第33話 東国の文化

 鍋の具材が減って来た頃、キクリは東国の主食である米を取り出した。炊いた米らしく、白く艶やかだ。始めて見たが滅茶苦茶美味そうだった。

 炊いた米を水で一度洗っているらしく、ぬめり気が少ない。その米を味噌スープに投入し、鶏卵二個分の卵液を鍋の中に万遍なく投入した。ぐつぐつと火を通し、米がミソスープを吸うのを待つ。鶏卵が良い具合に固まったら米をお玉で器に移し、刻みネギを乗せ、俺達に渡してきた。


「雑炊だ。食ってくれ」


「ああ。いただきます」


 俺達は木製のスプーンで雑炊と言う料理を食した。


「うっまあ……」


 心で感じた思いと全く同じ発言が口から漏れ出す。大声ではなく、絞り出したかのような微かな声。もう、心の底からにじみ出た言葉だ。

 コルンとフィーアは泣きながらしっかりと食し、もちろんおかわりもしていく。


「これが米か……。パンとは違った美味さだ」


 俺は米に感動しながら雑炊を完食した。


 俺達は夕食を終えた。ゲンナイは仕事があると言って鍛冶場に戻り、コルンとフィーアはキクリが居間に準備した敷布団と羽毛布団に挟まれ、ぬくぬくとしていた。


「ディア、もう十分だ。水が冷たいのに皿洗いなんかさせて悪かったな、ありがとう、助かった」


 キクリは布団の準備を終え、料理場にやって来た。


「いや、あんな美味い料理を食わしてもらったんだ。皿洗いくらいさせてくれ。じゃあ、俺は風呂に入ってくる」


 俺は料理の後片付けを手伝ったあと、脱衣所に移動する。


 脱衣所で服を脱ぎ、木製の扉を開けるとヒノキの良い香りがした。

 薪や炭を使い外で温めたお湯を木製の筒でヒノキ風呂に流し込んでいる仕組みのようだ。部屋の中は水蒸気で暖かくなっており、寒くなかった。

 木製の桶で掬ったお湯で体の汚れを軽く落とした後、お湯に浸かる。


「はぁー、蕩ける……」


 俺は脚を悠々と伸ばせる体型のため、風呂に浮かぶような気分になりながら暖かいお湯を楽しんだ。そんな時……。


「入るぞー」


 キクリの声が扉の奥で聞こえた。


「は?」


 俺はキクリの行動が理解できず、頭上に疑問符を浮かべる。彼女は素っ裸で堂々と風呂場に入って来た。子供体型に興奮するわけないが、いきなりの状況に俺は背を向ける。


「ば、馬鹿なのか! なんで入って来てるんだ!」


「なんでって……、客人をもてなすためだが?」


 キクリはこの状況がいたって普通だと言わんばかりの表情をしていた。キョトンとした表情が案外可愛い……。


「きゃ、客人をもてなす……?」


「ああ。そうか、ディアはルークス王国の人間だもんな。えっと、東国は訪れた客人に尽くせるだけもてなすって言う文化があってな。風呂に入った男の世話をするのは女の仕事だ」


「し、仕事。なるほど……。文化の違いか。お、驚かされるな。でも、俺は結構だ」


「まあまあ、気にするな。ディアは人間の大人なんだろう。小人族のちんちくりんな体に欲情するような男じゃないはずだ。それともなんだ、おれの体を見て興奮しているのか?」


「や、やましい気持ちはない。だが、いっぱしの女性の裸体を見るのは気が引ける」


「ほぇー、ディア、案外紳士なんだな。ますます気に入ったぞ!」


 キクリは桶でお湯を掬い、体にザバっと掛ける。三つ編みにしていた髪を下ろした。彼女の少々うねった髪が下ろされるだけで大人っぽくなり、俺の体が熱くなる。


 ――お、お湯に浸かりすぎたか。


 キクリは俺の了承も無くお風呂に入って来た。そのまま俺の背後に抱き着き、温めてくる。


「ディア、おれよりも小さいな。簡単に包み込めちまう」


「う、うるさい。と言うか、離れろ。キクリは裸が見られて嫌じゃないのか?」


「嫌って言う感覚は無いな。これが普通だ」


 キクリは平然とした表情で呟く。慌てている俺の方が子供っぽいじゃないか……。


「はぁ……。そうかい。じゃあ、異文化に触れるとするか……」


「ああ、任せておけ!」


 キクリは笑顔を見せ、俺の両脇に手を入れた。そのまま軽々持ち上げられると、風呂椅子に座らされる。髪を櫛で梳かれたあと固形の石鹸を掴み、泡立てて頭を洗ってきた。小さな手が頭皮を優しく揉みこんでくる。腰が抜けそうなくらい気持ちが良い。


「痒いところは無いか?」


「ああ、無い」


 ――や、やべぇ、張り詰めていた気が溶ける……。


「そうか。じゃあ、そのまま、顔と体を洗っていく。何度も流していたらお湯がもったいないからな」


 キクリは俺の顔を撫でるようにして石鹸を付けてきた。ゴツゴツしい手なのに身を解すような優しい手つきで体を洗ってくる。心地よいなーッと思っていた時、彼女の小さな手が股間に向けられたのを感じた。


「こ、ここは自分でする!」


「そうか? 遠慮しなくてもいいのに。まあ、そうしたいなら構わない」


 ――さ、さすがに今日あって間もない者に頼めないだろ。


 俺は自分で小さな息子を綺麗にした。後方でぷぷぷっと笑われたような気もするが、気のせいであってほしい。小人族にとっては普通くらいの大きさじゃないのか……。


「ぷぷぷっ、ディア、そんな股を閉じて洗っていたら女みたいだぞ。男ならもっと堂々としたらどうだ」


 キクリは脚を肩幅に開き、手を腰に当てて物凄く堂々としていた。


「お、お前が堂々としすぎなんだ」


「ははははっ! よく言われる! キクリは男みたいだなってな!」


 キクリは高らかに笑い、桶をお湯に突っ込んで俺の頭の上からザバっとぶっかけてきた。

 一瞬、息が出来なかったが、耐える。何度か同じことをして体に付いた泡が全て落ちきった後、もう一度風呂に入って体を温め直す。その間、キクリは風呂椅子に座り、体を洗った。

 キクリの髪は癖っ毛なので、一人で髪を梳かすのに苦労していた。


「……貸せ。手伝ってやる」


 俺は洗ってもらったお礼と言わんばかりに、キクリから櫛を取り、癖が強めな髪を先端から優しく梳いていく。


「ディア、体が冷えるだろ。別におれ一人で出来るぞ」


「助けてもらったら助け返す。冒険者の常識だ。気にするな」


「……あ、ありがとう」


 キクリは股を閉じ、両手を膝の上に乗せて微笑んでいた。女らしい部分もちゃんとあるじゃないか。


 俺は石鹸でキクリの髪を洗い、桶に入れたお湯で手の石鹸を落とす。


「なんだー、最後までしてくれないのかー」


 キクリは俺の方を見ながらにやにやと笑う。


「ば、馬鹿野郎。女の体に無暗に触れたりしない。ルークス王国じゃ、同意も無しに触れたら犯罪だ」


「おれが同意したら触ってもいいってことかー。ふふー、ディア、おれの体に触れてもいいぞ」


 キクリは魔性の笑みを浮かべる。まだ一五歳だって言うのに、俺より大人っぽく見えるのはなぜだ。


「お、俺は同意しない! これで俺はキクリの体に触れられなくなった!」


「なんだなんだ、案外ヘタレなのかー。三八歳なんて本当は嘘なんじゃないかー。ぷぷぷ~」


 キクリは口もとを手で押さえ、ものすごくわかりやすく煽ってくる。


「く、くぐぐ……」


 俺は自分の年の半分も生きていない小人族の女に心揺さぶられていた。すぐに頭を振り、風呂場を出る。

 脱衣所に置かれていたのは乾いた大きめの布と俺の着替えだ。誰が用意してくれたのか知らないが、綺麗に畳まれた服からしてコルンだろうか。


 俺は布で体を拭き、湯冷めしないように服をすぐに着る。水をコップ一杯飲んだあと、布で歯を磨いて寝る準備をした。


 俺は布団に潜り込む。小人族用だが、俺にとっては丁度良い大きさだ。客用布団なのに天日干しされているのか日の匂いがする。羽毛布団で、とても暖かかった。


 眼を瞑ってからどれくらい経っただろうか。ふと目を覚ます。外は薄暗いものの、日が昇ってきているのか空はほのかに赤くなっていた。


「う、うぅん……」


 俺は隣で眠る裸のキクリの姿を見て、身を凍り付かせた。


「うう……。ふわぁーあ、ディア、おはよう。おれの温もりは暖かかったか? 普通は奉仕をするらしいが、ディアからは同意を貰えなかったからな。身で温めるだけにしておいた……」


「な、なな……」


 俺は声を出そうとした。だが、キクリの手が少々震えている。寒いのかと思ったが、笑顔が引きつっていた。

 夜は勢いで色々できたかもしれないが、眠って冷静になったのか彼女は恥ずかしさで胸がいっぱいになっているのだろうと解釈する。


「とりあえず、今はお前が寒いだろ」


 俺は羽毛布団をキクリに纏わせる。


「無理するな。したくなければしなくていい。風習にとらわれすぎなくてもいいと思う。あと、ものすごく暖かかった。ありがとう」


 俺はキクリの頭に手を置き、微笑みながら感謝を伝えた。


「で、ディア……、お前はやっぱり大人だな……」


 キクリは頬を赤らめ、布団で顔を隠す。


 東国に到着してから七日が経ち体を東国の空気に慣れさせた。


 コルンは地頭の良さから東国語を覚え、俺とフィーアもある程度会話できるようになった。


 今日は偵察を行うため、ゲンナイの案内で鉱山に向かうことにする。


「じゃあ、おれは狩りをしてくる。くれぐれも無理はするなよ。お前達に親父と同じ道を通ってほしくない」


 キクリは防具を身に着け、猟銃と大きな斧を担ぎながら心配そうな視線を送ってくる。


「ああ、キクリも気をつけてな。冬の山は危険だ。最悪、熊も出るだろ」


 俺は服装を整え、キクリを安心させるために答えた。


「おれはこの土地に慣れてるからな、山なんて庭と同じだ。熊は冬眠してるし、心配するな。いたとしてもすぐに逃げる」


 キクリは満面の笑みを浮かべながら山の中に入って行った。

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