第40話 地の底

「こ、壊れない……」


 俺は眼球だけを動かし、辺りの状況を見る。巨大なロックアントの女王の胸が地面に置かれてなお、地面は壊れなかった。


「ふぅ……。今の衝撃で壊れないのなら問題な……」


 何かが目の前にドシャンっ! と落ちて来た。三〇センチメートルほどのロックアントで、腹部が地面に埋もれている。


「あ……」


 高い天井に残っていたロックアントの個体が女王の体が地面に降ろされた際、大きめの振動により驚き、真下に落ちて来たと思われた。


「走れっ!」


 俺は咄嗟に叫ぶ。地面に大きな亀裂が入り、命の危機だと冒険者の勘が叫んでいた。


「くっ!」


 コルンは腰を抜かしそうになりながら足を無理やり動かし、フィーアは俺が言う前に走っていた。


「ちょ……」


 キクリは先ほどまで力を入れ過ぎていたのか、体がプルプルと震え、身動きが取れなくなっていた。筋肉の疲労によりすぐに走れなかったらしい。


 ――この中で体が一番軽いのは俺だ。今の俺なら……。


「キクリ、動くな! 俺が行く! コルンとフィーアは八階層からすぐに出ろ!」


「ちょ! 私の魔法で浮かせればいいじゃない!」


 コルンは俺の方を向きながら言う。


「魔力は温存しておけと言っただろ! 全部使い果たしたら、お前はお荷物になる!」


「く……」


 コルンは事実を受け止め、口をつぐみ、ただ走った。


 俺が走っている間、地面はパキパキと割れ、亀裂がどんどん入っていく。


「でぃ、ディア……」


 キクリは少々泣きそうになっており、震えていた。動けない状況で置いてけぼりにされるとでも思ったのだろうか。


「俺達は仲間だ。見捨てたりしない」


 俺はキクリを抱き上げ、地面が割れていない場所を選び、弧を描くように走った。


 ――コルンの身体強化が切れる前に走れるだけ移動しろ!


 俺は疲労が蓄積した脚に鞭打って全力で走る。おっさんの体だったら剣術を数回使っただけで使い物にならなくなった体だが子供の体は体力が多く、よく動く。だから、この状況でも体の底に力が残っていた。


「うう、ごめん、ディア……。おれ、もっと痩せておけばよかった……」


「馬鹿野郎、ぜ、全然重たくない。軽すぎるくらいだ」


 ――嘘だ。ものすごくおっもい。子供体型なのに大人の男を担いでいるみたいだ。筋肉質で骨太だから仕方ないか。


 俺は氷が割れるようなバキバキと言う耳障りな音を聞きながら、脚が千切れそうになるほど直走る。さっきから走ってばかりだ。


「ディア! 急げ!」


 フィーアは入口を開け、出口を確保していた。やはり周りが良く見えている。優秀な冒険者に成れるな。


「はぁ、はぁ、はぁ。つっ! おらっ!」


 俺の脚は限界を迎え、筋肉が引きつった。こけそうになるのを必死にこらえて目の前にある入口にキクリを投げ入れる。


「ちょ! ディア!」


 キクリは俺の方を見ながら投げ飛ばされ、八階層の入り口に転がり込んだ。その瞬間……俺の体がふわりと浮いた。


 八階層の地面が割れ、天井が抜けるように巨大な岩や石が真っ逆さまに落ちていく。その中にちっぽけな子供姿の俺もいた。


「なっ! どうなっているんだ!」


 周りは暗くて何も見えない。だが、驚くほど深い。世界の裏側にまで繋がっているんじゃないかと錯覚するほどだ。光がある方を見ると八階層だと思われる。魔石の照明が上側を知らせてくれた。


「ディアぁああああああああああっ!」


 キクリとコルン、フィーアと思われる三名が叫ぶ。


 ――一瞬で考えろ。すでに落下死してもおかしくないくらいの高さから落ちてる。とにもかくにも地面までの距離がわからなかったら意味が無い。


 俺は懐から照明用の魔石を取り出し、下方向に向って投げた。魔石は何か硬い物に当たったと思われる衝撃音を起こし、俺の微量な魔力に反応したのか淡く光ってくれた。


「くっ! こんなところで死ねるかっ! すぅ……。ルークス流剣術、シアン流斬!」


 俺はゲンナイの剣の柄を力強く握り、淡く光っている魔石目掛けて攻撃を放つ準備をする。

 体がぐらつくのを体幹で制御し、どの方角からでも剣を地面に叩きつけることだけを考える。一瞬でも拍子がずれれば俺は……死ぬ。


「おらあああああああああああああっ!」


 剣先が地面に触れた。その瞬間、力の進行方向が地面と垂直ではなく平行に変わった。


「くっ! ぐふっ! ぐはっ!」


 受け身の型であるシアン流斬により、体が向かう方向は変わったものの落下している間に得ていた加速は無くすことが出来ず、地面を勢いよく転がる。

 視界が悪いせいで、どれほどの広さがあるかわからない。加えて、頭上から降ってくる岩や石が当たる可能性もあり、肝が冷えた。

 何度も地面を転がり、何カ所の骨が折れているのかわからない。数秒後、デカい岩に勢いよくぶつかり、肺の中に入っていた空気が全て出たと同時に体は止まった。


 意識が朦朧とする中、頭上を見て落下物がないか確認。落下物は無く、俺と同じ瞬間に地面に到着したと思われた。とりあえず命が繋がり、浅かった呼吸を深めていく。


「はぁ、はぁ、はぁ……。い、生きてる……。いったい、どれだけ落ちたんだ……」


 俺はふら付きながら立ち上がり、当たりを見渡す。視界が悪くよく見えない。

 地面に落ちている魔石を手に取り、ぎゅっと握って光を点ける。すると視界が晴れていく。だが気づきたくない現状まで露になった。


「…………は?」


 俺は辺りを見回した。視界に映ったのは背中に二枚の翅が生えたロックアントが無数……。ぱっと見で万に到達しているのではないかというほどの数がいた……。


「ギュィイイイイイイイイイイイイイイイイイインッ!」


 大量のロックアントの奥に全長何メートルあるのかわからない超巨大なロックアントがおり、背中に翅を生やしていた。


「……新女王」


 俺は悟った。この大きな穴は新たな群れの寝床だったのだと。


「お、起こしちまったのか……」


 俺は身を震わせる。数の暴力と大きさの威圧に嫌でも足がすくむ。


「ディアっ! ディアっ! 無事なの! 返事して!」


 大穴の天井からコルンの声がする。


「ディアっ! ディアっ! おれ、飛び込んで探してくるっ!」


「ちょ! キクリ、待て。今、この穴からロックアントの声が聞こえた。ここの中にもロックアントの個体がいる。ここにいたら危険だ!」


 キクリやフィーアの声も聞こえた。


 ――このままじゃ、上の三人も巻き込んじまう。今ならまだ間に合うかもしれない。


「コルン、キクリ、フィーア! 緊急事態だ! 今すぐ逃げろっ!」


 俺は魔石の光を手で遮ったり、曝したりしながら光信号を送る。


 だが、何かもめている声が聞こえた。もめている時間なんて無い。ここにいたら皆、食い殺される。


「ギュィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインッ!」


 ロックアントの新女王が叫ぶと止まっていたロックアントたちが全員中央にいる俺の方を向いた。皆、大あごをカチカチと鳴らし、威嚇音を発していた。


「こ、こりゃ、やばいな……」


 俺は逃げ場を探すも、逃げ場なんてあるわけない。全体の広さすらわからないので、ロックアントたちがいったい何匹いるのすらうまく想像できない。

 一階層から八階層までのロックアントの数がいるのだとしたら、俺は生き残れる気がしなかった。


「ふぅ……。だが、やることは決まってる。新女王を倒せば、今後、ロックアントの被害が出にくくなる。あのデカいやつを一体倒せばあとはどうにでもなるはずだ……」


 俺は死の恐怖を何度も味わって来た熟練の冒険者だ。いったん冷静になり、剣の柄を握って呼吸を整える。そのまま一歩、足を踏み出そうとした。


「…………あぁ、体が限界に近かったんだったな」


 俺はキクリを助けた時、残りの体力を完全に使っていた。脚を一歩動かすのですらまともに出来ない。


「ギュィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインッ!」


 ロックアントの新女王が叫ぶ。すると周りにいたロックアントたちが土砂崩れのように中央に向って移動してくる。


「くっ……」


 俺は脚を動かそうとするも上手く動かない。なんなら体に掛かっていた『身体強化』が切れた。どうやらコルンが一定距離をとったらしい。あいつらは逃げてくれたようだ。


「はぁ……。仲間は逃がせたが、ここが俺の墓場か……」


 俺は剣を握る力も無くなり、虚しさが残る。このまま死んでもいいのかと言う心の声が聞こえた気がした。どことなくパルディアのような勇ましい声だ……。

 以前なら容易に構わないと言えたのだが、知り合った三名との時間が楽しく、名残惜しい。そう考えてしまった。やっと冒険者としての新たな道を歩み出せたと言うのに……。


「ふ……、何の抵抗もせずに食い殺されるだけなんて情けなさすぎてあの世でパルディアに会えないっ!」


 俺は人生最大の好敵手であるパルディアを思い出していた。もう、無理だと思った時が強くなれる最高の時間。その瞬間をみすみす逃してたまるか。緩みかけていた手の力を戻し、不格好に構える。


「はあああああああああああああああああああああああっ!」


 俺は大声を出して全身に力を込め、気を溜める。目の前に迫るロックアントの数匹を道連れに……、そう思っていた。


 目の前に爆竹が現れる。パンパンっ! と言う爽快な音が辺りに響いていた。


「ギュィイイイイイイイイイイイイイイイイイッツ!」


 ロックアントたちは不快な音を聞き、大変嫌がっていた。


「おらあああああああああああああっ!」


 頭上から降って来たのは大斧を振りかざしている一人の少女だった。両腕の筋肉が盛り上がり、全身を使って地面に大斧を打ち付ける。


 俺の体は地面から帰ってくる衝撃により宙に浮いた。この場にいるロックアントも同じく浮き上がる。大剣が打ち込まれた地面は陥没し、蜘蛛の巣状のひび割れが大量に発生していた。あまりにも高火力で俺は苦笑いしか出来なかった。

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