うっかりメイドを雇ったらハッピーライフでガチ破産寸前な件

reno

第一給料日 勢いで雇用

 飲みすぎた。

 そう自覚したのは、日曜日の飲みの帰り、自宅まであと10分ほどという住宅街を歩いている所だった。


 馴染みのバーで飲んでいるとばったり古くの友人に出会ったためにいつもよりハイペースで飲んでいることに気づかなかったらしい。


 何杯飲んだっけ、あれ支払いはちゃんとしたよな?ああ、今日偶然アキに会ったことあいつにも教えてやろうか。LINE、LINEっと、スマホはポケットにはいってる、あ、ポケットにイヤホン片耳入ってない……。


 アルコールに浸食された脳は、思考は放棄していないのに答えにたどり着かない。ぐるぐると言葉がめぐるが、体が追いつかない。


 あまりに体が追いつかず、思わず地面に座り込んでしまった。大丈夫、意識はある。少し休んでから、帰ろう。こんなに酒に弱くなっていたなんてな、もう若くないのか。ああ、アキとそんな話題もでたなあ、27歳なんてさぁ、もう結局オジさ



 ……

 覚えていたのはそこまでだった。目を開けるとそこは自室の見慣れた天井。人間、無意識にも帰宅できるもんだな、と感心した。僕はベッドがら上半身を起こしながら時計を確認した。よかった、目覚ましはかけそびれたがなんとか会社には間に合う時間だ。

 二日酔いで響く頭をかきながら、ヨタヨタとキッチンへと向かった。


 とりあえず水でも飲むか。水、水、


「お目覚めですか?ご主人様。」


 メイドだ。

 目の前にはメイド服を着た女性がいる。


「お目覚めにコーヒーをご用意しておりますのでよろしければ。」

 ダイニングテーブル上の湯気の上がったコーヒーの香りが鼻孔を刺激する。


 それを用意したのはつややかなロングの黒髪、大きなアーモンドのような目が特徴的な美女。

 黒のふんわりとしたロングワンピースに白のフリルのエプロン、それになんていうんだろう頭に白のフリルがついたカチューシャ、(というのだろうか機能性がわからないもの)をつけた美女。

 ここには不釣り合いの美女メイドが部屋にいる。


「だ、だれ・・・」



 ―――――

 ―――――

 ここで一旦状況を整理するために、自己紹介をしたい。

 俺がいかに普通の人間だという事を説明することになるだけだが。


 まず名前、藤原 梓。女性でもありえそう名前とよくいわれるが男だ。

 それから年齢、27歳。会社員歴5年で収入は平均並。

 爽やかだね、とは言ってもらえるもののこれと言って特徴の無い容姿。悲しいことに、彼女はいない。

 趣味は映画と最近免許を取ったばかりのバイク。

 マンションに一人暮らししているが、実家は同じ市内。



 ああ、ちなみにメイドはおろか家政婦業をしている知り合いはいない。それからコスプレイヤーとの接点もない。(正直、僕の人脈はそこまで広くはない。はっきり言うと、コミュ力は高くないんだ。)

 映画は好きだがアニメは殆ど見ないし、漫画は話題作と学生時代から続く海賊漫画くらいしか読んでないから、いわゆる二次元やオタク業界の知識にはうとい。


 結論何が言いたいかというと、こんな美しい女性のメイドが僕の家にいるわけがない。

 実際昨日まではいなかった。


 ―――――

 ―――――


「昨日も自己紹介したんですけどね。メイドの速水リサと申します。」

「は、速水さん……。ええっとあなたはいったい?」

 飽きれたような顔からは冷たく濃淡のない声色。ほとんどスッピンだというのにまつ毛がびっしりで、かわいらしい感じの整った見た目とはギャップのある話し方に、一歩引いてしまった。いわゆるアニメっぽい要素はなく、中世のヨーロッパで働いてそうな、格式高いメイドの雰囲気だ。

 僕だけが動揺して、僕だけが人間の弱い部分のみをさらけ出している。


 速水さんからの返答を待つ。生唾をごくりと飲み込んだ。数秒の沈黙を挟んだ後彼女の口が小さく開いた。

「……コーヒー、冷めますよ?シャワーを浴びてから、会社に向かいますよね?ご準備してきます」

「ま、まって!速水さん!あなたはいった

「コーヒー、今飲まないと間に合いませんよ?」

 ぴしゃりとはっきり凛とした口調で僕の言葉は遮られた。


 状況を飲み込めないまま、流れるようにテーブルにつかされてしまった。

 速水さん、風呂場の場所わかるんだ…。場所を確認されるでもなく、そして肝心の僕への説明もなく、速水さんはキッチンを出ていってしまった。

 僕はコーヒーを一口。うん、毎朝飲んでる安いインスタントの味。カップもいつもの近所の量販店で買ったもの。


 カフェインが寝ぼけた僕を通り抜ける。

 彼女がいた驚きで寝起きだがすっかり目は冴えていたし、二日酔いもどこかに行ってしまった。

 うん、コーヒーのおかげで焦りも一旦落ち着いてきたぞ。

 ええっと。昨日は仕事が休みだったので映画館で話題の新作を一人で満喫した後、フラッといつものバーへ。たまたまそこで中学時代の友人に出会い、なんとなく愚痴を言い合ったあと一人で帰宅……、だめだ、その後が思い出せない。

 コーヒーを一度置こうとした時、ふとテーブルの端が目に入った。書類が数枚おいてある。

 なんだこれは。


 手を伸ばして書類を手繰り寄せる。何が書いてあるのか、確認しようとしたとき

「風呂場の準備ができました、ご主人様。洋食になりますが簡単な朝食も準備しておきますので、先にお風呂へどうぞ。」

 速水さんの透き通る声にびくっと震えた。速水さんがキッチンに戻ってきたのだが、彼女の動作には音が無く、いつのまに戻ってきたのかまったくわからなかったからだ。

「あ、ああ。……コーヒー、ありがとうございます……」

 どうやら僕は、速水さんにビビってるらしい。それは知らない女性が自分の家にいるという恐怖だけでなく、速水さんのどこか人間味のない機械的な面に緊張しているようだ。

 書類を読む前に速水さんに奪われ、半分追い出されるように風呂場に向かわされる。



 ただ、はっきり見えた。書類の一番上に『住み込み家政婦雇用契約書』の文字。

 そして書類の一番下にある赤いもの―おそらく僕の印鑑だ―。


 どうやら僕はこのメイドの雇い主になってしまったのか。

 現実か、夢か。


 混乱が続く中風呂場に押し込まれ、風呂に入らざる得なくなった僕は情けなく全裸になったが、全く問題はないはずなのにすぐ近くに他人の女性がいると思うと気恥ずかしさが増し、また人間の弱い部分をさらけ出している気分になっていたたまれなかった。

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