魔力駄々洩れ転生者は穏やかに暮らしたい

森山沼島

序章 その村の名は

#0 僕の名前はベネット



 突然だがとある転生者がこの場に居る。



 名前はジョセフ=ベネット。

 家名じゃあない。

 単にベネットと気軽に呼んでやって欲しい。


 この異なる世界では成人の十六を迎えるまでに呼ばれる仔名を前に付ける風習がある。

 彼はもう二十歳の立派な青年だ。

 嫁が居て既に子供がいてもこの世界じゃあ何もおかしなことじゃないだろう。



 ただし、ここじゃあその結婚相手を見つけるのは…ちょいと難しい。

 

 

 四国を属国として支配下に置くメイガス女王国の東属国フィルレイエス。

 此処はその最東地方であるレスター男爵領の森の中に拓かれた小さな村。


 それが彼が生まれ育った故郷ベネディクタ。


 かつて、魔力無しと迫害され、追放された棄民を率いた勇敢な指導者ベネディクタがその名の由来とされているという話だ。

 村周辺の森一帯もベネディクタの森と呼ばれている。


 自然が多くて実に良い所だろう?

 まあ、都会育ちの根性無しは半日で音を上げかねないかもしれんがね。


 因みに、ベネットはそのベネディクタから戴いたとても良い名前さ。


 ただ、そんな彼に惜しみない愛情を注いだ彼の両親は、残念ながらもう村には居ない。


 ベネットの妹を産んで直ぐに母親が。

 それに続いて父親は森の魔物に襲われて。


 実に残酷で哀しい話だろう? 結構。


 安心して欲しい。


 別にベネットは寂しい思いをしてきたわけじゃない。

 彼には五つ上の兄、スミスが居て。

 それと今度は五つ下の可愛い妹のジェニーだっている。


 …少ぉ~し妹の方はお転婆だが。


 彼はそれなりに裕福でもないが幸せな人生を今迄は送れているはずさ?


 なにせ、コレが彼の望みだったんだから。



 彼が望んだのは穏やかな第二の人生。


 

 彼は英雄ヒーローになりたかった訳じゃないし、自ら進んで物語の主人公になりたいなどと露にも思わなかったし、望まなかった。


 転生前の彼がどんな人生を送ってきて、コレを望んだのか…。

 それは当人以外、女神様でも知らないだろう。


 まあ、実際には大変なことが多かった。

 

 幼い妹を残して両親は他界。

 夢があるようだが、魔物が日常的に溢れている異世界での身の安全なんて有って無いようなものだ。


 しかも、このベネディクタは森のど真ん中に切り開かれた。

 外界と切り離され、近年の村の状態は限界集落に近しい。


 そう、圧倒的に村の外との交流が少ないのだ。

 村人の半分以上が老境に差し掛かるか、とうに超えた者ばかり。


 これじゃあベネットの相手も簡単には見つからないってものだろう。


 けど、それでもベネットは特に不満は無いみたいだ。


 まあ…嫁は普通に欲しいという気持ちはあるとは、思うがね。


「ベネット」

「何だい、スミス……いや、お若い村長さん?」

「……止めてくれ。気持ちの悪い」

「はははっ。ごめんて、兄貴」


 桑畑の前でぼーっとしていたベネットに声が掛かった。

 彼の兄のジョン=スミスだ。


 …………。


 おっと、異世界なんだぞ?

 彼らの両親に悪意なぞあるはずもないだろう。

 全く以て、邪推も甚だしい…。


 二十五歳のスミスは、このベネディクタの若き村長だ。


 出来の良い兄を持つ弟はどんな心境なのか?

 ……幸せそうなベネットを見れば何も言うことはないだろう。


 亡き父から受け継いだ名を持つスミスは、村の幼馴染みで美しい村娘のアリッサを手に入れた立派なリア充である。

 その愛しのアリッサが前村長の孫だ。

 自慢の孫が良い男と結ばれたっていうんで、前村長が早々に隠居したわけだ。


 妻であるアリッサとの間に、今年で八歳になる愛娘ミラまで儲けている。



『将来は、ミラがベネットのお嫁さんになってあげる!』



 ベネットに良く懐いている我が娘を見て、兄は弟に対して時折厳しい眼を向けるようになってしまったようだが…ご愁傷様だな。



「で? 何の用? 畑の手入れは終わったけど…エルフ蟲の世話? それともワイン造りの手伝い? それとも義姉さんと久々に昼間から――…だからその間、僕がミラの相手をしてればいいのか? なるたけ家から離れて」

「違う! はあ…お前という奴は。そろそろ街に出たいんだ。塩の備蓄が心許無い。それに挽いた穀物の在庫があれば一月分は買って置いておきたい」


 村長の言葉を聞く村人Aが平々凡々とした自身の顔に付いていた土を拭う。


「ふぅむ。わかった。その量なら荷車が二つ要るよね」

「頼む。あのハーフリングの行商人殿がマメに来てくれてはいるんだがなあ。それでも限界はある」

「兄貴、村長だろ? 我らが村長様が頼めば毎日来てくれるんじゃね」

「馬鹿か。こんな魔物がウロウロしている森の奥まで定期的に来てくれる人にそんな無体な真似ができるか。そもそもこの村から交換できる品が無くなって空っぽになってしまうだろう…」


 二人は笑いながら仲良く並んで村の荷車置き場へと向かう。

 なに、この村は慣れた彼らにとってはそこまで広くない。

 直ぐに到着するだろうさ。


 ほら、もう着いた。


 二人はそれぞれ年季の入った軋む荷車に背を向けて二本の突き出たながえを掴んで立ち上がる。


「さて、行くか」

「片道二時間で済めば…日暮れまでには帰ってこれるもんね」


 兄弟は村の外へと数歩、荷車を曳いた。


 その時だった――



「ちょっとぉ~! アタシも連れてってよお」



 背後の倉庫の屋根から何者かがベネットの荷車に跳び降りた。


「「……ジェニー」」


 厄介な身内に見つかってしまった、と互いに顔を見やる兄弟。


 だが、背後を振り返っても最早この可愛い妹を説得するのは無理とどちらともなく諦めたようだ。


 苦笑いから破顔して、ベネディクタの三兄弟は村を後にするのだった。



 …こうして、静かにではあるがベネットの物語が幕を上げたのである。



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