#4 森の隣人



 ベネディクタの三兄妹が森を往く。


 何度も何度も数え切れぬほど行き来した道だ。

 例え目を閉じて歩いたとて、迷うことなどないだろう。


 まあ、単なる獣道と差して変わらない訳であるからして、躓いて転んだり、真正面から木の幹とぶつかり合うことへの恐怖を克服できればの話だがね。



「それにしてもさあ~。ベネット兄は今後どうするわけ?」

「何だよ藪から棒に」

「結婚する相手だよぉ~。もう二十だよ? もう直ぐおぢさん・・・・になっちゃうよ? あ。ミラがいるからもう叔父さんなわけだけど。アハハ。アタシはその内に村の外から、良い感じの甲斐性男を取っ捕まえて村まで引き摺ってくるけど」

「…まるで山賊の所業だな」



 暇を持て余した妹が目の前の兄ベネットを揶揄う。

 だが、この妹ならば本気でやるのではないかと長兄スミスは顔色を悪くする。


 もしくは、既に妹が定義するおぢさん・・・・に自身が分類される事に多少動揺したか。



「ほっとけ。村に近い歳の女が居ないんだから仕方ないだろう…。かと言って、僕は村を出る気も更々無いわけだけれども」

「じゃあミラちゃんと結婚すんの?」

「……幾ら弟といえど、俺の可愛い娘をそう簡単にはやらんぞ!」

(いやいや、確かにミラはアリッサに似て将来美人になるだろうけど…流石に姪っ子はちょっとなあ…どうにも前世の記憶から倫理観に引っ掛かるよ)



 だが、この異世界の法では問題無いのだよ、ベネット。


 もう一度言うが問題ない。

 王国法では親兄弟との間での婚姻は原則認められていない。

 しかし、それ以外・・なら何も問題ない。

 因みに子供が出来たりしてしまえば問題だが、家族間で了承がなされているのなら特に近親相姦すら強く咎められることもない…ってヤベェぞこの異世界!?


 マイルドに言えば性に大らかな法と宗教観を持つ逆に健全な世界と、言えようか。


 ぶっちゃけ、貴族社会なぞが往々にそこら辺に転がって根付く封建制度バリバリの世界なのだ。

 貴族の血筋を貴ぶ余り、御厚誼の秘密として兄弟姉妹同士で子作りすることも多々あるのだから、非貴族相手にまで強くどうこう言えないのが本音だった。


 まあ、それでも一般的には避ける傾向・・にあるので安心して欲しい。



「うーん…じゃあ、アタシが街に出たらベネット兄と結婚しても良いって言う未来の義姉さんを探してあげるよ!」

「えぇ~…別にいいよ」

「いや、ベネット。俺もお前だけが村で独り身で居続けるのは良くないと思っている。ジェニーの言葉にも一理ある。今度、街のギルドで移民募集の際にお前の嫁も募集するとしよう」



 ジェニーの提案にスミスが割と本気で乗っかてきたものだからベネットは辟易して思わず顔を顰める。



「あ~でもなぁ~…? スミス兄。ちょっと難しいかもよ? ベネット兄ってスミス兄と比べて…フツーっていうか、面白味が無いっていうか。あ。決してブサイクじゃないんだけどね? でも覇気が無いっていうのか、全体的にのっぺりしてるって言うのかなぁ~?」

「はっはっはっ! 確かに親父達も生前はよく言ってたよ。俺は親父似で、ジェニーはお袋そっくりだけど…どういう訳か、ベネットだけはどちらにも似てないって笑ってたな」

「……酷く傷付いた。僕は兄妹との絆を疑っているぞ!?」

「「ははははっ」」



 三兄妹はいつも通りの調子で森の小径を通る。



 ――が、突如として頭上から何者かが目の前に降ってきたので驚いた。



 先頭のスミスが慌てて足を止め、急ブレーキを掛けたその荷車に下っ腹を打ってしまったベネットが「う゛っ」と低い悲鳴を上げる。

 だが、負の連鎖は続く。

 その反動で身を乗り出していたジェニーの石頭ヘッドバッドを後頭部に受けたベネットが今度は地面に倒れてのたうち回った。



「……大丈夫か、ベネット? ふぅ。驚いたが――か…」


 ベネットの残念な姿を見て苦笑いをしたスミスが前方に突如として現れた者に話し掛ける。


「…………」

「…ああ。弟の奴なら大丈夫だ。いつものことだからな」


 呆れた顔のジェニーに手を引かれて何とか立ち上がったベネットを心配していたらしい。


 その女の顔から長く飛び出た左右の耳がピコピコと跳ねる。



 彼女はベネット達の敵ではなかった。

 数年前にこのベネディクタの森に居付いたらしい村の“隣人”である。



「…………(スッ…)」

「おっと、いつも済まないな。こちらは君達に何かと色々して貰っているのに、ろくに礼をすることもできない」


 女は頭を掻いて詫びるスミスに首を横に数度降る。


 そして、腰の下げ袋から果実らしきものを取り出して三兄妹に手渡してくる。

 三兄妹は喜んでそれを受け取る。


「ありがたい」

「うわぁ~!? コレ大好きなんだぁ~」

「あ、ありがとう…ねって……アレぇ?」



 何故か最後に手渡されたベネットの果実から女の手が離れる気配が無い。


 それどころか、両手で上下から挟み込むようにしてベネットの片手をガッシリとホールドして……ただ、ジィィ~っとベネットの瞳を見つめている。



「…………(ギュゥ~)」

「あ、あの…ちょっ……」


 次第にベネットの顔に赤みが差してくる。

 ベネットは女に全くと言っていいほど免疫が無かった。


 いや、それ以前に目の前の女の姿を直視できないでいたのである。


 その隣人達の独自の文化なのか。

 何故か葉と蔓草を編んだようなもので局部を隠すだけに近い紐ビキニめいた超軽装備に身を包んでいた。

 彼女達の種族は平均的にスリムな体形ではあるが、それでも女性らしい丸みのあるる伸びやかで美しい肢体は男達の目を奪ってならないであろう。

 特に初心なベネットには毒となるに足り得るセクシャリティー。

 過度の摂取は男にとって、非常に精神的にも社会的にも危険だ。


 暫し、恥じらう仕草を見て満足したのかやっと解放されるベネット君。


 が、彼女は未だその場に留まっている。

 どうやら手渡した果実を食べるところを見届けたいらしい。


「頂くとしよう」

「う、うん。そうだn――」

「おィすぃィィー!!」


「「…………」」



 既に兄弟の横では、その妹がバクバクと果実に貪りついていた。


 それを呆れた顔で見やった後にスミスとベネットが果実を齧る。


「美味い…っ」


 その果実は一見、黄金色の林檎に似たり。


 だが、口にすればその味はベネットが前世で知るそれの味よりも比べるまでもなく濃厚で深みがある――まるで最高級の蜂蜜を口にしているようだった。

 だが、それに負けぬほど迸る果汁と芳醇でいて胸をすくような爽やかな香りが喉の渇きを一瞬にして忘れさせてくれる。

 

 この隣人達が森に姿を現すようになってからというもの、定期的に村人達にこの果実を差し入れてくれるようになった。


 甘味など普段口にできない村人達は大いに喜ぶ事となった。

 ベネットは単純にこれが異世界特有の果実なのであろうと思っていた。


 だが、この果実。

 


 ――異常だ。



 確かに美味であるし、身体に害が出た者はいない。

 それどころか、活力が漲り、村の老人達が元気溌剌と若者顔負けで労働に勤しめるようにまでなったのである。


 そして、この果実は何時まで経っても瑞々しさを失うことなく、腐りもしない。


 だが、朴訥な村人達はこの隣人からの素晴らしい贈り物に対して感謝こそすれ、何かを疑うことなどはしなかった。


 唯一例外があったとすればだ。


 脅威たる魔物が数多く出没するベネディクタの村まで何故か定期的に足を運ぶ善意の行商人がその果実を見て、一瞬。


 普段の人懐っこい無邪気な貌から一切の笑みを消して目を細めていた時くらいだろう。


 因みに、その行商人は既にその果実を運んで来た物資と交換して幾つか森の外へと運び出すことに成功している。



「うん。美味しかったよ。御馳走様」


 シャリシャリと手渡した果実を咀嚼し終えて礼を言うベネットにやや顔を弛緩させた女は、今度は指笛で合図を出して何かを呼び寄せる。


 すると、同様の恰好をした者がもう二人、森の闇の中から姿を見せた。

 どちらもまた美しい女であった。


 そして、手には何かを引き摺っている。


「エンマクジャクじゃないか!」

「「えんま、くじゃく?」」


 それを見たスミスが驚く。

 三人の前にドサリと置かれたそれは全身を鈍く輝く黒い羽毛で覆われたダチョウのようなものだった。


「確か毒と火を吐く魔鳥だ。肉にも毒があって喰えないが、羽根は高く売れると聞いた」

「ちぇ~。久し振りにヤキトリが食べられると思ったのになぁ~…」

「でも良いのかな? こんなものまで貰っちゃって…」

「……構わない。我ら。肉。食べない」



 おずおずと尋ねたベネットに初めて女が口を開いた。

 インディアンか。

 

 ……一応、ベネット達の内心を代弁して突っ込んでおく。



 運んできた二人に目配せをすると、直ぐ様に仕留められた魔鳥が空いているベネットの荷車へと積み込まれた。



「「……(スッ…)」」

「えっと…」


 今度は魔鳥を積んだその二人が懐から取り出した果実をベネットに手渡してきた。

 そして、同じく両手で握って離さないままだ。


 が、恐らくこの場で最も格上の女にギロリと睨まれると、逃げるように森の木々へと跳び去って行ってしまった。



「な、何だったんだ…」

「……まあ。ありがたく貰っておけばいい」

「ありがとぉ~! またねぇ~!」

「………(コクリ)」



 こうして三人は、揃って無表情を一貫した口数の少ない彼女らと別れ、再度森の小径を歩き出した。


 ベネットの上着に突っ込んだ果実が重みで垂れて、歩く度にブラブラと揺れる。



「ねえ、スミス兄。やっぱり、あの人達ってエルフだよね? 亜人族っていーうんだっけ?」

「あの長い耳に、微かに葉脈のような模様が浮かぶ肌……間違いないだろう」

「でもさでもさ。エルフってアタシ達人族と戦争してるんでしょ?」

「五十年前の内戦なら彼らの敗北で終わった。それに、アッチから手を出してこない限りは俺達の村の敵ではない。だが、まだ皆が皆仲良くできる段階じゃないんだろう。俺達の居るレスター領はエルフだけじゃなく、他の亜人族や植物族、それに妖精族の自治領に近いからな…」

「うーん…やっぱり仲が悪いんだあ。じゃあ、やっぱり無理かなぁ」

「……一応聞いとくけど。何がさ?」



 特等席を魔鳥に横取りされて前を歩くジェニーに嫌々ベネットが相槌を打つ。



「いやさあ。もういっそあの人達がベネット兄のお嫁さんになってくんないかなって」

「ぶぅっ!?」

「ふむ。エルフか…。彼女らが幾つかは知らんが、エルフ相手に若いだ老いだの関係ないのかもしれん。相手がエルフなら子供はエルフになるんだろうが…お前がそれでも良いんなら、俺は別に彼女らを正式に村に招いても問題ないぞ。恐らく、爺婆達も反対しまい」

「え!? 兄貴、本気で言ってんの!? じょ、冗談だろ…」



 こうして、未だ森の何処からか頼れる隣人・・達に見守られストーキングされながら三兄妹は無事に森を抜けるのだった。



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