最終話「麒麟がとおる」

 「いらっしゃいませ──」

 十二月のコンビニエンスストアに、伽耶の元気な声が響いた。

「レジ、いいかな?」

「はい、お待たせしました! あっ……!」

 レジの前に立った黒いコートの男性を見て、伽耶は驚いた声を出した。

「堂島さん!」

 堂島はにっこり笑うと、伽耶の前に缶コーヒーを置いた。


「バイト、始めたんだな」

「はい、秋からですけど……堂島さんも、お久しぶりです!」

 バイトが終わった伽耶は、堂島と近くのカフェにいた。

「しかし、まあ……季節が変わるのは早いな。この前、夏だったのに、もう冬だ」

 堂島は笑いながら、コーヒーに口を付けた。

「堂島さんも、お元気そうで何よりです」

 伽耶が笑いながらカフェラテを両手で触ると、堂島は苦笑いした。

「はは、でもお互い無事で良かったよ」

 冥界の門が開いた夜、ふたりは確かに死んだのだが、突如現れた鳳凰の力により蘇生した。しかし、ふたりにはその時の記憶はない。


「大変だったな、お父さんの会社は……」

 堂島がそう言うと、伽耶は、ええ、と言い、少しうつむいた。

 あの日以降、伽耶の両親が経営する会社は急激に業績不振に陥った。そのため両親は自分たちが保有する会社の株式を売却し、自宅も売り払うと、ある程度の貯えを確保して会社経営から手を引いたのだ。

 屋敷の使用人達は、会社が経営する施設で働いてもらうことになり、動物たちは会社の従業員に引き取ってもらった。そして、伽耶達は市内のマンションに引っ越していた。


「でも、大丈夫です。私、コンビニでバイトも始めましたし」

 伽耶はにっこり笑った。

「今まで、何不自由なく育ててくれた両親に、これからは私が恩返ししていきます。それと、将来の夢もできましたし……」

「将来の夢?」

「はい。私、獣医を目指そうと思っているんです」

「動物たちに好かれるから、ぴったりの職業かもしれないな」

 堂島はそう言うと、にっこりと笑った。

「でも、強くなったな、嬢ちゃ……いや、伽耶ちゃん」

「そんなことないですよ。でも、もしそうだとしたら、それはきっと麟のおかげ……」

 そこまで言うと、伽耶の表情は少し暗くなった。

「堂島さん、麟の行方は、その後……」

「ああ、音沙汰なしだ」


 ふたりは沈黙した。冥界の門を巡る戦いが終わった後、麟は忽然と姿を消していた。

 陰陽師総本山が全力を挙げて捜索したが、足取りはさっぱりつかめず、壱与の予知にも引っ掛かってこないという。

「故郷に……中国に帰っちゃったのかな?」

「いや、その可能性はないだろう」

 そう言うと、堂島はバッグからドサッと分厚いファイルを出した。

「なんせ、奴は中国でお尋ね者なんだからな」

 首を傾げる伽耶を横目に、堂島はファイルを見ながら説明を始めた。

 陰陽師総本山の調査によると、麟が生まれ育った村は『麒麟の村』だったという。

「麒麟の村……?」

「ああ、麒麟ってのは、神に匹敵する『瑞獣』という存在。その麒麟の魂を宿す器を持つ道士を育成するために、中国全土から村に孤児の少年が集められたらしいんだ」

「え……? じゃあ、麟は……?」

「その集められた孤児のひとりだ。もっと言えば、その村の家族は全員血が繋がっていない、赤の他人同士だったという」

 伽耶はその事実に愕然とした。

「聡明なアイツのことだ。きっと自分が孤児で、両親とは血の繋がりがないことも知っていたんだろう……」

 堂島は更にファイルをめくった。

「村の目的は三つ。一つ目は孤児の少年たちを使い、麒麟の化身を人工的に生み出すこと。二つ目はどこからか捕まえてきた鳳凰の化身の少女を幽閉すること。そして三つめは……」

 堂島は言いにくそうに、一旦、言葉を止めた。

「……麒麟の少年と鳳凰の少女を掛け合わせて、新たな神獣を人工的に作り出すことだ」

「な、何でそんなことを……?」

「この計画を練ったのは中国でも悪名名高い闇の教団……恐らくその神獣を操って、中国全土を支配させることが目的だった、というのが総帥の見立てだ」

 堂島は大きく息を吐きだした。

「そのために村に麒麟の角があったんだ。選ばれた少年に埋め込むために……だが結果的には、麟がその角を埋め込まれることになったんだがな」

 伽耶は麟の義手で隠されていた麒麟の角を思いだした。

「九尾の狐が現れて鳳凰を連れ去ったことと。村が滅ぼされて麒麟の角が消えたことは、教団にとって想定外の出来事だった。だから、教団は麟と鳳凰の行方を血眼になって追っている。これが麟が逃亡者になっている理由だ」

「じゃあ、麟は今、一体どこへ?」

「分からん」

 堂島はすっかりぬるくなったコーヒーを口に運んだ。

「だがこれだけは言える。麒麟は普段はとても大人しく温厚らしいが、怒りが頂点に達すると、肉で覆われた鞘(さや)を抜いて、金色の角で敵を打ち倒すという」

 伽耶はあの日、怒っていた麟の姿を思い浮かべた。

「優しいアイツのことだ。きっとこの日本のどこかで、困っている人たちを救ってるんじゃないかな?」

 そう言うと、堂島はさみしそうに笑った。


「でも本当にいいのか? 伽耶ちゃん」

「はい。総帥や壱与さんには感謝していますが、私の本当の両親はここにいますから……」

 カフェを出た伽耶は、寒空の下、堂島にそう伝えた。


 あの戦いの後、陰陽師総帥からすべてを告げられた。

 二十年前……まだ若く修業中だった総帥は、神隠しが頻発するという村を訪ね、そこでひとりの村の女性と恋に落ちたというが、その村こそが冥界の入り口に繋がる村だったというのだ。

 強い霊力を持っていた総帥は自分でも知らない内に冥界に迷い込んでいて、かぐや姫とは知らずに関係を持ち、その結果、伽耶が生まれたという。

 知らなかったとはいえ、実の娘を手に掛けようとした総帥は心から謝罪し、壱与は突然現れた姉に驚き、ふたりとも伽耶に陰陽師総本山に残ってほしいと願った。だが、その申し出を伽耶は断っていた。


「分かったよ、でも伽耶ちゃん。俺たちは君の味方だ。何かあったら、いつでも頼ってくれ」

 そう言うと、堂島は伽耶に背を向けて、歩き出した。


 堂島と別れた伽耶は寒空の中、街を歩いていた。

『麟は孤児だった』

 その言葉が頭から離れなかった。

 麟はあの日、かぐや姫に向かって、母の愛を訴えていた。しかし、それはもしかしたら、自分自身に言っていたのかもしれない。

 自分の境遇と麟自身を重ね合わせ、血の絆より遥かに深い愛情がこの世界にはあるのだと信じていたのかもしれない。

 なぜなら、麟を命がけで守った女性は、実の母親ではなかったのだから……。

 同じだった。麟と自分は同じ境遇だったのだ。だからこそ、麟は自分の心の痛みに寄り添い戦ったのだ。

 伽耶は目に浮かんだ涙を拭った。

 麟に会いたかった。もう一度会って、感謝の気持ちを伝えたかった。だがそれは叶わぬ願いのように思えた。


 クリスマスムードで浮かれる人波の中を伽耶はうつむいて歩いていた。その時だった。

 ギャギャッ! 

 不意に車の激しい音が聞こえて道路を見た。

「キャアア!」

 悲鳴が轟く。歩行者側が青信号なのに暴走した一台の車が交差点に突っ込んできた。その車の前には小さな女の子が恐怖のあまり立ちすくんでいた。

(危ない!)

 伽耶は咄嗟に道路に飛び出すと、女の子を抱きかかえた。目の前に車の轟音とライトが見えた。伽耶は目を閉じた。


 ドカン! 派手な衝突音が街中に響いた。伽耶は自分が車と衝突したと思ったが、身体に痛みはなかった。そのことを不思議に思い、目を開けると、目の前で車が停まっていた。

 母親らしき女性が駆け寄ってきて、幼い子供を抱きしめると、泣きながら伽耶に何度も頭を下げた。

 伽耶は、なぜ車が急に停車したのか、原因が分からず不思議に思い車の運転席に目を向けると、エアバッグに挟まれ気絶している運転手の身体から、黒い煙がスーッと上がるのが見えた。

(あ……あの黒い煙はもしかして、「魔」?)

 呆然としている伽耶に、野次馬の声が聞こえてきた。

「だからさあ! 見たんだよ、真っ白な毛皮のコートを着た大きな男が、女の子と車の間に突然現れて、車を殴って停車させたんだよ!」

「そんなことあるわけないだろ、誰もいないって。それとも何か? お前、霊感が強いから、何か変なモノを見たんじゃないのか?」


(真っ白な毛皮……? 大きな男の人……?)

 伽耶は再び、停まっている車のバンパーを見た。バンパーには大きな穴が開いていた。その穴はよく見ると拳の形をしていた。

 思わず歩道に集まっている野次馬たちを見た。その野次馬の中に伽耶は見た。黒いコートのような服を着た銀髪の男性を。

(り……麟!?)

 麟がそこにいた。

 夢にまでみた麟の姿だった。ただ以前と違ったのは表情だった。麟は優しい眼差しで、笑みを浮かべながら、伽耶を見つめていた。


「麟!」

 伽耶は野次馬の群れに走ったが、麟はくるりと背を向けると、雑踏の中に消えて行った。

「麟! どこに行ったの? 麟!」

 伽耶は夢中で辺りを探したが、麟の姿はどこにもなかった。ただ満月だけが街を照らしていた。伽耶は不意に先程、堂島が言った言葉を思い出した。


『優しいアイツのことだ。きっとこの日本のどこかで、困っている人たちを救ってるんじゃないかな?』


(そうだ……麟は確かにいる)

 伽耶は空を見上げた。満月は真昼のような光を放っている。

(麟はいる……でも、きっとこれからも私のように助けを求めている人達を救いに行くんだろう……だって麟はこの世に平和をもたらすという、麒麟の化身なんだから……)

 伽耶は背筋を伸ばすと、交差点に背を向けて、力強く歩き出した。


(麟……ありがとう。麟に助けてもらったことを私、忘れない……これからも強く生きていくね)

 伽耶は月の光を背に歩き出した。麟を思い、口元に笑みを浮かべながら。


 瑞獣『麒麟』は、その身体に金色の光を纏い現れると言う。

 伽耶の歩く道を照らす月の光は、まるで麒麟の光のようだった。


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麒麟がとおる 鈴木 涼介 @suzu77

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