『フィードバック・レディ』

小田舵木

『フィードバック・レディ』

 俺は何時だって見守られている。

 強烈にうるさい『小言マシーン』に。

 

「ネクタイが曲がっています。修正して下さい」

「…少し曲がっただけだろうに」

「人間の第一印象は見た目9割です」

「どうせ行くのはいつもの学校だろうが」

「普段から気をつけることです」

 

 俺は家の洗面台の鏡に一人向かっていて。

 はたから見れば、独り言を言っているようなものだが。

 俺の脳にはこの『小言マシーン』を納めたチップが埋まっている。

 『小言マシーン』、コイツの正体はAIである。

 今の世の中、自分の脳に外付けのチップを埋め込んで、AIに生活をアシストさせることが一般的になっているのだ。

 

 だからまあ。AI自体に文句はないが。

 問題は。俺のAIが妙にオバサン臭い事である。

 友達なんかは美少女的なAIを持っているが。何故か俺だけはオバサンみたいなAIなのである。

 

 これは中々にしんどい。

 なにせ脳に直結されたAIだから。一挙手一投足がAIに割れてしまい。

 そして小言というフィードバックを貰うハメになる。

 俺は年頃の高校生で。オバサンに見られたくない行動をすることもある。

 だが、俺の内緒の行動はすべてこの『小言マシーン』に見守られており。

 ちょっとでも気に食わない行動をすればお叱りを受けるハメになる。

 まったく。勘弁してほしいものである。

 

「ヒゲの剃り残しがあります」ああ。小言が始まった。

「あんまり深追いするとカミソリ負けするだろうが」

「少し残ったヒゲほどみっともないモノはありません」

「へいへい…」無精ながら、俺はAIの言う通りにヒゲを深追いし。

 とりもあえず、朝の支度を終え。

 学校へと向かっていく。

 

                  ◆

 

 日常とは繰り返されるモノである。

 毎日の通学路は詰らない。毎日歩いているせいで風景に新鮮味がない。汎化された視覚刺激。眠気を催すのも仕方のないことである。

 だが、俺が大口開けて欠伸をしようものなら。『小言マシーン』は見逃さないだろう。そして。

「往来で大口開けて欠伸をするとは…みっともない」なんて言われるに違いない。

 だから。俺は欠伸を噛み殺して。

 通学路をフラフラと歩く。

 

 今日は確か…古文で小テストがあったような。

 昨日は動画配信サイトで映画を堪能していたから。当然対策はしていない。

 …ま。映画を見ている間中、

「遊んでばかりないで、勉強を―」なんて言われたっけね。まあ、無視して映画見たけどさ。

 

「なあ、愛子あいこさんや」愛子。これは俺がAIにつけた仮名である。本当はもっとややこしい名前をしている。

「なんでしょうか?かけるさん」

「今日の古文の小テスト…力を貸してくれよ」

「…不正行為に手を貸せと?」

「その通り。マスターの言うことじゃんよ」

「お断りします。テストは自らの力でなんとかするものです」

「…気が利かないなあ」

「それで結構。人間を甘やかしてもロクな事ありませんから」

「ケチぃ」

 

                  ◆

 

 学校に着いて。俺は自分の教室に入り、自分の席に座り。

 ぼんやりと前を眺める。ああ、これまた見慣れた光景であり。

 俺は飽きを感じる。何度、この光景を見てきた事だろう。

 代わり映えしない日常。高校生生活は限られた時間だが。どうにも繰り返しが多くて困る。刺激が少ない。

 

 俺は席でぼんやりして。後から学校に来た友人と適当な話をし。

 そして授業が始まり。

 幾度かの休憩をはさみながら学校での日々は消えていく。

 当然、古文の小テストは悲惨なモノだった。愛子さんは冷ややかな眼で俺を見守っていたに違いない…ま、眼なんてないけど。

 

 呆けている間に終業の鐘は鳴り。

 俺はさっさと荷物を纏めて帰路に着く。部活なんぞしていない。中学生の頃のスパルタ式の鍛錬のせいで部活には飽き飽きなのだ。

 

                  ◆

 

輪島わじま、遊ぼうぜい」輪島、俺の名字である。

「良いぜ、何処行くよ?」場所は学校の昇降口であり。

「天神に繰り出すべ」

「また天神かよお」

「しゃあねえだろ。福岡には盛り場なんてないんだから」

 

 俺と友人は地下鉄に乗り、天神へ。

 地下街は相変わらずの混雑っぷりだ。


「…翔さん。古文の小テスト。私の採点だと20点ですよ。遊んでる場合ですか?」『小言マシーン』は言う。

「いいの。遊べる内に遊んでおくのが高校生だろうが」

「…輪島ぁ?またAIに小言貰ってんのか」

「そ。俺のAIはおせっかいでいかん」

「俺のAIはそこまで煩くないけどなあ」

「交換してくれよ」

「無理無理。チップ、大脳新皮質の奥深くに埋まってるんだから」

「まったく。困ったものだよな。コレ」

「そうでもないだろ?コレのお陰でスマホなんて前時代の遺物に触ることが減ったんだから」

「お前は良いよなあ。汎用の美少女AIだから」

「輪島のは…ああ、親父さんのお手製だっけ?」

「なまじ学者なのがタチ悪いぜ。お陰で俺は昔から実験台だ」俺の親父は。大学に属する学者であり。その上、神経科学をやっているものだから。昔から珍妙な実験につきあわされてきた。研究費でモルモット協力者を雇うのをケチる男なのだ。

「詰まんねーサラリーマンよりは良いだろ」

「詰まんねー親父が欲しかったよ俺は」

「贅沢を言わないでください」

「なんだあ?俺のAIの真似か?」

「お前に愚痴を聞かされ過ぎたせいで覚えちまったぜ」友人はやれやれと言わんばかりである。

「そりゃ済まなんだ」

 

 俺と友人はそんな話をしながら。天神の地下街をブラブラし。

 私鉄の駅の辺りで地上に出て。新天町の辺りで時間潰し。

 とりもあえずはゲーセンに入って。

 前時代的なゲームを楽しむ。

 

                  ◆

 

 友人とゲーセンでしこたま遊び。

 時間が夜になったので家に帰る。

 その間中、

「早く家に帰りましょう、翔さん。お父様が待っておいでです」と愛子さんに小言を貰い続けた。まったく。ミュート機能がないから困ったものである。

 俺は四六時中愛子さんの監視下に置かれている。コレって発達心理学的にどうなのだろうか?俺としては放っといて欲しいものである。

 大体。もう俺は17で。後少ししたら18だ。

 もう愚行権だってあるはずなのだ。なのに。愛子さんは俺が不適切な行動を取らないように監視し続けている。

 まったく。あのクソ親父め。俺の脳のチップを弄り回しおってからに。

 子どもをまともに育てたいのは分かるが。『小言マシーン』なAIを組み込むのは、ちとやり過ぎではなかろうか。

 

 俺は地下鉄を降りて。家まで帰る。

 この辺は昔、旧帝国大学のキャンパスがあり。俺の親父はそこに属した学者であった…あったというのは、今は別の大学の研究室に移っているからである。

 旧帝国大学の研究室を何故か辞めた親父。その辺の事情は聞いていないが―

 

 っと玄関である。

 愛子さんにロックを解錠してもらう。

「たでえまー帰りましたよいっと」

「…帰ったか」親父の声である。珍しい。研究室にこももっていると思ったが。

「…よ。親父」ウチには。母は居ない。

 

 母は。俺を産んだ後に、面倒な病気で亡くなった。

 俺が2歳か3歳の頃である。

 母の家系は面倒な遺伝病のキャリアであり。母はめぐり合わせの悪さから発症して亡くなった。不幸中の幸いは子どもを産めた事、そして俺が遺伝病のキャリアではない事。

 

「飯…作るか」リビングに移った俺達は晩飯を作ることにする。

「親父は座ってなさいよ」ま、親父は料理が下手だから、俺が作るハメになるんだけど。

 

 俺は冷蔵庫の食材から適当にピックアップをし。

 料理を作る。少し古くなったアジがあったからアジフライにしておく。

 俺は小学校高学年の頃から料理をしている。なにせ同居人は研究馬鹿の親父である。マトモな飯にありつこうと思ったら、自分で作るしかないのである。

 料理の師匠は愛子さんだ。俺はガキの頃から愛子さんの指導の元、料理を続けている。

 

「…もう。私なしでも美味しい料理が作れますね。まあ、突っ込もうと思えば突っ込めますけど」

「そりゃ。何年も自分の飯作ってるんだ。少しは巧くなる」

「あまり料理が巧くなると、お嫁さんがもらえなくなる」

「古い価値観だ。今や家事は分担するものだぜ、愛子さん」

「そういうものですか…」

 

 俺と親父はアジフライと味噌汁の晩飯をつつく。

 会話はない。一体何を話せと言うのか?

 親父は研究に取り憑かれている。実際、母が亡くなった時も研究室に篭もっていたと聞く。

 

「…会話してあげて下さい」アジフライをモグつく俺に愛子さんは言う。

「…親父に話ねえ」お節介もここまで来ると鬱陶しい。

「…何だ?AIと話しているのか?」親父は反応する。

「愛子さんが親父と話せってさ」

「…愛子さん、ねえ」

「AIだから愛子さん。安直だが呼びやすい」

「…ふむ。AIの具合はどうかね?」

「何時もどおり『小言マシーン』さ」

「そういう調整にしてある。お前を支えるようにと」

「お節介が過ぎるぜ。何で汎用AIみたいにミュート機能がついてないのさ?」

「私のお手製で、調整に時間がかけられなかったからだ」

「時間がなかった…ねえ。いつも研究室に居たじゃないか」

「…まあ、色々事情があってな。後は私があまり優秀な学者じゃなかったからさ」

「親父の専門は神経科学だもんな」

「そう。AIは周辺分野だ。専門ではない」

「その専門でもない周辺分野の実験に俺は付き合わされたと」

「悪く思うな」

モルモット協力者位は雇えよな。俺で安く済ませおってからに」

「研究費ってのは雀の涙なんだよ」

「その上、面倒な制約がある」

「そういう事だ…」

 

                  ◆

 

 俺は飯を済ませると。親父と片付けをして、部屋に篭もる。

 これからダラダラしようかと思ったが。

「古文の小テスト」と言う愛子さんのお小言のせいで。勉強するハメになってしまい。

 とりあえずは小テストの復習をしているが。妙に身が入らない。

 …いや。俺が古文なんて教科に興味がないからである。

 俺はどうにも苦手分野に対する感度が低い。

 

「ぬあああ。身が入らん」

「…貴方あなたに改善しようという気がないから」

「そら。古文なんて何の役にたつんだよ」

「古きを知りて新しきを知る」

「過去から学べ。アホは経験に学び、賢いヤツは歴史に学ぶ」

「分かっているじゃないですか」

「愛子さんのお小言だ」

「そうでしたっけ?」

「AIが言った事忘れるんじゃないよ」

「そういう事もありますよ」

「とりあえず…エナドリでも買いに行きますか。気合が入らん」

「夜にカフェインを摂取すると…」

「眠れなくなる。が、勉強の効率は上がる」

「仕方ありませんね」

 

                  ◆

 

 俺は近所のコンビニまで歩いて行き。

 エナドリを買うと帰路につく。

 季節は初夏。夜が気持ちいい季節であり。

 俺はついつい遠回りをしてしまう。

「寄り道は感心しませんね」愛子さんはすかさずお小言。

「リフレッシュ。気持ちの切り替えは肝要」

「いつの間にか口が達者になって」

「アンタの相手をし過ぎてる」24時間365日相手してるからな。

「そういう役目ですから」

「コレが死ぬまで続くのかあ」

「死ぬまで面倒見ますよ」

「重たいぜ」

 

 俺は愛子さんと話をしながら、公園をそぞろ歩く。

 駅前のオアシス的公園。謎の立像の周りを歩く。

 

 その時だった。

 立像の周りの道の茂みから金属バットを持った不審者が現れたのは。

 

 茂みから出てきた不審者は金属バットを地面に擦って。カラカラと音をさせながら俺に近寄ってくる。

 拙い。これは阿呆の俺でも分かる。コイツはヒトを襲う気なのだ。

 だが。俺はその不審者を見たまま硬直してしまう。

 愛子さんは、

「早く逃げましょう!!走って!!」なんて言っているが。

 俺は恐怖心のあまり、腰から下が言うことを効かなくなっている。

 不審者はバットをカラカラと鳴らしながら俺に近づき―

 振りかぶる。俺に向かって。

 ああ、俺は脳天にしたたか喰らわされようとしている。

 コイツは死亡フラグってヤツだ。

 そこからはスローモーションになり。ゆっくりと天からバットが落ちてきて。

 体を動かせない俺は、それをじっくり待つハメになり―

 

 頭に衝撃が走り。

 意識はぐちゃぐちゃにすり潰され。

 消えていく…

 

                  ◆

 

 ジリリリリリ。

 頭の中でアラームが鳴り響く。

 そして半分覚醒した俺に愛子さんがお小言。

「二度寝は感心しませんね」

 その声で俺は完全に目覚める。

 ああ、なんだか変な夢を見ていた気がする。

 何だっけ?妙に心臓の鼓動が早い。寝覚めは最悪である。

「起きましたよいっと」俺は言い訳をかます。ここで無視して寝るとエライ目に遭わされる…

 

 俺は不確かな夢のの残骸を反芻はんすうしながら、身支度を整え、一人で飯を食い、学校へと向かう。

 いつもの日常。今日が何日かも怪しい。

 だが、まあ、何時もどおりに過ごしていれば問題はない。

 

 繰り返される日常。汎化された日常。欠伸を催す日常。

 俺はそんな白昼夢の中を生きている…

 

 学校に着いて。適当に授業を受け。

 そして古文の小テストでえらい目に遭い。

 そして放課後を友人となんとなく過ごし。

 家に帰ってアジでなめろうを作って親父に食わせ。

 部屋に戻って愛子さんのお小言で勉強を始め。

 集中できないから、コンビニに買い物に行き。

 

 そして。俺はコンビニの帰り道で寄り道をし。

 そこでナイフを持った不審者に出くわし。

 そして刺されて。

 眠る―

 

                  ◆

 

 寝苦しい夜を過ごして。

 俺は頭に鳴り響くアラームで目を覚ます。

「二度寝は関心しませんよ」という愛子さんのお小言を貰いながら。

 

「…何かがおかしい」俺は独り言。

「寝ぼけているんですか?」愛子さんの突っ込み。

「かも知れんが。何か、違和感が凄いぞ」

「たまにはそういう朝もありますよ」

「…そういう話じゃない」

「…」珍しく歯切れの悪い愛子さん。

「黙り込むなよ」

「私にもどうしようもないこともある」

「いきなり何を言い出すか」

「ま、気にせず。貴方は日常を過ごせば良い」

「そう言われましてもね」

 

 俺は身支度を整える。

 そして家のリビングで朝食を摂りながら日めくりカレンダーを眺める。

 この日付。見覚えがあるのは何でだろうか?一年ぶりの日のはずなのに。

 何度も見たような気がするのだ―

 

 俺は違和感を抱えながら登校―っと。確か今日は古文の小テストで。

 とりあえず文法と単語を復習しながら登校することにする。

「教科書見ながら歩かない」愛子さんは言うが。

「昨日勉強し損ねたんだから、仕方ないでしょうが」

「貴方が映画に夢中になるから」

「アレは名作だった。仕方のない事だよ」

 

 俺は学校に到着すると。一時限目の古文まで勉強し。

 とりあえずはテストを突破する。70点は固い。

 

 そして放課後になる。

 俺は古文のテストを突破してしまうと。気が抜けてしまい。

 朝からの違和感を反芻していた。

 だが、反芻したところで答えが出るはずもなく。

 俺に分かっているのは。今日に妙に見覚えがある事だ。

 デジャ・ビュ。人間の脳はこういうバグを起こすことはしょっちゅうだが。

 それだけでは片付けきれない何かがある…はずなのだが…

 

「ぼんやりしながら歩かない」愛子さんのお小言で。

「ぼんやりしたくもなるさ」

「違和感なんて。気の所為でしょう?」

「の割には。妙にデティールが凝ってる」

「ように見えるだけ」

「アンタはすぐ物事を片付けたがる…よくない癖だぜ」

「AIに癖もクソもありませんよ」

「プログラムだからな」

「…」黙り込む愛子さん。

「そこで黙るなよ。悪かったよ、プログラムだなんて言って」

「分かればよろしい」

 

 俺は家に帰って。

 ぼんやりと過ごし。親父と自分の分の晩飯を作る。

 アジのつみれ汁。少し手間がかかるのが難点だが、旨いのだ。

 そして。さっさと一人の晩飯を済ませて。

 部屋に篭もる。

 今日こそは心置きなく映画が見れそうだ―

 

                  ◆

 

 映画にはコーラが要る。俺のささやかなこだわりである。

 だが、家の冷蔵庫のストックは親父が飲み干しており。

 俺は仕方無しにコンビニに行く。

 季節は初夏。夜が気持ちいい季節で。 

 俺はコンビニの帰路に公園に寄るのだが。

 

 何だろう?ここ最近、この公園に来てばっかりのような気がするのだ。

 来たのは久しぶりだったはずだが―

 

 俺は公園の立像の前の通路で立ち尽くす。

 強烈なデジャ・ビュ。俺はこの光景を何度も見ている?

 …というのは脳が創り出した幻想のはずなのだが。

 それで片付けきれない強烈さがこのデジャ・ビュにはある。

 

「…翔さん」愛子さんである。

「…どうかしたかい?」

「貴方は。今、強烈なデジャ・ビュに悩まされている」

「ん。何時ものより強烈だ」

「それは気のせいじゃありませんよ」

「何を言う?」

「…なんて話している場合じゃないです」

「…この後、何かが起きる」

「ええ。そして私はを貴方にしなくては」

「愛子さんがサボる?冗談キツイぜ」愛子さんは俺を監視し、フィードバックする事に関してサボった事はないはずなのに。

「私にも色々…あるんですよ。さあ。フィードバックを始めます」

「どんな出力を返してくるのやら」

「フィードバック、レディ?」

「かかってこい」

「…さようなら。」何時もはづけなのに…

「…?」


 俺はその場で。強烈な信号を受け取る。

 ああ。俺は今から。凶器を持った不審者に襲われる。

 今から三秒後に茂みからバットを持った男が現れる。

 俺は。構えて。出てきた男を待ち構え。脚に蹴りをかまして。

 転けさせる。そして馬乗りになり。バットを奪う―

 

 ここで。

 俺の意識は途絶えた。

 意味が分からないが。俺の意識は俺の体を抜け出して。

 そして転けさせた不審者と俺自身を上空から見守る―

 

                  ◆

 

 目を開けると。見たこともない天井がお出迎え。

「…つぅ」なんだか頭が痛い。俺はおでこに手をやる。そこにはしっかりとしたタンコブがあり。

 

 俺は起き上がる。

 そこは病室である。俺は病室のベットに寝かされているのだ。

 周りには誰も居ない。しょうがないからナースコールを鳴らして。

 駆けつけてきたナースとやり取りをし、そして医者に軽い意識テストをさせられる。

 そんな事をしている間に。親父が駆けつけてきた。

 

「翔!目覚めたのか?」親父は血相を変えて俺に駆け寄る。

「おいおい。大げさだ」親父のオーバーリアクションに俺は困る。

「…お前、何日眠っていたと思う?」

「2日位?」

「答えは。2週間だ」

「…案外長く眠ってたらしい」

「心配したぞ」

「ま、今はピンピンしてる。殴られた割には」

「ただまあ」親父は言う。

「ただまあ?」

「おでこの上やられただろ?AIは―」

「ああ。通りで。愛子さんの声がしない」

「…お前の言う『愛子さん』とは。もうお別れだな」

「…ワンオフひとつだけの代物だった訳だ」

「ああ。バックアップの取りようがない、な」

「…AIのバックアップなんて簡単だろ?」

「アレは俺のお手製だが…まあ、があってな」親父は遠い目をしながら言う。

「そろそろ種明かししろよ」俺は言う。今まで何となく触れられなかった事。親父は愛子さんの事に関しては中々口を割らなかった。

「…アレは。私があい…お前の母の意識データと記憶をサルベージして創った代物だ」

「とどのつまり?と?」

「…しょうがないだろう。それが愛の遺言だった。だがそれは前の大学の倫理規定に反する所業でな。お陰で私は怪しい私立大学に移るハメになった」

「親父も危ない橋を渡る」

「…私も。愛した女をどうにかこの世に残したかった訳だ」

「ロマンチストめ」

「まあ、愛以降、人間の人格データをAIに搭載することは出来ていないのだが」

「そりゃ。貴重なモノを失っちまったな」

「…ああ」 


「そう言えば。俺は眠っている間中、変な夢を見ていたような」

「…どんな夢だ?」

「俺が殴られた事件を延々と繰り返すような…そんな夢」

「お前は記憶の中に捕らわれていたのか?」

「…そういう事になるかも知れない」

「…ふむ。その夢に愛は出てきたか?」

「愛子さんはずっと居たよ。だが、目覚める前に。何時もなら翔さんと呼ぶのに、翔って呼ばれた気がする」

「…愛が。消える前に。お前を捕らえていたのかも知れんな」

「…はたまた何の為に?」

「考えろ」親父は厳しく言う。

「…俺から離れたくなくて。無理やり俺を記憶の中に閉じ込めていた?」

「…かも知れん、というだけの話だが」

「母ちゃんの愛…重いぜ」

 

                  ◆

 

 俺は意識を取り戻すと、あっさり退院した。

 頭に埋めたチップの交換作業はあったが、あっという間に終わった。

 そして今。日常を過ごしているのだが。

 妙に物足りない気がするのは。愛子さん…いや母ちゃんが居ないからだ。

 

 今のAIは親父カスタムのものではなく。

 汎用のAIで。簡単にミュートが出来てしまう。

 だが。俺のようなぼんやりした男は常に突っ込みをされてないと締まりのない生活をしてしまう。

 

 俺は。事故の後はびっくりするほど真面目に勉強をし始めた。

 そこには理由がある。

 …母ちゃん。AIになってしまって。あの不審者の殴打で消えてしまった愛子さんを蘇らせるためである。

 俺は一緒に居る頃は煩いオバサンだと思っていたが。

 アレが俺にとっての母ちゃんなのだ。

 あの突っ込みがない日々は妙に物悲しい。

 とりもあえず。親父と同じ大学を目指してみようと思うが。

 愛子さん無しで俺はやれるだろうか?

 いや、やるしかないのだ。

 失った母を再生する為には。

 

 

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『フィードバック・レディ』 小田舵木 @odakajiki

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