第36話 三人の限界

「……やっぱり、少し錆びてるな」


 ブラックベアーの首を掻っ切った剣は三〇年くらい使ったと言われて信じるくらい古びていた。ただ五〇〇年は使えるはずなので布で油や血を拭き取ると綺麗に戻った。体の調子を確認すると傷は塞がり、骨もしっかりとくっ付いている感覚がある。


 ――子供の体は治癒が早いな。おっさんとは大違いだ。


 全身の感覚を確かめ、朝と大差ないことに安堵し、座布団に座った。


「これなら、明日も鉱山に潜れそうだな。時間を空けたら増える可能性があるし、さっさと終わらせないと……。って、焦りは禁物だ」


 俺は瞑想をして気分を落ち着かせる。


 三〇分後、俺とコルン、フィーア、キクリ、ゲンナイは囲炉裏の周りに座り、熊鍋を食う。


 俺はメリー教授に頼まれていた米酒と言う米から作られた酒をゲンナイに頼んだら、試しに飲ませてもらった。キリっとした飲み口でエールのようにがばがば飲む品ではなく、小さなコップに少しずつ出してチビチビ飲むような酒だった。これが美味くて心地よく酔える。料理も美味いし、何もかも最高の国だ。


「ぷはっ……。米酒は鍋に合うなぁ。ブラックベアーの肉に脂身が多いからなおさらよく合う。仕事をして帰って来たらこんな美味い飯が用意されてたら、泣く自信しかないぞ。ああー、キクリみたいな嫁さんがほしいー」


「はははっ! もってけもってけ! ディアならわしも安心して託せる!」


 ゲンナイは熱々の米酒をグイッと飲みながら頬を真っ赤にして言う。


「じ、じっちゃん! な、何言ってるの!」


 キクリは頬を赤らめ、叫んだ。


「だってよー。きくりー、俺の嫁になれよぉー」


「ば、馬鹿やろう。そ、そんなこと、簡単に言うんじゃねえよ!」


 キクリは俺の肩を軽く殴る。


「そうら、そうらーっ! 会って間もない相手に求婚するんじゃなーいっ! どうせ言うなら、わたしにいえぇー!」


 コルンは米酒を飲みながら、完全に酔っていた。


「ゲンナイさん、もう一杯っ!」


 フィーアも耳を真っ赤にして米酒を楽しんでいた。


 もう、宴会のような雰囲気を楽しみ、夕食を終える。なかなかここまで楽しい夕食になる機会はないので、ぞんぶんに心地よい雰囲気を味わった。


「はぁー、最高だぁ……」


 俺は夕食後、風呂に入り、幸せとは何かをわかってしまいそうなくらい心を穏やかにしていた。


「ふんっ! 入るぞ!」


 キクリは今日も今日とて全裸で風呂に入ってくる。さすがに七日以上行われていれば、それなりに慣れた。別に見慣れたわけではなく行動を予測できるようになっただけだ。


「はぁ……。また来たのか」


 俺はため息をつきながら、膝を両手で抱える。


「今日は酒を飲みながら入ろう」


 キクリは木製の桶に熱々の米酒が入った徳利、空のお猪口を二個入れ、お湯に浮かべる。かけ湯をして全裸の女が同じお湯に入った。


「はぁ……。気持ちいい……」


 キクリの顔は蕩け、ヘロヘロになる。普段、見た目が子共なので色気は全く無い。ただ俺が酒に酔っているせいか、目の前にいる彼女が無性に色っぽく見えた。艶やかな橙色の癖っ毛、しっとりと潤った薄橙色の肌、骨太で筋肉質な肉体なのに優美で柔らかい部分はそこはかとなく脂肪が残っている。

 キクリは男っぽいが誰が見てもまごうことなき……女なのだ。


 俺は頭を振って酔いを醒まそうとするも、全然覚めない。


「ほら、飲もうぜ」


 キクリは徳利から透明で綺麗な液体をお猪口に注ぎ、俺に渡した。彼女もお猪口を持つ。

 俺は土製のお猪口を唇に軽く当て、口に甘味がある米酒を含んで喉が焼けるような感覚を得ながら、嚥下する。


「ぷはぁ……。くぅ……、美味い……」


「あははっ、そうだろう、そうだろう。おれが作った米酒だ。美味いに決まってる」


「これもキクリが作ったのか……。だが、法律は……」


「酒は造っても売らなければ問題ない。甘めの米を使っている酒で、飲み口爽やか。するっと喉を通るから、何杯でも行けるだろ」


 キクリもお猪口を傾け、酒を飲む。こいつは酒に強いようだ。未だ酔っている気配がしない。


「ほんと、キクリはなんでも出来てすごいなぁ……。俺は戦いしかできないから、ほんと尊敬する……」


 俺は風呂の中で寝そうになった。


「おいおい、風呂の中で寝たら最悪、窒息死するぞ」


 キクリは俺の両脇に手を入れ、風呂から出し、風呂椅子に座らせた。


「もう、体が熱々じゃないか……。のぼせていないか?」


 キクリは俺の体に身をよせ、優しく話しかけてきた。

 胸の部分が体に当たっているようで、少々ドキリとする。彼女の口調は男っぽいのに声は鶯のさえずりのように透き通っており、耳にしっかりと入ってくる。見た目と同じくらい可愛らしい声なんて反則だ。


「すまん、キクリ……。おれ、滅茶苦茶酔っぱらってるみたいだ……」


「そうなのか……。じゃあ、今日は最後まで奉仕してもいいってことか……?」


 キクリは俺の耳元で優しく囁いた。背筋がぞくりと震え、血圧が上昇する。


 ――こいつ、誘ってるのか……。だが、酔った勢いなんて……、情けなさすぎる。って……、あ、ああ……、そうか、俺、子供だった。


 俺は性欲よりも睡眠欲の方が優先されるらしく、下半身が元気になるどころか、頭が思いっきり殴られたかと思うくらい強い睡眠欲が襲って来た。


「きくり……、すまん……、俺は寝る……」


 俺は子供体質なので、眠気に勝てなかった。


「もぅ……、ディアのヘタレ……」


 キクリの小さな声が聞こえ、柔らかな唇が頬に触れた……気がする。


 次の日、俺は布団の上で目を覚ました。隣に裸で眠るキクリの姿があり、俺の体に抱き着いている。何かしでかしたかと思い、下半身を見るも、朝の生理現象すら起こっていない。なんなら、この体型になってから一度も使っていない。


 ――触ったら立つのか?


 俺は布団の中で下半身に手をやり、もぞもぞとする。


「あ、立つには立つのか……」


 俺の可愛らしい息子は少々元気になっていた。おっさんだったころはこんな簡単に臨戦態勢にならなかったのに……。やっぱり、子供は元気だな。


「うぅん……。でぃあ……」


 キクリは俺に抱き着き、甘い声で囁いた。声だけ聴いたらどの女よりもドキリとしてしまうほど愛らしい。


 ――た、ただの子供、ただの子供。キクリは初等部のガキンチョと同じ……。


 俺は脳内で、キクリをギレインの愛娘のような存在に置き換える。子供に欲情するわけがない。今、俺に抱き着いているのは子供だと脳内で言い聞かせる。


 俺がおっさんのままだったら普通に襲ってそうな気がするので、今は子供でよかった。

 俺はキクリから離れようと体を動かそうとする。だが、コルンの身体強化が付与されておらず、キクリの筋力が人族の数倍はあるので、全く逃げられない。


 ――こ、この状況、不味くないか。さすがに、裸のキクリに抱き着かれた状態で寝ていたら、他のやつらに誤解される。コルンに知られたら殺されるかもしれない。


 俺はキクリの体を押し、拘束から逃れようとするも、彼女に脚を絡められ、更に動けなくなった。


「く……。どうすれば……」


 俺はキクリの体を擽り、拘束が緩められないか試す。


「ん、んんぁ……、あぅ……」


 キクリは俺に擽られ、身を捩った。


「ちょ、変な声出すな……」


 俺は小さな体を利用し、少々緩んだ拘束から抜け出す。


「はぁ、はぁ、はぁ……。危なかった」


 俺は全裸の状態でボンサックから衣類を取り出す。


「ふわぁー」


 俺がパンツを履こうとしていた時、コルンが目を覚まし、俺と目が合った。


「え……。あ、すぴー」


 コルンは俺が着替えている場面を見て、寝たふりをした。


 ――まあ、今さら全裸を見られたところでなんだって話しか。


 俺は服を着替え、出発の準備を進める。


 三階層、四階層、五階層、六階層と進むごとに、ロックアントの数が倍々に増えて行った。


「はぁ、はぁ、はぁ……。こりゃ、三人じゃ厳しいな……」


 俺は第七階層に続く入口が壊れていたので、コルンと共に直した。だが、あまりの疲労により、俺達は真面に息が吸えていない。

 一日に二階層進む予定だったが、一階層に変更した。四日掛けてここまで来たが、七階層を目前に、三名だと限界を感じている。


「はぁ、はぁ、はぁ……。前衛がもう一人欲しいな。フィーアが前に来ると、抜けられた時、コルンが危険だ」


 俺は鉄扉を背に、地面に力なく座る。


「はぁ、はぁ、はぁ……。そうね。フィーアの中距離攻撃があって余裕が生まれてた。おっさん一人だと、さすがに相手の数が多すぎる。壁も脆いし、強力な魔法を放ったら崩壊しそう」


 コルンは地面にペタンコ座りをしながら、呼吸を整えていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。私の前衛としての経験が浅すぎて、ディアに大きな負担になってる。このままじゃ、次の階で返り討ちに合いそうだ」


 フィーアは胡坐をかきながら、自分の弱点を真剣に見定めていた。彼女は立ち上がり、魔物よけの魔法で扉を守る。


 俺達は階層を上がり、地上に出る。すれ違うように多くのムキムキ小人族が木材を運び、六階層までの補強に取り掛かった。


 俺達はロックアントに付けられた生傷があちこちにある状態で、キクリの家まで戻る。

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