俺は最強になるんだぁー」


 俺は酒に酔い、ゲンナイに張り合った。結果、ベロベロになってしまい記憶が飛ぶ寸前まで行ってしまった。


「う、ううん……」


 俺はかろうじて意識を保っていた。だが視界はぼやけ世界が回って見える。


「すぴぃー、すぴぃー」


 コルンは布団の中で幸せそうに眠り、涎を垂らしまくっていた。顔だけ出ていると子供としか思えない。まあ、小柄な体が出ていても同じか……。


「すぅ……、すぅ……」


 フィーアも酔っぱらい、耳の先が赤くなっている状態で眠っている。やはり綺麗だ。


「ぐごごごごご……。ぐががががが……」


 ゲンナイはいびきを掻きながら布団の上に倒れ込んでいる。満面の笑みを浮かべ、心地よさそうだ。


 ただ、キクリの姿が無かった。

 俺は立ち上がろうにも泥酔状態なので脚が縺れ、移動もままならない。


「これでよし。食器も洗い終えたし、火も消した。皆、布団に移動させたし、ディアとおれの布団も敷いた」


 キクリの声がどこからか聞こえ、頭を動かして探す。


「ああ、ディア。起きたのか。頭がふら付くだろ、まずは水を飲め」


 キクリらしき者が俺の背後に回り、コップを口に当てて来た。正直、持って真面に飲めるか心配だったのでありがたい。口の中に入って来た水を嚥下し、胃の中に流し込む。


「はぁ……。水が美味い……。ありがとう、キクリ……」


「なに、気にするな。じゃあ、ディアが目を覚ましたことだし、一緒に風呂に入ろうか」


 キクリは俺の両脇に手を入れ、軽々と持つ。そのまま抱き上げられ、風呂場に向かう。


「風呂か……」


 脱衣所で俺はキクリに脱がされ、すっぽんぽんになった。頭がほわほわしている状態で風呂に入ってもいいのかと思ったが、キクリは風呂場で俺の体を暖かいお湯につけた布で拭くだけだった。


「気持ちいい……。キクリ……、ありがとう……」


「なに、気にするな。おれは酒に強いからな。宴会の後処理くらい一人で十分だ。あと、鉱山に蔓延るロックアントの女王を討伐してくれたディアの手伝いができるなんて光栄だよ」


 キクリは暗闇の中、カンデラの明りを頼りに俺の髪や体を拭き終えた。と思ったら、背後からキクリが抱き着いてくる。


「ディア……、おれの体……なんでかわからないが滅茶苦茶熱いんだ。心臓がドクドク脈打ってて……、ひんやりしたディアの体にくっ付くと心地いい」


 キクリは産まれたばかりの状態で俺に抱き着いていた。そこはかとない小さな膨らみが背中に当たる。小さいのに柔らかさを感じることができ、俺の心臓も高鳴ってしまった。


「ば、馬鹿……、なにしてる。こういうのはしないって……、さっき決めただろ……」


「ディアは……コルンとキス出来ると言ったな。じゃあ、おれともキス出来るか?」


 キクリは背後から前に回って来た。カンデラの淡い橙色の光に照らされている彼女は子供っぽさを感じさせない色気を放って見える。俺が酔っていたせいか、はたまた彼女はもとから色気を持っていたのか。鈍った頭じゃ考えが纏まらない。だが、質問に答えることはできた。


「ああ……、でき……」


 俺が言い切る前にキクリは両頬に手を当てる。すると風呂場の床に見える黒い人影がくっ付く。

 気が遠くなりそうなほど長い間、影がくっ付いたままで俺の手が次第に彼女の背中に回った。窒息したのか、酔い過ぎて意識が飛んだのかわからないが、その先は全く覚えていない。

 意識がない状態で俺がキクリに何かできるわけがない。何も起こらなかったはずだ。うん、何も起こらなかったはずだ。記憶がないから何とも言えないが。


「う、ううん……」


 俺は目を覚ますと布団の上だった。あれだけ酔っていたのに頭痛がしない。逆に視界がすっきりしているくらいだ。キクリが作った米酒の質が良いのだろう。


「ディア……。さむぃ……」


 キクリは案の定、俺が寝ていた布団に潜り込んでおり、胸当てと下着をつけた姿で眠っていた。ちょっとは配慮できるようになったらしい。


 俺は布団をキクリの肩まで掛けたあと服を着替える。下着と内着は付けていた。キクリが履かせてくれたのだろう。

 春が近づいているとは言え、朝は冷え込むのでさっさと森の民の姫が作ってくれた服を着て肩からローブを羽織る。


 現在の時刻は午前五時頃。まあまあ早めの起床だ。外はまだ薄暗く、出歩くのは危険。部屋の中で大人しく瞑想でもしていよう。


 午前六時頃、キクリとゲンナイが目を覚ました。ゲンナイは朝早くから仕事を行うため、鍛冶場に向かう。キクリは朝食の準備を始めた。


「ディア、おはよう」


 俺が瞑想を終えると、キクリが話かけて来た。俺がされて嫌なことを守り、瞑想中は話しかけてこなかったのだ。


「ああ、おはよう。……って、お、おいおい、おいっ!」


 キクリがどんどん迫ってきて、じくじくに熟しまくった果実くらい柔らかい皮膚が俺の柔らかい皮膚に当てられる。

 そのせいで刺激が頭に伝わり、パンっと弾けそうになった。


「おはようの口づけだ。夜はお休みの口づけをする。ディアは昨日の夜、おれとキスすることは別に嫌じゃないと言ったもんな」


 キクリはニシシと笑って朝食作りに戻った。なんで、そんな心擽る良い笑顔が出来るんだ。


「た、確かに言ったが……。そう、頻繁にすることじゃないだろ」


「挨拶だ、挨拶。あんまり深く考えるな。挨拶なら、頻繁にするだろ。気が知れた相手に口づけをするなんてこっちじゃ、ごく普通のことだ」


「そ、そうなのか? じゃあ、致し方ないか……」


 俺は東国の風習を重んじる。別にキスが悪いことじゃない。なんなら、キクリと仲が深まってちょっと良い気分になれた。朝っぱらから仕事が頑張れそうなくらい心が温まった。


 午前七時を過ぎるとコルンとフィーアが目を覚まし、朝食を得に来たゲンナイが居間に戻ってくる。囲炉裏を出し、皆で暖かい味噌汁と白米を食した。


「はぁー、嫁入り前のキクリの手料理が食べられるのはこれが最後か」


 ゲンナイは両手を合わせ、感謝の気持ちを込めた後、キクリに似た微笑みを浮かべる。やはり血が繋がっているんだな。


「ちょっ、じっちゃん! 何言ってるの!」


 キクリは頬と耳を赤らめさせ、珍しく怒鳴った。だが、威圧感のあるドスが利いた声ではなく鈴のような心地よい声なので拍子抜けしそうになる。


「はははっ、孫をちょっとからかっただけだ。じゃあ、わしはこれを食ったら仕事に戻る。気をつけてな」


 ゲンナイは料理を無言で食した後、多くを語らず髭を撫でながら居間から出ていく。


「じっちゃん! おれ、立派に成長して帰ってくるから!」


 キクリはゲンナイの背中に向け、大きな声を出した。


「ああ。待っててやる」


 ゲンナイは微笑みながら草鞋を履き、家を出た。


「ふぅ……。よし!」


 キクリは両手を握りしめ、虎茶色の瞳を輝かせた。玄関から入ってくる陽光がつるつるな肌に反射し、彼女の肌のきめ細やかさがはっきりとわかった。振り返った時の雰囲気は歴戦の猛者を彷彿とさせる。


 朝食の後始末をあっという間に終える。俺達も手伝ったからなおのこと早かった。


「皆、忘れ物は無いな?」


 俺は大剣を背負い、革袋(ボンサック)の紐を肩に掛けながら問いかける。


「ええ、完璧よ」


 コルンは藍色っぽいローブに身を包み、魔女帽子をしっかりと被った。


「ああ。問題ない」


 フィーアは弓と矢筒を背負い、ボンサックを持って立ち上がった。


「いよいよか……」


 キクリは新調した大斧を背負う。ボンサックを右腰に携帯し、片手斧を左腰に掛けた。服装は革製の胸当てと生地が厚い短パン、肩から深緑色のローブを羽織っている。武器はデカいがフィーアと同じく軽装備だ。


 俺はキクリの家を出て、透き通るように青い空を見上げた。


「天気良好、これなら、船を出してもらえる。思ったよりも時間がかかったからな。帰りは飛行船でルークス王国に向かうぞ」


「はぁ……。仕方ないか」


 コルンはため息をつき、すでに気が重そうだ。


「船でも酔うんだから早く着いたほうがいいだろう。私が魔法をかけてやるから、頑張ろう」


 フィーアはコルンの肩に手を置き、元気づける。


「飛行船に乗るのか! あの空を飛ぶやつに乗れるのか!」


 キクリはすでに目を輝かせ、子供っぽさ全開だ。やはり、昨日見た色気むんむんのキクリは俺の見間違いだろう。


「ああ、乗れるぞ。じゃあ、早速出発だ」


「おおーっ!」


 コルンとフィーア、キクリの三名は大きな声を上げる。


 俺達は東国の港に向かった。飛行船は来ないが近くのクゴウチ国まで船が出るそうなので漁船に乗せてもらう。小人族の漁師曰く、取った魚を売りに行って儲けるそうだ。

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