第3話 悪女は手のひらの上に
「フローラ?手が動いてないよ?」
消毒液が香る王城の医務室。
包帯で全身をぐるぐる巻きにされたティルナートの訴えに、フローラは無言で器を手に取り、中身をかき混ぜる。
ぐちゃぐちゃになった料理にティルナートの笑みがひきつる。
「……なんでわたしがこんなことしないといけないのよ」
「この腕を見てから言ってほしいものだね」
「見えるわよ。不埒を働く手が機能しなくなってよかったわね」
ギプスで固められた腕を掲げるティルナートに向けられるフローラの目は冷たい。フローラ自身が大怪我をさせたとはいえ、もとはといえばティルナートが原因なのだから。
突然抱き寄せてキスをするという凶行に及んだお前が悪いと、手の中の器をかき混ぜる速度を速くする。
「どんどん美味しくなさそうになっていってない?」
「美味しくないようにしているのよ。ほら、このわたしが食べさせてあげるんだから、ありがたく食べなさいよ」
嘲るフローラはまさしく女王といった様子。
食べて悶絶しろと告げる彼女が突き出すスプーンの上には、主食、主菜、副菜、スープと、料理のすべてが混じった異物があった。
「料理で遊ばないようにって教わらなかった?」
「教わらなかったわ。わたしが教わったのは魔法だけだもの」
「そんな風だから魔塔は各国から嫌われるんだよねぇ。魔法さえできていれば他はいらないって、魔法使いの人生を何だと思っているのやら」
「あんただって、わたしの人生を何だと思ってるのよ?」
「人生?」
何のことか少しもわからないと首をかしげるティルナート。
フローラは眉間に青筋を浮かべ、顔を赤く染めて唾を唾す。
「わ、わたしにキスしたでしょ!?」
「そうだね。それがどうかしたかな?」
「わたしの人生をめちゃめちゃにしたでしょ」
「まさか。キスだけで人生は破綻しないよ。第一俺たちは夫婦になるんだから、キスの一つで――」
「夫婦になんてならないわよ!」
キィー、と叫ぶフローラがスプーンでティルナートの顔を襲う。
ぐちゃまぜの料理を口に入れたティルナートは咀嚼し、「まあまあかな」などとつぶやく。
「ま、まあまあってどういうことよ……じゃなくて! わたしはあんたと夫婦になんてならないわよ」
「そうは言いつつまんざらでもないくせに」
「そんなわけないじゃない!」
「……ま、いいけれどね。ところで料理についての話なら、君たち魔法使いは常に魔力を垂れ流して、それが料理に影響を及ぼすってことは知ってるかな?」
「それくらいは知ってるわよ」
魔法使いが魔法を使えるのは、魔力という魔法発動のためのエネルギーを産生する能力を有しているから。魂から生まれるというその魔力が体内に存在するかどうかで、魔法使いになれるかどうかが決まる。
そしてその魔力は、使わなければすべてが体内にとどまる、などということはない。訓練によって量の変化こそあれど、魔力は常に魔法使いの体から周囲へと出ていく。
その魔力は周囲に影響をあたえ、例えば魔法使いのそばにいる思考力が増したり、植物の生育速度が速くなったり、空気が澄んだりするような効果がある。
「そうした効果の一つで、魔力があると料理がおいしくなるんだよ」
「……美味しくなるなんて聞いたことがないわよ」
「嘘だと思うなら食べてみるといいよ」
視線を落としたフローラは、ぐちゃぐちゃの料理を見て動きを止める。
「わかってると思うけれど、そんな風にしたのは君なんだからね?」
「うっさいわよ。こんなもの、あんたが全部食べなさいよ」
「証拠隠滅のために食べてあげてもいいよ。だからほら、俺にあーんをしてくれないと」
「ぐ……」
「あれ、いいの?料理がなくならないと、君は料理を混ぜて遊ぶ、基本的なマナーの一つもなっていない残念な人間だと皆に思われるよ?」
その言葉に、フローラははっと光明を得たような顔をする。桃色の瞳をキラキラと輝かせ、活路を見出した、とスプーンをティルナートに突きつける。
「わたしは魔法使いなのよ。魔法使いはマナーなんて求められない。だからマナーなんて知ったことじゃないわ」
「ひどい三段論法だね。そうなると君は平民未満かな」
「……なんですって?」
元貴族であり、今は魔法使い。
己を優れた人間だと自負するフローラは、常識も経験も無いがゆえに、ティルナートの術中にはまりつつあることに気づけない。
「君が下に見ている平民だって、そんな風にご飯をかき混ぜて食べるようなことはしないからね。貧民だってそうだよ。あれ?つまり君は人間未満……畜生かな」
「なッ!?」
「ほら、そうならないためにも、君は俺に食べさせて証拠隠滅するしかないんだよ」
「……るわ」
「ん?」
「だから、方法があるって言ったの!あんなに食べさせなくてもいい方法がね!……私が食べればいいのよ!」
勢いのまますくい、フローラは料理を口に放り込んで。
ぴたり、とその動きを止める。
渋面を作ったフローラはそれを吐き出そうとするも、高慢なプライドがティルナートの前で物を吐くのを拒む。
ひとしきり格闘した後、フローラは決死の顔で口の中のものを飲み込み、涙を浮かべてティルナートをにらむ。
「どこが美味しいのよ!?」
「普通の味だっただろう?」
「普通じゃなかったわよ!?」
「普通の味だったんだよ。君が混ぜてしまったけれど、これは普通の味だった。普通においしい料理だったよ」
「……あんた、普段から何を食べてるのよ」
「その辺の雑草とか、木の葉っぱ?王城の中には意外と食べられる草も多いし、季節によっては鈴なりに果実が実っているんだよ」
「……どこの野生児よ」
「王様だね」
「こんな王がいるはずがないわ」
「居るんだから仕方ないよね」
何が仕方ないのか理解できない――そんな顔をしたフローラに、ティルナートは食事を進めることを求める。
思考を放棄したフローラは言われるままに食事をティルナートに運ぶ装置となって。
料理が空っぽになったところで、そういえば、と思い出したようにティルナートが口を開く。
「キスはだめだけれど、間接キスはいいんだね」
「間接、キス?」
「ああ、そもそも発想自体が無かった感じかぁ。つまりね、君と俺は今、同じスプーンを共有して料理を食べたわけだ。これって、スプーンを介して相手とキスをしたってことだよね?」
「…………そんなわけないじゃない」
「ちなみに、今回は君が自分でキスをしたんだよ?すごく積極的になったね」
「~~~~ッ」
椅子を蹴り飛ばして立ち上がったフローラは怒りのままに殴ろうとして。
ひらひらと振られるギプス付きの腕を見て、我に返る。
さすがにこれ以上はだめじゃないか、いいやこんな確信犯にはもっと罰が必要だ。
葛藤を続けるフローラは、やがて諦めたように拳を緩め、改めてベッド横の椅子に座る。
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