龍神といけにえの少女
陽麻
過去の思い出
第1話 いけにえの神子
枯れた森の中を、珍しくキツネが歩いている。
それを見た
やせ細った、あまり肉がついていないだろうキツネが、餌を探して歩いている。やせ細ったキツネでも、仕留めれば今晩の藤の家族の空腹と喉の渇きを満たしてくれる。
矢筒の中から矢をそっと抜き出し、弓につがえる。
狙いをつけてきりきりと引き絞っていった。
(いける……!)
藤の目がそのキツネを睨み据え、弓から矢が勢いよく放たれる。
キツネはものも言わずに胴を貫かれて倒れた。
(やったっ……!)
素早く獲物に近づき、藤は仕留めたキツネを手にした。
大人のキツネだ。やせ細っているけれど、大人なぶん、肉も血も多いだろう。
満足して、藤はキツネを抱えて帰ることにした。
今日はこのキツネを料理して、家族みんなで久しぶりに腹ごなしができる。
浮き立つ心を抑えきれずに、藤は速足で村に戻った。
周りを山で囲まれたこの村は、いま、日照りが続いていた。
陽明国の北に位置するこの地方には、雨季である六月に雨がほとんど降らなかった。
そのまま夏へ季節は移り変わり、日照りと暑さが人々を苦しめていた。
水がなければ作物も育たない。
それに加えての暑さが、人々を死に追いやっていた。
藤の家族が生きてこられたのは、藤が弓を使えたことと、この村にある細い水源のおかげだった。
弓で獲物をとってくることが出来る。それは、食料を確保できるということであり、今の状況ではとても有意義な技だった。
藤の家は代々この村の神職を努めていた。
そして、この北の地方を守る『
葵龍神にささげる供物を確保するために、神職でも弓を習い獣肉を捧げる。
葵龍神は龍神なので肉食だからだ。
「ただいま、父さん。今日は珍しくキツネがとれたよ」
「ああ……藤……か……」
家の扉を開けると、そこには長老や村の重鎮が集まって丸くなって座っていた。
泣いている妹の
藤の父も母も深刻な顔をして、特に母の顔は蒼白になっており、尋常ではない雰囲気が漂っていた。
「どうしたの? そんな怖い顔をして」
「あ、ああ……」
苦し気に絞り出された声は、かすれていて痛々しい。
その声と同時に母のうめくような泣き声がおおきく響き渡った。
「なに? なにがあったのよ……」
玄関である引き戸を閉めながら、土間に獲物のキツネを置き、靴を脱いでみんなのいる板の間へ上がる。
すると、長老である老人が藤の方へ頭をむけた。
「藤。ここのところの日照りで、村では死者が出ているのは知っているな」
藤は長老の声に応え、背筋を伸ばした。
「はい」
「もう、三月ほど、ほとんど雨がふっておらん」
「……」
「我々は、何か神々の不況を買うことをしてしまったのかもしれぬ」
真面目な顔でそういう長老に、藤は真剣に耳を傾けた。
「神々がお怒りになっている……と言いたいのですか。でも何故? 神職である私たち家族は、供物を忘れたことは無いし、丁寧に葵龍神をお祀り申し上げています。それにこの村では、他の村よりもまだ死者の数は多くはありません」
「何故か? とな。それが分れば何も問題などないのだ。それが分らないから、人が死ぬのだ」
藤たち神職の一家がしてきたことが、何も意味をなしていないと言われたようで、藤は少し悔しかった。
「ならばどうしろと……」
「生贄じゃ。生贄をたてて葵龍神に
藤はめんくらった。さっきとってきたばかりのキツネ。あれを贄にしてしまうのはもったいない……、と脳裏によぎる。
「藤、この国に伝わる蘭鳳神と葵龍神の神話を知っているか?」
「? ……はい、知ってます」
「その話では、健康で五体満足な生娘を生贄にささげると、災厄はおさまった、とされている」
藤は何を言われているのか、とっさに理解ができなかった。
少女の生贄の話は、もう昔にすたれた神話の話だ。
それをこの長老は信じて、実際に条件にあった少女を生贄に差し出そうと言っているのか? 正気ではない。人間は贄ではない。
「何を……言っているんですか? 少女の生贄?」
信じられなくて繰り返せば、母のくぐもった泣き声がまた大きくなった。
「そうだ。そして、その生贄に選ばれたのが、藤、お前なのだ」
父の声を聞いて、藤は目を大きく見開いた。
「い、生贄って、私、死ぬの?」
「葵龍神がそう望むなら」
長老の声が静かに小さな家に響き渡る。
「むかし、この村でも生贄の儀式は行われていたという。村の神泉にある滝、あの場所から葵龍神の御許へと行くのだ」
村の神泉、とは、山から流れる滝を受け止めている小さな泉のことだ。細い水源とはこの泉のことだ。
雫村が日照りにも関わらず、他の村よりも死者が少ないのは、この泉のおかげでもあった。
しかし、今は日照りが続いているので滝の流れはまるで糸のようで、水などほとんどおちていない。しかも、この滝はかなりの高さがあった。
受け止める泉は、今は水深が浅い。
つまり……。
そこから葵龍神のもとへ、ということは、水の流れがほとんど無い滝の上から飛び込めということで、実質的な死を意味する。
藤は大きく息を吸った。
「そんな……」
いやだ。死ぬなんて。今までだってこの日照りの中を必死で生きて来たのに。
そう思うと同時に、藤は引き戸を勢い良く開けて、家から飛び出した。
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