第3話 儀式

 風が吹いていた。

 どん、どん、と空に太鼓の音が響きわたる。

 その音に合わせて、神泉の前で着飾り舞を踊る女たち。

 太鼓をたたいているのは藤の父と弟、そして舞っているのは母と妹だった。

 儀式を取り仕切るのは長老だが、細かいことは神職である藤の家族がやっていた。

 供物は藤じしん。

 藤の父も母も弟も妹も泣きながら仕事をしていた。


 藤は滝の上へとつながる階段を、長老を先頭に供の男たちと少しずつ登って行く。


 そして、葵龍神の御許へとつながる滝の上にのぼった。

 上からみると、神泉はかなり下にあり、ここから落ちればやはり死ぬだろう。

 滝の下の周りには儀式を見とどけるために、村人たちがいた。

 滝は細く弱々しく落ちており、下の泉の水深はここから見ても浅そうだ。

 しかし、上から見ると、中央は深くなっているようで、底が見えなかった。

 

 夕方だった。夏の生暖かい風が頭頂に結った藤の長い黒髪を揺らす。

 長老が藤に向かって口をひらいた。


「藤。これから儀式を始める。葵龍神の贄には『五体満足で健康な』とあるから、身体には何も傷つけることはしない」


 藤は呼吸が荒くなるのを感じた。

 村からきた供の男たちは、藤が逃げたり暴れたりするのを取り押さえて、滝から突き落とす役目なのだろう。

 じりじりと近寄ってきたので、藤は腕を掴まれる前に男たち言った。

 大声をだして村人に聞かれては家族の肩身が狭くなるので、小さな声で。


「触るな。私は、本当は生きていたかった。あんたたちの為に私は死ぬんじゃない。弟や妹、家族のために飛ぶんだ」


 (なんで葵龍神の生贄は五体満足で健康な生娘なのよ。絶対に昔のいやらしいじじいが決めた決まりよね)


 藤は生娘が特別尊いとは思っていない。子供を産み育てた熟年の女性の方が尊いと思う。

 

 昔のいやらしい爺を恨みながら、藤は男たちがふれる前に、滝の上から空に向かって飛んだ。



 

 いくら高い滝でも下に着地するまで十秒とかからないだろう。

 空に向かって身を投げても、重力に引かれて下へと向かう。

 死を覚悟して目を閉じると、ごおお、という鳴き声のようなものが聞こえてきた。


 空から龍神が藤めがけて一直線に降りてきたのだ。


 大きな金色の目、鹿のような角をもち、ヘビのような身体に銀色の鱗とたてがみが光っていた。

 空を飛ぶためだろう、羽があり、手には水かきがついていた。

 

 葵龍神だ。


 龍神は身体をくねらせながら、しかし素早くまっすぐに落ちていく藤に向かっていった。


「ガウゥゥーー」


 雷鳴のような鳴き声を発しながら藤と共に落ちていく。


 村の人々は驚きと共に歓喜した。

 神が降りて下さった、と目を開いてその光景を見た。

 

 藤が泉に叩きつけられる前に、龍は大きなあぎとをひらいて、藤を口の中へとふくんだ。


 そして、そのまま下にある神泉へ突っ込み、大きな水しぶきをたてながら姿を消したのだ。

 



 あまりの超常的な光景に、村人たちはだれも何も言わなかった。 

 神泉はいましぶきを周りにまき散らして、大きな波紋が揺れていた。


 しかし、あの大きな龍がすいこまれるような大きさではないのだ。

 それなのに、龍神は藤とともに泉に消えた。


 村人たちは呆然として葵龍神の消えたあとを見ていた。


「儀式は成功した……!」


 長老の声がおおきく響いた。


「生贄は葵龍神のもとへと届いただろう。もう何も恐れることはないぞ」


 長老の声が泉に響き渡る。

 それを聞いた村人たちは、息を吐いて安堵した。

 もう日照りで苦しむことはなくなる、と喜んだ。


 藤の父と弟は太鼓をたたくのをやめ、地に伏せて号泣した。

 母も妹も舞をやめ、抱き合って泣いた。

 



にしきさい

 『はい』


 二人の声が可愛くはもった。


「この人の目が覚めるまで、ここに寝かせておいてください。そして目覚めたら知らせてください」

「わかりました」

 

 耳に心地よい男の声と、可愛らしい二人の子供の声が聞こえる、と藤は朦朧とした意識の中で思った。

 自分の置かれている状況がいまいちつかめず、必死に考える。

 

 私は――、そう葵龍神の生贄になったのだ。

 そして、たしか喰われたはず――


 滝から身を躍らせ、気が付いたときには口に含まれ、その時点で気を失っていた。


 ここは何処どこのなのだろうか。

 この人たちは誰だろう。

 

 そんなことを考えながら気力を振り絞ってうっすらと目を開ける。自分は誰かに横抱きにされて、運ばれているようだった。そして、やはり神殿の中のような造りの場所にいるようだ。

 障子にかこまれた廊下を抜けて、畳の部屋へとはいる。向かいの障子が開いたところから木々に咲いた花が見える。


 花? 今は日照りで花など見ることはできないのに。


 藤を抱く腕は、細いながら力強い腕だった。

 藤を抱いてもびくともしていない。

 着ているものは上等の着物なのだろうか、とてもいい香りがした。

 満ち足りた気分になって、その人物の腕の中で安心する。

 大きな何かに守られているような気持ちになったからだ。

 

 

 藤はその腕から、暖かくて柔らかい布団に寝かせられ、上掛けをかけられた。

 それがとても心地よくて、また意識が遠くなる。 


 (私、生きてる――)

 

 それだけを実感し、藤はまた深く眠りについた。

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