#1 新任女神、痛恨のミス
「……久し振りですね。賢者パブロフ」
(…って、私ってばここ最近交代した新任の転生神だから全然顔見知りじゃないですけどねー! 先達から引き継ぎしたマニュアルのセリフから棒読みですけどー! フゥウウウウウー↑!緊張してきたあぁ~~!!)
三千世界の境目。
仮初の広大な宇宙空間にも似た神域に。
青瑪瑙の肌と太陽風に虹の輝きを持つ長い髪を悠然と靡かせる一柱の女神が居た。
転生を司る女神(新人)である。
今迄に彼女が前任の偉大な転生神の後ろでチマチマとこなしてきた神の仕事と言えば……主に貝や虫といった小さな生き物ばかりの管理を秒単位でやらされていた。
一時はプランクトンまでやるように言われた時は気が狂いそうだった。
ぶっちゃけ、彼女は神の大事な仕事とはいえ飽きていた。
途方もなく、ひたすらに飽きていた。
聞けば、本来はもっと大人数で手分けをし、ササっと年単位でやる仕事だったらしい。
彼女は未だにその恨みを忘れてはいない。
いや、決してこの永い神生で忘れることはないだろう。
だが、憎っくき前任者は別の世界へと去った。
今度こそは転生を司る女神としてこの場に彼女は立っている。
その最初の大仕事だ。
無数に流動し、巨大な硝子容器の中でメビウスの輪を描く魂の奔流。
その飛び散った飛沫の一つを慎重に…慎重にピックアップする。
手にした魂は二百年の後に転生が約束されていたとある賢者だった。
名はパブロフと言う。
足元に煌めく世界には嵐の海によって左右に引き裂かれた二つの大地が横たわっている。
西の大陸ヴァル。
そして、東の大陸ヴェルデ。
問題は東の方だ。
その地には狂気に憑りつかれた魔族の王、魔王が魔物の軍を率いて長きに渡って人々を苦しめていた。
それを遥か天空の神座から見下ろし、哀れに思った神々が啓示を出した。
その啓示に導かれて集いしは、人族の勇者・戦士・聖女・賢者の四人。
魔王軍との死闘の末、何とか魔王は倒せたものの滅ぼすことは叶わず。
勇者・戦士・聖女が命を落とした。
何とか生き残った賢者は残りの余生を使い切ってまで魔王を滅ぼすべく、あらゆる魔術を調べ、神々に祈りを捧げ、探究した。
そして、二百年後に再度蘇る魔王を討伐することを神に誓い、東大陸の民草に自らの転生を予言して果てた。
神々はそんなパブロフに感銘を受け、転生時には今度こそ魔王を消滅できるほどの魔力を下賜することに決めた。
……足りなかったら流石に神とて恥ずかしいので、心持ちちょっと多めに。
そして本日。
晴れてその賢者パブロフを転生させる日がやって来たのである。
即ち、この新任の転生神の若干緊張で震える手に……東大陸、果ては世界の今後が掛かっているといっても過言ではなぁあいっ!!
(あああああっ!! ちょっとやめてよそーいうのはぁあああ! 失敗したらどーすんのよ!? とんでもない世界に左遷させられちゃうでしょ…!)
「……では、二百年前の貴方の誓いに報いましょう」
(そぉ~~~っと…そぉ~~~っと……!)
女神は摘まみ上げた魂にチョンチョンと魔力の
ここで過剰に添加し過ぎると魂が……――パァアアアアアーン!!
(だああああああっ!! 止めろっ!? 私のコンセントレーションを乱すなぁ!)
プルプルとした手付きで長い。
余りにも女神にとっては永い濃密な時間が過ぎていった。
「………ふぃいい~…ああ!やっと終わ…――コホン。これにて魔力の引き渡しは無事終えました」
(…長い、長い戦いだった。今日は久々に飲みに繰り出すかなぁ~)
ついつい胡坐を搔きそうになった女神が神々しい姿勢を保つ。
これで一段落。
後はこの賢者を地上へ適当な肉体に降ろすだけだと女神は安堵する。
賢者の他の仲間は既に自動的に転生し、いずれ相応しい能力を発現させると引き継ぎのマニュアルには記載されている。
「では、改めて。転生時の希望などありますか?」
「…………。えっと、じゃあ…」
ここで初めて掌に載せていた人型のアストラル体となった魂が口を開く。
「できれば、スローライフ……希望なんですけど…?」
「ふむ。そうで――……ん? スローライフ?」
女神は思った。
一体コイツは何を言っているんだ。
(も、餅つけ!じゃない落ち着け、私っ!? クールになるんだ……)
女神はもはや憚らずに取り出したマニュアルの頁を捲る。
きっと、何らかの緊急時の対応策があるはずだ、と。
時間稼ぎに質問する。
「な、何故…?」
「ええっと…前世だと仕事やプライベートで色々と人間関係で揉めたりとか色々あって。もし、叶うのなら何処か長閑な田舎で…悠々自適までは望みませんが、気楽にのんびり…平穏な人生を送りたいかなって。 あ…へ、変ですかね…?」
変だろう。
と、女神は言ってやりたかったがグッと耐える。
だがマニュアルの巻末には“可能な限りパブロフの願いを叶えろ”と殴り書きしてある。
(一応、事前にこの魂について調べたけど…人間関係でトラブった記録なんて無かったけど。……まあ、死ぬ間際に何か思い立ったのかも。それが儚い人間の心情かも。結局は魔王との死闘が待ってるわけだし)
「わかりました。叶えましょう」
「ありがとうございます!」
「他に望みはありますか? …転生先の種族に関しては誓いに沿って人族のみとなりますが」
「…誓い? あー…そうですねえ。僕は一人っ子だったもんで…できれば兄弟が欲しいです。仲良くできる兄と妹とか良いですね」
「…っ!?」
数時間後。
女神が必死に何とか候補を絞った数件の転生先。
それをマーカー表記した立体世界地図を見せて選ばせる。
ここまで来れば、もう少しだ! 頑張れっ!
「フゥー……では、どこにします?」
「ん~。ここ…ですかね」
「……フィルレイエス? えぇ…おもっくそ西大陸じゃん!? ――あ。西の大地ですが。…東大陸ではないのですが、よろしいんですね? 転生後、恐らく支援も受けられませんよ?」
「はあ。お願いします」
(そこまで言うなら仕方ない、かな? まあ魔力さえあれば世界中飛んで回れるだろうし。…てか、西大陸にそんなに興味があったの? 別にもうどうでもいいけど)
「んんっ…! では、これにてお別れです。…苦節を乗り越えた貴方なら、あの魔王を討ち滅ぼせるでしょう。さあ!仲間と共に今度こそ世界を救いなさいっ!」
(…決まったな)
「あ、あのぉ~…それはちょっと……イヤ、なんですが…?」
(…………)
(――…はぁ?)
「え。何言ってのマジで。いい加減にしろよ!? 四の五の言わずにさっさと魔王倒してこいやあっ!! おまっ、賢者だるるぉ!?」
「賢者!? 違いますよ! 前世は普通に会社員でしたよ!? スローライフ希望だって言ったでしょ! 魔王となんか戦えません! ……というか、戦う理由も思い付かないんですが。…その、魔王って人。何か悪い事でもしたんですか?」
(……嘘だろ? ま、まさかコイツ…!?)
――そうだ。
――彼はパブロフじゃない。
――ただの魔力の存在しない別世界産の一般人だ!!
「ぎげぇあああああ~!!やらかしたあああああ~!! 左遷だあああ!?」
「あ、あのぅ…」
「なんだコノヤロー! 賢者じゃないなら最初からそう言えってんだるるぉ!?」
「いやその…パブロフさん? でしたっけ。それってアレじゃあ…?」
「アレぇ…?」
転生神と揃って指差す足元をそっと見やる。
そこには苦悶の表情を浮かべた一つの魂が地上へと堕ちていく様であった。
『くそぉ~神々めぇ~。…何故、何故だ…!吾輩との約束を謀った…! これでは魔王を倒すこと叶わぬ…。おのれ、我らを見限った神々に呪いあれぇえええええぇぇぇぇぇ…』
そして恨み言を叫ぶ哀れな魂は地上の何処かへと消え去っていった。
「ぱ、パブロフぅううううううううう!? ごめぇえええええええん!?」
女神が見えざる神座の床にへばりついて絶叫する。
「うう…っ。仕方ない、せめてこうなったら誤って添付してしまった魔力だけでも回収しなくちゃ。流石にこの魔力を地上で紛失したら洒落に――」
自身の掌を見やる女神が固まる。
転生までの猶予を過ぎ去った魂は、新たな肉体へと導かれる。
スルリと女神の御手からすり抜けた一滴の魂が、見えざる神座の床もまたすり抜け地上へと落とされた。
「あああぁ~~…さよぉ~な~~らあぁぁぁぁ~~…」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!? 魔力還せえよおおおおおおおぉぉっっ!!」
雷鳴の如く床に振り下ろされた女神の両拳の打撃音と嘆く声が虚しく天空よりも高き神の在所にて響き渡る。
その後、その転生神に他の神々がどのような沙汰を下したのかは定かではない。
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