第2話 初恋の人
どこをどう走ってきたのか、藤は雫村の山に足を踏み入れていた。
そこは、人が迷う森だから村人はあまり入らない場所であり、藤自身もむかし迷って一人では出てくることが出来なかった森だった。
(迷いの森にきちゃった)
木々は水がなくて枯れかけている。
木々にまとう蔦は、すでに茶色くなっていた。
それを見て藤はふっと息を吐いて両足を抱え込んでしゃがみこんだ。
周りを見ると、木々が枯れているため、雫村の建物が見えた。
むかしと違って帰る方向ははっきりと分かった。
しかし、藤がいま雫村に帰っても、死が待つだけだ。
膝を抱えて泣いているうちに、藤は昔の夢を見た。
それは、六年前の十歳のころのことだった。
いたずら心で迷いの森と言われている、人を惑わす深い森に入ってしまったのは。
周りはうっそうと高い木々が覆っていて、葉の陰で光が地面まで届かない森だった。
うっすらとしか陽がとどかない森は、光がけぶっていて薄暗くて不気味だった。
好奇心が勝ってちょっと覗いてやろうと思ってここに来た活発な藤は、さすがに泣きそうになった。
不安げに周りを見回すと、何かが動く気配と泣き声が聞こえた。
それは、人の声に聞こえたので、藤は自分と同じように森に迷った子供がいるのだと思った。
「だれかいるんでしょ? どうして泣いているの? あなたも迷ったの?」
そう声を掛けてみると、その子はぴたりと泣き止んで、立ち上がって藤の方を見た。
「……」
無言で藤をみたその子は藤よりも二、三、年上だろう、村のどの子よりも聡明そうで整った顔をしていた。
頭巾で髪は覆われているが、銀色の前髪が見えていた。
黄色い珍しい瞳の色をしていて、身ぎれいな着物を着た、少し異質な子だった。
でも、この子がいるから藤はいま、この森で一人ではない。思い切って声を掛けてみた。
「どうしたの? ここで何をしているの?」
「……さがしものをしているんです」
声は少年のもので、丁寧なしゃべり方をする子だった。
「何を探しているの?」
「宝物の
「宝物の珠?」
「そう、これくらいの、青紫色の珠を」
少年は両手を身体の前で丸く合わす。
本当に困っているようで、少年はまた涙ぐんだ。
だから、藤はその珠を一緒に探してあげようと思った。
「いっしょにさがそう。そうすれば見つかるよ」
「いっしょ……? ありがとう……!」
少年はぱあっと明るい笑顔になって、藤のもとへ駆け寄ってきた。
藤はにこりと笑い、自己紹介する。
「私は藤。貴方の名前は?」
「名前? 私はアオイといいます」
間近でみた少年は、異質な容貌であったけれど、村のだれよりも、大人よりも美しかった。
少し気後れして、焦りながら藤はアオイと一緒にその青紫色の珠をさがした。
そして、日が暮れたころに藤はその青紫色の珠を、小川のほとりで見つけた。
「あった、これじゃない?」
球を差し出した藤にアオイは満面の笑顔で藤に抱き着いた。
「そうです、これです! 藤、ありがとうございます!」
「……大事なものなんだね」
「ええ」
そう言うと、その珠に開いた穴に紐をつけて、アオイは首から提げた。
「本当にありがとう。とても助かりました」
「もう日が暮れるねー。って、私、村に帰る道が分からなかったんだ! アオイ、雫村までの道が分かる?」
今度は藤が泣きそうになってアオイを見る。
アオイはにこりと笑顔になった。
「分かりますよ。安心してください。私が案内します」
そうして藤の手をとって、歩き出す。
家族以外の人間と手などつないだことがなかった藤は、アオイが手を引いてくれたことに、とても照れた。
照れたけれど、とても嬉しかった。
迷いの森で、まよってとても心細かったところに、アオイがいてくれたから、藤は泣かないですんだ。
さらに、雫村まで案内してくれるという。
手まで繋いでくれて、アオイは頼りになるな、と彼の言った通りにとても安心した。
陽が落ちる前ぎりぎりに、藤はアオイに手をひかれて迷いの森の出口に出た。眼下には雫村が見えている。
「アオイ、ありがとう。……アオイは雫村の子じゃないよね」
「ええ」
「ならどこに住んでいるの? また会える?」
そう聞いた藤に、アオイはほほ笑んで「もう会えない」といった。
「さあ、おかえり。自分の村に」
藤は胸が痛い、という感情をこのときはじめて味わった。
つないだ手が離れる。
アオイは藤へにこりと笑いかけると、背を向けて森へ戻って行ってしまう。
藤は追いかけることができない。また迷ってしまうから。
切ない想いを振り切って、藤は村へ、家族のもとへと帰ったのだった。
「アオイ……また会えたらいいのに。そうすれば、今度はアオイについて行きたい」
昔の夢から覚めた藤は、ぽつりとつぶやいた。
この先に死が待ち受けている身としては、最後の一縷の望みだった。
無意識に迷いの森に入ってしまったのも、そのせいかもしれない。
しばらく座り込んでいた藤だが、閉じた目をかっと開く。
現実をみろ。
藤は自分に言い聞かせた。
いまは日照りで食べていくこともままならない。
さらに夏に入ったため暑さで体力も消耗する。
このままでは体力のない妹や弟はこの夏を超えられないだろう。
さらにいえば、村全体で夏に出る死者、そして自分の命さえ危ないことを考えた。
何もせずに死を待つのなら、生贄として立った方がいいのかもしれない。
古来から生贄を差し出すと、ぴたりと災厄はおさまった、というのだから。
「
大事な者の命が助かるなら。
藤は生贄としてたってもいいか、と思った。
そして、雫村へ重い足どりで帰って行った。
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