怠惰王のご主人様
雨足怜
第1話 怠惰王ティルナート
「……一体どうすれば良いのだ?」
悲痛な声が響く。
うなだれる老人がいるのは、豪奢に飾られた玉座の間。
紅のビロードがまっすぐに敷かれ、壁には初代陛下が民を救って国を作り上げるまでの一部始終を描いた壁画。柱の一つ一つにまで緻密な彫刻が施され、天井には巨大なシャンデリアが美しくきらめいている。
そんな玉座にいるのは悲壮感を背負った男たち。一番の高齢の男は、この国はもうダメかもしれないと嘆くも、大丈夫だと意を唱える声は響かない。
なぜなら、彼らの目の前に、嘆きの元凶がいるのだから。
王以外が座ることを許されない巨大な玉座。数百年という時を経た巨木を削り、金の装飾をあしらった黒檀の玉座は、今は横倒れになっている。
座面を男たちに向けるように倒された椅子にはいくつものマットや布団が敷かれ、そのうえで一人の青年がけだるげに転がっていた。
青い髪に金色の瞳の、すらりとした長身の男。
長年王権の象徴としてあり続けた玉座を倒してその上に寝転がる――一発で反逆者として捕らえられかねないことをしている彼は、けれど誰に止められることもない。
なぜなら、彼こそがその座に座ることを許された唯一だから。
ローレンス王国唯一の正統なる王家の血筋。
人呼んで、怠惰王ティルナート。
彼は、臣民が何を言おうと知ったことかと自堕落を極める男。
毎日惰眠をむさぼり、寝ながら食事を食べ、執務をせず、仕事は溜まっていくばかり。
王権の強いローレンス王国では国王の承認なしに政治は進まず、現在の王宮は危機的状況にあった。
「嗚呼、やはりこの国はもう終わりだ……ッ」
最初はこれ見よがしに嘆くふりをしてティルナートに鬱陶しく思わせて仕事をさせようと考えていた宰相の老人も、今や心から嘆いていた。
王の怠惰さはもはや市民の知るところであり、国唯一の正統なる血を持つ王のそのあまりの残念さに誰もが国の先行きを不安に思っていた。
「全く、うるさいな。そんなに言うなら俺のことなんて放っておいてさっさと政治を進めればいいだろう?」
「先例はそう簡単には曲がらぬものですぞ? 陛下の承認なくして国は動きませぬ」
「あー、あー、面倒くさーい」
両手で耳をふさいでゴロゴロとクッションの山の上を転がる。過ごしやすいように寝間着を身に着けた彼が王だと初見で見抜くことができる者はきっと一人もいない。
そこに威厳はなく、王としての覚悟もなく、ただただ怠惰を貫く愚者がいるばかり。
「……宰相閣下、やはり陛下の承認なくして政治が進むように法を変えるべきではありませんか?」
「ならぬ。それは王を中心にまとまってきたこの国の在り方をひっくり返す行いなのだ。民の象徴が消えれば、諸侯は瞬く間に散らばり、国は体裁を欠き、分裂して滅びゆくだろう。貴族を含めた民の心が陛下から離れるような政治体制に変えることは選べん」
「ですが、そうはいってもこれでは……」
国は滅びるのを待つばかりだ――若い執政官はぐっと言葉を飲み込み、改めてティルナートを見る。これが、自分たちが仕える陛下なのかという、諦めと絶望が彼の心に去来する。
深い、それはもう深いため息をつく中。
彼よりもさらに若い執政官が首をひねりつつ、ためらいながら口を開く。
「あの、結局のところ何が問題なのでしょうか」
「ふむ、直近の問題は二つでしょうな。一つ目は、陛下が怠惰を謳歌しているために政務が非常に滞っていること。二つ目は、不敬にもほどがありますが、万が一陛下が逝去なされば、この国は王にいただく直系の王族がいなくなるということ。そうなれば国の滅亡は避けられますまい」
薄い王家の血を引いた諸侯が我こそはと台頭し、国は一途戦乱への道をたどる。
沈痛な顔で最悪の未来を語る宰相の言葉に、最年少の執政官はごくりとのどを鳴らし、恐る恐る発言する
「つまり、陛下を動かすことができ、なおかつ陛下の妻になることができる方を妃としてお招きすればいいのではありませんか?」
「そんなことができればとっくにしておる。そもそも、陛下の重い尻を蹴り飛ばして馬車馬のように働かせてくださることができる高貴かつ強い女性など――」
「いらっしゃいますよね?」
――いれば苦労はしない。
宰相の言葉をさえぎって、目を輝かせる男が告げる。己のひらめきこそが正しいと疑ってかからない彼は、胸を張って自論を披露する。
「魔塔に依頼して、魔女フローラ殿に陛下の妻になっていただけるよう、手をまわしてもらいましょう」
その言葉に一考の余地があると、宰相は沈思黙考する。
誰もが、固唾をのんで彼の結論を待つ。
緊迫感あふれる中、宰相はカツンと、杖を突いて高らかに告げる。
「他に突破口が無い以上、致し方あるまい」
早速行動を開始した宰相たちはせかせかと部屋を出て行って。
「魔女フローラ……悪女と呼ばれている子かな」
「楽しみだな」と笑って。
猫のように体を丸め、怠惰王は本日五度目の眠りにつくのだった。
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