第3話

 その妖精は、バンズという。


 あの頃のあたしは、植物フェチだったけれど、世の中の植物が減っていくのがつらすぎて、死にかけていた。


 三匹のように、対象が広ければ広いほど、好きを見つけるのは容易くなる。けれど、失われるものも多くなる。


 ロベは、漫画のつらい展開を摂取すると、幸せになるまで泣き続ける。別れて終わり、なんて漫画を見たときには、もう立ち直れないだろう。


 ホワァは、白い壁に落書きされているのを見ると、磨いて綺麗にしようとする。けれど、妖精の大きさと力じゃあ、綺麗にはできなくて、ご飯も食べずに磨いている。


 その点、ウェズは、無敵だ。異常気象になろうとも、世界から天気が失われることはない。この子だけは本当に、チートなのだ。


「君は、植物が好きなの?」


 バンズからそう話しかけられたとき、あたしは、消えかけていた。妖精は幸せが足りないと、消えてしまう生き物だ。でも、もう、死んだっていいと思っていた。


 二度と見られない植物が、どんどん増えていく。その悲劇に、耐えられなかったから。


「放っておいて。もう、消えちゃった方が楽だから」


「植物のどこが一番好き?味?見た目?匂い?」


「昔は味も好きだったけど、食べたら、なくなっちゃう。見た目も、虫にかじられてるのとかはいいけど、枯れてるのを見るのはつらいし。匂いは、色んなことを思い出すから。――今は、そんなに好きじゃない、かな」


 好きじゃない、と自分で言っておいて、涙が出てくる。どうしてだろう。


「僕は、ゾクゾクすることが大好きでね。特に、女の子の、絶望の涙は大好物なんだよ」


「クソじゃん」


「でも、生物を無理に泣かせるのは、好きじゃないんだ。僕たちは長い年月を、ともにこの世界で生きる。共存するには、他者を傷つけるやり方は、続かないだろ?」


「そうだね。結局、あたしたち妖精は、どこまでいっても分かり合えないけれど。分かり合おうとする努力もしなくていいけれど。他の妖精を傷つけることだけはしないように、考えなくちゃいけない。――妖精は、脆いから。あたしみたいに、すぐに死んでしまうから」


「――ああ、涙が零れそうだ……。啜っても、い、いいかな?」


「ウワキショ。……いいよ。それで、あと百年生きられるならね」


「いや。千年は、余裕だ」


 つーと、雫が流れるのを聞いて、じっと観察して、くんくん匂いを嗅いで、唇をそっと近づけ、啜った。


「んあんぁ〜……!!」


「なにこいつ、きもちわる……」


 でもいいのだ。どうせ、消えるんだから。


「んっはぁん……。さいっこう……っ」


 泣いてる……。


「普段は、どうやって生きてるの。人を傷つけないなら、涙を見られる機会なんて、そうそうないでしょ。幸せの涙には、ゾクゾクしなさそうだし」


「――知りたい?」


 そう言うと、バンズはポケットから布を取り出して、水たまりにつけ、ちゃぷちゃぷと、水を蓄えた。


 それを、軽く絞り、目線の高さに上げる。


「…………なんなのさ」


「しっ!」


 静寂。黙っているように言われて、仕方なく、黙り込む。


 ――絞りの甘かった布の中心に、雫が集まる。そして、ぽたっと、落ちた。


「これだよこれぇ!!」


「お、おう」


「雫が落ちる瞬間って、ゾクゾクするだろ?」


「まあ、分からないでもないけど……」


「ふっ。余裕な顔をしていられるのも、今のうちだ」


 するとバンズは、あろうことか、その布で、植物の葉を磨き始めた。


「な、何をするの……」


「もう分かってるんだろ?」


 湿った葉の水分が、葉の先に向かって集まり――少しずつ、膨らんでいく。


「さあ、もうすぐだ」


「ごくり……」


 膨らんで、そして――。


 ぽたっ。


「ぐはっ」


「あ、あぁ……」


 吐血して倒れたバンズから、布を奪い取り、私は同じように葉を磨く。


 そして――ぽたっ。


「あああぁあぁいいぃぃやぁあああさいこおおおおお!!!!」


 大好きな葉が、こんなにも湿ってキラキラと輝いて。それでぽたりと、雫を落とす。なんだこれ、なんだこれ!!


「植物の一番、美しい瞬間は、これだったのね……!」


「そうだ、デューモ。それが分かったなら、やることは一つだ。分かるね?」


「ええ。――あたしは、世界中の葉を磨くわ。誰になんと言われようとも!」


 世界に葉のある植物が存在する限り、あたしは、無敵だ。


―完―

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葉磨き さくらのあ @sakura-noa

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