僕は姫さまの神獣なのです。猫じゃないです。つよいつよい虎なのです。

出 万璃玲

僕は姫さまの神獣なのです。猫じゃないです。つよいつよい虎なのです。


 世界のすみっこにある、ニャルハラン神国。

 ニンゲンたちの住む国と、その隣には僕たちのむ森があります。東の国と、西の森。

 ニンゲンと僕たちはふだん別々に暮らしているけれど、仲良しです。僕たちはニンゲンにとって神だから。


 森に棲む神は白い虎。つよくて威厳いげんがあって、すごいのです。僕もそのひとり。


 ニンゲンはときどき森を訪れて、うやうやしく挨拶あいさつします。手土産てみやげは、焼いたお魚にヤギのお乳。僕たちは神獣だから食べなくても生きられるけど、せっかくなので食べてあげます。ニンゲンは喜ぶし、ごはんはおいしい。僕たちが食べ終えたあと、長老さまのおなかをそうっともふもふして、ニンゲンは帰ります。



 ……でも、実は、僕は森の暮らしを知りません。生まれてすぐ、ニンゲンの国にやってきたから。


 ニンゲンの王は、子どもが産まれると森に来ます。その子をそばで守る神獣を授かるためです。

 十二年前、小さな姫さまのために選ばれたのはこの僕。生まれた日が同じだったのです。


 森での生活に憧れることも少しはあったけど、寂しくはありません。

 ニンゲンが森に時候じこうの挨拶に行くときには僕もお供するし、僕たち神獣の長老さまはいつもめてくれる。ハクはお姫さまを守ってえらいぞって。


 それに何より、僕には姫さまがいる。生まれたときからずっと一緒にいる姫さまが。



 姫さまは、可愛い。ちびっちゃくて可愛い。顔は僕のこぶしくらいだし、手のひらは僕の肉球の半分しかない。背だって、座っている僕とやっと同じくらいだ。


「ハクは神獣のくせに小さい。猫みたいよ」なんて、自分のことはたなに上げて姫さまは言うけど、こんな大きな猫がいるわけない。

 それに大人になったら僕だって、長老さまみたく大っきくなるんだから。


 大人になったら……。



 姫さまは、女王さまというのになるらしい。ニンゲンの国でいちばんえらいひと。長老さまみたいなものかな。ちびっちゃい姫さまと、あんなに大きな長老さまが同じだなんて、なんだか変な気がするけど。


 もし大人になっても姫さまがちびっちゃいままで、それゆえできないことがあったなら、僕が助けてあげるんだ。僕は大っきく大っきくなる予定だから。長老さまよりももっともっと、大きくて頼れる男になるよ。


 こんな気持ちを、ニンゲンは愛と呼ぶんだって。それから僕が、ところ構わず姫さまをめ回したくなっちゃうことや、頭をすりすりしたり、永遠にすんすん匂いをいでいたくなったりしちゃうのは、恋なんだって。先輩神獣のメイさまが教えてくれた。メイさまは、王様、つまり姫さまのお父様の神獣。


 いちばん好きなひとと、ニンゲンは結婚する。ずっと一緒にいようねって約束。

 姫さまと僕は当然結婚するんだと思ってた。生まれてからずっと一緒だし、これからもそうなんだから。


 だけど、メイさまは王様と結婚してない。ずっとそばにはいるけれど、王様にはニンゲンのお妃様がいる。姫さまのお母様だ。寂しくないのってきいたら、「これも愛よ」ってメイさまは言った。


 僕には難しい。姫さまがニンゲンの男のひとと結婚したら……地面にめりこむほど落ち込む自信がある。大好きなお魚だってきっと食べられない。


 想像しただけで耳としっぽがぺたんとなってしまった僕を見て、メイさまはざらりと頭を舐めてくれた。それから優しく耳打ちした。



「ニンゲンと神獣は結婚しないものなのよ、普通はね。

 ……でも、ふたりが本当に好きあったなら、奇跡が起こるの」

「……え?」


「神獣界の伝説。ハクがちび姫さまのことを好きで、ちび姫さまもハクと結婚したいと思う日が来たなら、あなたはニンゲンになれるのよ」



 僕はそれをきいて、嬉しくてたてに飛び上がった。興奮でしっぽがぼんってなった。


 その場から一目散に駆けていって、姫さまを見つけて、おさえられずに小さな顔をざらざら舐め回した。「やめて! ベタベタする!」って怒られた。


 姫さまはまだ、ちびっちゃいから。きっと、恋とか愛とかわからないだろうな。

 でも、もう少し大人になったら。ある朝目覚めたときニンゲンになっている僕を見て、おどろく日がいつか来るはずだ。




 その夜、姫さまと僕はいつもどおり一緒に眠った。



 そして、朝が来た。いつもと違う朝が。





 ……ん? なんか、今朝は変だ。いつもほど朝日がまぶしくないし、なんとなくスースーする。それに、身体が少し軽い。

 前足で目元を洗おうとして、気づく。つるりとした感触。あれ? ……毛がない!?


 慌てて両前足を目の前にかざす。そこにはすらりと伸びた五本の指。まるで……ニンゲンの手だ。

 手のひらをくるっと返すとそこには肉球があって、心なしか爪はとがっている気がするけれど、ニンゲンらしい肌の色で、毛もなくて、これは前足ではない、まぎれもなく手。――僕はニンゲンになれたんだ!


 いてもたってもいられなくて、しっぽがぴこぴこした。ん? しっぽ?

 身体をよじってお尻をのぞくと、しっぽはあった。頭に手をやると、ニンゲンみたいな髪の毛の中からちょんと立った耳が突き出ていた。首筋から背中にかけて、たてがみもある。だけど、おなかはつるつるだった。


 そこかしこに神獣感がちょっぴり残ってはいるけれど、大部分はニンゲンだ。嬉しい。これで姫さまと結婚できる!!



「ねえ姫さま、はやく起きて。僕、ニンゲンになれたんだよ」


 待ちきれなくて、僕は眠る姫さまを揺り起こした。ニンゲンになった僕を見て、姫さまもよろこんでくれるはずだ。姫さまも僕と同じ気持ちだったからこそ、僕はニンゲンになれたんだから。


 うーんと三回くらいうなってから、姫さまは起き上がった。重いまぶたをゆるゆる開いて、僕を見た。

 ニンゲンの僕は、姫さまにどんなふうに映っているのかな。顔はどんなだろう、あ、しまった、先に鏡を見てくればよかった。かっこいい顔だといいんだけど。でもきっと、姫さまはよろこんでくれる――。



 だけど次の瞬間、僕のわくわくはあっさり裏切られた。



「……何それ」

「え?」


「そのおなかよ。つるつるじゃない」

「えっと、ニンゲンのおなかはつるつるでしょ?」


「嫌よ、もふもふのおなかで寝るのが好きなのに。こんなのハクじゃない。こんなハクなんて、嫌い!!」

「え、だって僕、せっかくニンゲンになれたのに、姫さま、待って、そんな――!!」







 ……………………。









「――ちょっと、ハクったら」

「うーん、姫さま、なんで……」


「ちょっともうっ、早く起きて。重いよ。わたしがハクのおなかで寝ていたのに、どうして朝になったらハクがわたしのおなかで寝てるの?」

「…………え?」



 姫さまに受け入れてもらえなかった絶望に目の前がぐるぐるして、たぶん僕は気を失った。


 と思ったら、もう一度朝が来た。



 ハッとして手を見る。毛が生えてる。手じゃなくて、前足だ。おそるおそる自分のおなかをのぞく。もふもふだった。


 僕が押しつぶしかけていたせいでぷりぷりしていた姫さまは、いつしか不審そうに首をかしげていた。



「姫さま、念のためきくけど……、僕は昨日の夜から今朝までずっと、虎だった?」

「虎? そもそもわたしはハクを虎だなんて思ったことないけど。もふもふした大きめの猫みたいなものよ」


「えっと、それはまあ置いておいて……いずれにせよ、僕はずっともふもふだったってことだね?」

「一体どうしたの? ハゲる夢でも見た?」


「ハゲ……。いや、そうじゃないんだけど、もし、もしもだよ。僕のおなかがつるつるになったら……姫さまは僕のこと嫌いになる?」


「何言ってるの。本当に今日は変なハク。

 おなかのもふもふがなくなろうと、しっぽの毛がハゲようと、ハクはハクでしょ。そんなことで嫌いになったりしないわ」




 ――好きだ!!!!




 だから僕は、やっぱり姫さまが大好き。大大大大だーい好き。

 しっぽがむずむずしてぱたぱたしちゃう。おなかを出してごろんごろんしたくなっちゃう。



 ついうっかりまたその小さなほほを舐め回したくなった僕の鼻先を、姫さまは鬱陶うっとうしそうに押しのけた。


「そんなことより、今日は買い物に行くのよ。ハクの首輪を買うの。ちまたでは、猫に鈴の首輪を付けるのが流行はやっているんですって」

「…………」



 姫さま、一応言っとくと、僕は猫じゃないです。神獣です。つよいつよい虎なのです。



「わたしも新しい首飾りを買うの。鈴が付いた、お揃いのやつ」



 ……姫さま、好きです。やっぱり大大だーい好きです。


 もう、猫でもなんでもいいや。もふもふでも、つるつるでも、たとえハゲちゃったとしても。


 僕はそばでずっと。ずっとずっと姫さまを守っていくよ。





 少しあと、姫さまと僕は並んで通りを歩いた。


 高くひらけたアイスブルーの空に、ころころと澄んだ鈴の音がふたつ、光って溶けていった。



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僕は姫さまの神獣なのです。猫じゃないです。つよいつよい虎なのです。 出 万璃玲 @die_Marille

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