第2話 怠惰王と悪女の出会い

 魔塔。

 それは奇跡の力、魔法を扱う魔法使いの組織。

 一人で戦争の趨勢を決める力を持つ魔法使いを管理する魔塔は、各国とあまり仲が良く無い。

 何しろ魔塔は、国の力となる魔法使いの力の行使に制約を課し、管理するのだから。

 ゆえにローレンス王家も魔塔との仲は悪い。


 そして何より、魔塔は魔法使いが王家に嫁ぐことをよしとしない。何しろ魔法使いの血が王家に取り込まれると、魔塔による管理が困難になるから。


 だが、この国の存亡の危機という一大事。

 ローレンス王国は今後も自国の魔法使いが魔塔の管理下に置かれることを認めるという世界初の正式な契約を結ぶことで、ティルナートと魔法使いの結婚を魔塔に認めさせた。


 魔塔が結婚を許した理由は主に二つ。


 第一に、かの怠惰王であれば魔法使いを妻としても豚に真珠だという、ティルナートへの侮りゆえ。

 第二に、王妃に求められたのが、まだ齢十歳にして、既に悪女の片鱗を見せていた魔女フローラだったから。


 魔法使いであると発覚した時点で生家から出ることになったフローラは、その才能と、貴族として生まれ育った上に魔法という優れた力を持っていることに鼻高々になって、やりたい放題をしていた。


 わがまま悪女と怠惰王。

 その結婚がうまくいくとは、魔塔はもちろん、諸外国も、何よりローレンス王国の多くの人が考えていなかった。

 妃になることがトントン拍子に決まった、フローラ自身でさえも。


「……わたしがこんな傾いた国の妃になってあげることに感謝しなさいよね」


 登城して真っすぐに玉座の間の手前にある待機室にどっかりと座ったのは、肩上で切り揃えた桃色の髪をさらりと揺らす少女。

 髪と同じ色をした瞳はこびへつらうような態度を見せる執政官を嘲笑うように嗜虐の光を宿していた。


「なにとぞフローラ様の力をお貸ししていただきたく存じます」

「そ。いいわ。このわたしじゃないと王妃なんて務まらないんでしょ?」

「ええ、もちろんです。フローラ様以外の誰も、陛下の妃にふさわしいとは思えません」


 全力の媚びに、フローラは満面の笑みを浮かべる。それはすでに悪女として完成された笑み。


 本当にこの少女を国母にしてもいいのか――今更すぎる後悔が男の心を埋め尽くす。


 だが、もう賽は投げられた。あとはフローラ自身が拒絶するか、ティルナートが拒絶するかの二択。

 どうかうまくいくようにと祈りながら、男は先導して玉座の間へと進む。


 巨大な観音開きの扉がゆっくりと開かれていく。

 ローレンス王国を興した初代国王、彼が魔法を放つ様子を描いたレリーフの奥。

 きらめくシャンデリアが照らす豪華絢爛とした内装にフローラは眼を輝かせて。


「……え?」


 玉座がある階段の先、積まれたクッションの山に目が点になる。


 思わず足を止めるフローラの背後でゆっくりと扉が閉まって退路を断つ。

 わずかな不安と心細さを、自分は優れた魔法使いなのだからと言い聞かせてごまかして、フローラは鼻息荒く一歩を踏み出した。

 その足取りは遠慮がなく、ビロードでも消しきれない強い足音が響く。


 音に、クッションの海の中でティルナートはゆっくりと目を開く。


「……まさか、あなたが王じゃないでしょうね――きゃ!?」


 俊敏な動きでティルナートが手を伸ばし、フローラの腕をつかむ。

 突然の事態に、フローラはとっさに魔法を使えない。だから、ティルナートにあらがえない。

 フローラは、なすすべもなくティルナートに引っ張られてその胸に抱き寄せられる。


「……うん、温い」

「な、あ!?」


 ピシャッ、と脳に電撃が走り抜けたような衝撃を感じて、フローラは体をのけぞらせる。必死に逃げようとするも、ティルナートの腕はがっしりとフローラの腰に回されていて抜け出せない。


「動き回るのがちょっといまいちかな。うーん、いい子いい子」

「な、何をするのよ!?」


 頭を撫でられ、顔を肩に埋められ、吐息が聞こえるほどに顔が近く、密着した状態になって。

 フローラの顔は一瞬で真っ赤になって、彼女は怒りか羞恥かよくわからない感情を爆発させる。


 バリンとガラスが割れるような音が響く。


 窓の閉まっている玉座の間に、フローラを中心として突風が発生した。


 魔法の発動は感情がトリガーとなる。

 だから魔法使いは己を律し、感情を抑える。加えて、突発的な感情の発露によって魔法が発動しないよう、魔法による縛りを受けている。

 ガラスが砕けるような音は、その縛りの消失の証。

 そうして、魔女にして悪女であるフローラは、魔塔のくびきから解き放たれた。


 フローラを中心に吹き荒れる突風が、玉座に転がっていた無数のクッションと毛布を吹き飛ばす。舞い上がったそれらが風の渦に乗って飛んでいく中、台風の目となったフローラの周りだけは凪いでいて。

 相変わらずフローラを抱きしめながらティルナートは笑っていた。


「なるほど。魔法はすごいな。ああ、実にいい」


 言いながら、彼はフローラを抱きしめたまま立ち上がる。

 肌触りのいい淡い青色の綿の寝巻姿をした彼は、フローラを落ち着けるようにそっと頭を撫でて。

 ぴしゃりと、払いのけられた手の痛みに笑みを深める。


「いいね、君。フローラだっけ。君が俺の妻になってくれてうれしいよ」


 心からの笑みを浮かべ、ティルナートは動揺するフローラと口づけを交わす。


「……え」

「おーい、まだ放心中?」


 何か反応を返してくれないとつまらないとばかりに、ティルナートはひらひらとフローラの前で手を振る。


 フローラが、うつむきながらこぶしを固く握る。

 全身を震わせる彼女は涙目でティルナートをにらんで。


「きゃあああああッ」


 魔力で強化した拳を、全力で振りぬいた。


 強風で転がっていた執政官や宰相はその日、空を飛ぶ国王という世にも奇妙なものを見た。

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