第1章⑦――幽霊はいない



 今日は個別物資が届く日だったので、補習が終るのがいつもより待ち遠しかった。私はさっさと支度をして、受取場所である搬入口に急いだ。基地の教室棟を鳥瞰した際、その檻の鉄柵は都合四本ある。丁度、時計に使われるローマ数字の四の形である。居住棟はローマ数字の二であり、基地はこれら教室棟と居住棟が上下で連結されている形である。式典会館、体育館、訓練場などはすぐ横の別館にある。搬入口は教室棟の右上の出っ張りにあたる。教室棟の左は下級生の教室であり、食堂と職員室を挟んで右に上級生の教室があるので、そちらに行くことはほとんどない。  


 私は廊下を一人歩いていた。日は落ち、生徒が入浴している時間帯なので人影もなく、なんとなく不穏であった。基地の周りに灯りは少なく、夜になると外はほとんど真っ暗である。宇宙空間を慣性で進むロケットの気分。……足音がしたので、私は外から目を離した。鞄を抱えたアタリさんが前から歩いてきた。


「こんばんは。お疲れ様です。勉強してたんですか?」


「おう。私が勉強しているのはいつも通りだろう」


 アタリさんが止まったので私も歩くのを止めた。


「そっちも補習だろ? ご苦労さん」


「はい」


「で、どうしたんだ? こんなところに」


「前に申請した本が今日届くので、受取りに」


「ああ」アタリさんは顎を掻き、宙を仰いだ。「あれ本も買えるのか。知らなかった」


 キイロに聞いたのだが、漫画やCD、購買で買えないお菓子なんかも買えるらしい。私は少数派であるらしかった。


「今から受け取るのか。向こうの搬入口?」


「そうです。初めて行くので勝手が分からないのですが……」


「まあ、行けばなんとかなるだろう」


「そうですね」私は頷く。


「あと、気をつけろよ」


「え? 何にですか?」


「幽霊が出るらしい」


 いつもの真面目な顔でアタリさんは言った。あまり冗談は言わない人なのだが、たまにあるから判別が難しい。


「幽霊ですか。搬入口に?」


「いや、手前に空き教室があるんだが、夜な夜なそこに出るとか。見たわけじゃない。噂だ」


「はあ、出るだけですか。悪さをするのではなく」


「いや、なんともレナトスの幽霊だから、サングイスで襲ってくるらしい」


「それは怖いですね。とてもかなり」


 適当な相槌を打つ。アタリさんは神妙な顔で頷いた。


「この基地ができた年、私が一年の時だな、先輩が作戦中にいなくなる事件があったんだ。その先輩が、自分を見つけてくれなかったことを恨んで、こう、出るというわけらしい」


「なるほど。幽霊の身元は分かっているわけなんですね」


「うむ。だが、噂が囁かれ始めたのは最近だから、行方不明の先輩は後付けだろう。二年越しに今になって祟り始める理由が分からないからな。恐らく、推測だが、遅くまで教室に残っていた生徒を幽霊と見間違えて、それを聞いた誰かがリアリティを出すために脚色したんだろう」


「いいかげんな噂ですね」


「全くだ。彼女のサングイスを知らないやつが作った与太話だよ」


「は?」


「いや、なんでも」アタリさんは右耳に手をやった。「すまんな、時間を取ってしまって。用事があるんだろう?」


 何かはぐらかされた気がしたが、そのまま私とアタリさんは分かれた。また一人になって廊下を歩く。それにしても幽霊とは。オカルティズムに属したエピソードは面白いし、家でも関連の本をたくさん読んだものだが、あくまで興味本位の娯楽であると、私は思っている。とても信じ切れるものではない。


 件の空き教室の前まで来る。電気は消えており、中は暗くてよく見えない。通ったが特に何もなかった。幽霊は信じていないが、なぜか早歩きになってしまった。とにかく、私は無事に目的地までたどり着き、配達員に申込書控えを渡して、目当てのものを受け取った。この量であれば、一か月くらいは持つだろうと思った。本を入れたら手提げが重くなり、持ち手が手のひらの肉に食い込んだ。痛かったので足早で歩いて帰った。暗闇が怖いからではなく。


 空き教室の電気が点いていた。



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