水虎

第16話 人々の怒り

 そのころ、雫村では村人たちが、雨が降らないことに怒りを覚えていた。

 生贄を差し出した藤の一家は、心ない村人から嫌がらせをされた。

 葵龍神さまは、生贄が気に入らなかったのだという噂がながれ。

 その噂と一緒に、森の奥の洞窟にあるほこらに祀ってある『水虎すいこ』というあやかしの封印を解こうという動きが出てきた。

 水虎は水が好きな妖だから、雨を降らせてくれるのでは、という考えだ。


 そんな得体のしれないものに頼るほど、人々の生活は水がなくて逼迫ひっぱくしていた。




 雫村しずくむらの長老は、数名の青年たちを連れて水虎の祠に向かった。

 ほどなくして到着すると、頼み事をするように祠の中央にたった石碑を撫でる。


「水虎さまを蘇らせるのに、また生贄を用意してくれば良かったかのう。失敗した」


 無慈悲な言葉を吐いて、石碑に向き合った。

 その石碑はもう苔むしていて、ながい年月ここにだれも来なかったことがうかがえる。正面に刻んである文字も、もうかすれて読めない。

 しかし、古いながらしめ縄はしっかりと掛けられていた。

 ただ、雫村に伝説としてだけ残っている水のあやかし、という情報だけが頼りで封印を解きに来たのだ。

 実際、ここに水虎が眠っているかもわからない。

 しかし、もし実際に居て、そして雨をふらせてくれるのなら。

 万々歳であり、多くの人が救われるのだ。


 それだけを考え、長老は石碑になけなしのお神酒みきをかけた。


「水虎さま。我らの為に復活してくだされ。そして雨を降らせてくだされ」


 そして、小刀でしめ縄を断ち切った。

 長老も、男たちも、固唾をのんで水虎が現れるのを待った。


「長老、これで村が救われるのでしょうか」

「そうじゃ。きっとな」

「雨を降らせてくれるのでしょうか」

「水虎さまがいれば、きっとな」


 しばらく待ったが、変化はなかった。


「やはり生贄を用意するべきだったか……。そうすればいい雨を降らせてくれただろうに」


 長老が石碑に背を向けたとたん、背から斜めに血しぶきが飛んだ。


「か、はっ」


 言葉が出ない長老の後ろから、のそりと。

 痩せた男のような生きものがでてきた。


「妖にお神酒をかけるなんざ、間違ってると思わねえか?」


 その生きものは、舌なめずりをして顔にかかった長老の血を舐める。


「ふん、久しぶりの飯はまあまあの味だな」


 村のものが見たこともないくらい美しい容姿の魔物が、赤い舌を出した。

 都の遊女のような、貴族の娘のような、妖しい美貌を持ちながらも、目付きはすこぶる悪く、手には長い刃のような爪がついていた。

 その爪でさきほど長老の背を切りつけたのだろう、と男たちは思った。


 長老をおつきの青年が抱きとめると、まだ息があった。


「すぐに医師へ見てもらわなければ!」


 そう言った青年の首を、その生きものは無慈悲に長い爪で掻き切る。

 また生臭い血がその生きものの美しい顔や体にかかった。


 血のしぶいたその姿は、暗がりということも相まって、そこにいる者たちを震え上がらせた。


「化け物だ……」

「化け物かい? 酷い言いざまだな。俺は水虎。雨を願って蘇らせたのはお前たちだ。望み通りに降らせてやるよ」


 その瞬間、微量の小雨が洞窟の外でぱらぱらと降り注いだ。


「あ、雨か……」


 一瞬、喜んだ青年たちだが、雨は一瞬で止んだ。


「あ、雨を降らせてくれる妖なんじゃないのか! そう聞いたから俺はここまで来たんだ! お前はこの程度の雨しか降らすことが出来ないのか!?」


 大声で罵った青年の胸を、その生きものはまた掻き切る。


「わああああーーーー!!!!」


 青年の悲鳴、血の生臭さ、飛び散った赤いものが水虎をまた、まだらに染めた。

 森の洞窟のおく、暗がりに立つそのまがまがしい姿に、残った男たちはみんな後ろを向いて逃げだしていく。

 その様子をみながら、水虎は男たちに言い放った。


「よく蘇らせてくれたなあ。お礼に、血の雨を降らせてやったよ! 雨が欲しかったんだろ?」


 ハハハ、と高笑いが洞窟にひびき渡った。


「さてと。久しぶりに封印が解けたし、水でも浴びたいものだな」


 水虎は血だらけになった己の身体を見て、呟いた。

 そして、洞窟の外に歩き出す。

 すると。


 足元に青紫色をした球が落ちていた。

 水虎は首を傾げてそれを見て、手に取った。

 手のひら大のその珠は、綺麗に磨かれた紫水晶のようで、とても綺麗だった。


「ほう、これはいい宝を見つけたな」


 水虎はそれを空にかざしてとくとくと見た。


「みれば見るほど、綺麗な珠だ。まるで葵龍神の如意宝珠のよう……」


 水虎ははるか昔、封印される前に葵龍神の如意宝珠をみたことがあったのだ。


「ちょっと試してみるか。如意宝珠よ、俺の命令を聞いて大雨を降らせよ!」


 空に掲げたその珠はうんともすんとも言わなかった。


「やはりまがい物か……」


 そう水虎が言ったとき。


 ざああ、と今まで降らなかった大雨が水虎に、その一帯に降りそそいだのだ。


「はっ。まさかの本物?! はははっ! はははっ! 楽しすぎる!」


 水虎の身体についた血が、その雨で洗い流されて行く。


「丁度いいな。もっと降れ! もっと! もっと!!」


 ざーっと雨は豪雨になって水虎に、大地に、降り注いでいく。


「復活早々いいもん見つけた。さて、どうやって使おうか」


 森の中で水虎の笑い声がこだました。

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