第1章④――安穏とした部屋の中で


 大抵のレナトスは十二、三歳になると無自覚にその能力を得る。そして背中を蹴られたり、服にシチューをこぼされたり、鼻の形を馬鹿にされたときに、ささやかな想像上の報復を行って、初めて力を自覚するのだ。想像は実体となり相手を傷つけ、力は公に晒されて少女の運命を決める。この国では、運命は国土奪還への使役だった。レナトスを認めない地域では、運命は死だった。彼らが信じる宗教により、死後は漏れなく地獄へ行った。


 十三歳になる年、戸籍を持った少女は身体検査を受け、レナトスか否かを選別される。その前に初潮が確認されれば、レナトスでないとして検査は免除されることになる。とにかく法に守られ、健康を管理されているような復興特別区の人間であれば、レナトスであることを国に把握されるのだ。つまり私のような途中入隊はほとんどスラム出身だった。だから十五歳という年齢で入隊したのだが、カウンセラーの話では一年の訓練期間があるようであった。当然の話で、普通レナトスは十三歳には入隊し、一年以上かけて知識の習得や図上訓練、肉体的な訓練を修めるのだ。実働演習や実戦は二年生からである。生まれてから全くと言っていいほど体を動かしたことのない私と、他のレナトスには雲泥の差があった。今では大分ましになったが、最初は戯れにボールを捕球して、相手に投げ返すことすら困難であったし、走ることでさえ上手くできなかった。このなまりになまった身体を兵士に作り替えるのに、一年という期間は長すぎるということはなかった。


 なのに、である。カウンセラーの話と違って、私は他の二年生と全く同じメニューを受けていた。あと一、二回の演習が終ったら、掃討戦に駆り出されることになる。掃討戦とは丙級以上が全て討伐されたことを確認したエリアで、残りの低級クリーチャーを殲滅する作業である。掃討戦の後、クリーチャーを吐き出すホールが破壊され、そこに次の前線基地が作り出される。そして古い基地跡に、新しい街が出来上がることになる。掃討戦は主に二、三年生の仕事であり、これがレナトスの初陣であることがほとんどだ。グラディウス、マレウス、アルクスなんかは丁級のクリーチャーを狩り、一部のスペシャルとか、スクートムなどは荷物運びや救護、それと索敵が主な仕事となる。…………。


 ……私はどうも釈然としなかった。なぜこうも急かされるのか? 初めてリンと会った日、彼女は他の途中入隊者が、下の学年に混ざっていたとはっきり言っていた。つまり私は異例である可能性がある。訓練もせずに実戦など普通はありえない。入隊当初はその謎が気がかりであった。最近では打って変わって他人のことばかり考えている。もちろんシズクのことだった。


「赫耀のクルークスだって、馬鹿みたい。誰にそんなこと吹きこまれたの?」


「あれ、だってキイロが……」


 私が情報源を言うと、カノンは容姿に似合った無邪気さで笑った。ここまで思い切り笑われると、こちらも気持ちいいくらいだった。


 部屋の中には私とカノンの二人しかいなかった。二段ベッドとシングルベッドが一つずつあって、私は二段ベッドの下の方に座っていた。ベッドに挟まれる形で文机が二つ壁際に並んでおり、カノンがその一方を占有していた。文机が接する窓からは夜の廃墟が覗き、食料や日用品を載せたトラックの真っ赤なテールランプが、暗闇に光をなびかせていた。


「もしかして嘘ってこと? どうしてそんなこと……」


「それはね、担がれたんだよ、きっと」臙脂色の部屋着を着たカノンは、涙が出るほどおかしかったのか、指で目元を拭う。「彼女、イタズラとか、かき回すのが好きだから……」


「なにそれ。酷い。騙されたってわけ? こっちは真剣なのに」


「逆におかしいと思わなかった? 二つ名なんて。フィクションじゃあるまいし、そんな馬鹿みたいな。生身の女の子に赫耀とか、ださいよね、本当に」


「…………」


「……ニコ? どうしたの?」


「全く同意見だったから。キイロのセンスって、終ってるよね。ださすぎる」


「だよねー」


 カノンはそう言って、座っているアーミングチェアを左右に揺らす。風に揺れる野花のような不規則な揺れ方だった。傷ついた私は、黙ってその揺らぎを見ている他なかった。


 赤いが二つで赫い、とカノンは真面目腐った顔で呟くと、耐え切れなくなったように哄笑する。顔面の血管が広がって熱くなる心地がした。なぜこんな罰を受けなければならないのか。私が何をしたというのか。


「このキャッチコピーもキイロが作ったのかな? 赤いが二つで、赫いって、ふふ。馬鹿すぎ」


「……だよね。本当にそう」


「すごいなあ、キイロのセンスは。赫耀のクルークスってネーミング、本当に……」


 カノンはくすくすと、口に手を添えて笑う。


「もう、キイロの話は信じない」


「そのほうがいいね。でも、コードがクルークスなのは本当だよ。ほら、あの時、トウカさんも口走ってたの聞いてなかった? 確か上級生に同じ名前があったみたいでさ。なんか話を聞く限り、キイロがシズクに入れ知恵したっぽいけど」


 コードとは作戦中の呼び名である。二年生になると自由に決められるのだが、大体はそのまま自分の名前や苗字だったりする。たまたまコードが被るとどちらかが譲ることになる。シズクの場合は相手が上級生だったから本名が使えなかったようだ。そこに前々からシズクに目をつけていたキイロが、「クルークス」を提案したのかもしれない。シズクはコードに頓着がなかったのか、そのまま採用してしまったらしい。あの時「クルークスだ」と叫んだやつも、今思い返せばキイロの声だった気がする。


「……というか、キイロのいたずらより、シズクのことが聞きたかったんじゃないの? ほら、四月の初めのさ。年始審査。気になってたんでしょ?」


「そうそう。試験みたいなものだっけ」


 一年間の訓練を終えたレナトスはその成果を二年生の初め、年始審査で披露する。クラスによっては本物のクリーチャーを相手にするらしい。私はカノンと同じく四月に入隊したが、スラムからの途中入隊ということで受けていなかった。手続きもあって忙しかったし、見学もしていない。他の基地からの転入であるカノンは審査も受けたし、他のレナトスについても見ている。その年始審査でシズクが騒ぎを起こしたのだと、風の噂で聞いたのだ。だからカノンとシズクについて話していたのだが、いつの間にかキイロの話題にすり替わっていた。


「審査って言っても、合格も不合格もなかったけどね。失敗しても進級できるし。ただあまりにも不出来だと、家族への手当が取り消しになるって噂があったから、みんな必死だったよ」


「カノンはどうだったの?」


「私はアルクスだから簡単な射的で済んだよ。厳しいのはマレウスとグラディウスだね。丁級でもクリーチャーを相手にしないといけないから。泣いちゃって試験中止になった子もいたよ」


「なるほど、そこでシズクが他のクリーチャーまで横取りしちゃったわけか。それで大きな騒ぎになったんでしょ?」


「半分正解」カノンは由ありげな微笑を湛えて言った。「横取りって言うより、その副産物が問題だったんだよね」


「……激甚化ね」


「そういうこと」カノンは頷いた。


 丁級は適正人数が一人である。故に戦闘に一人が割り込んでくるだけで、容易に上の丙級になる。丙級以上になると、並大抵のレナトスではまず討伐不可能だから、チームを組むのが普通だ。丙級の適正人数は二人であるから、これ以上激甚化を起こさないためにも、誰も止めに入られなかったに違いない。


 この前のやつとはわけが違うよね、とカノンは言った。


「式典会館でも一日演習でも、シズクは激甚化の起きる前にクリーチャーを仕留めてたけど、試験の時はタブーを破ったわけだからね」


 直接でなくとも、カノンの言わんとしていることは分かった。「タブー」という言葉に全てが含まれていた。激甚化は使われる場面において、微妙に意味が異なる。例えば一日演習の時、トウカさんの質問に対するリンの例え話。あれは授業で扱われるような倫理問題を引っ張り出したのだろうが、あのような文脈では、激甚化は言葉の通りクリーチャーの階級が上がること、それだけを指す。二足す二は四という簡単な計算のような、言葉の上で抽象化された使い方だ。そこには足し合わせる果物は想定されていない。クリーチャーの獰猛さや、引き起こした歴史は捨象され、激甚化は単純な結果として捉えられる。しかし現実では違う。三十年前のあの日、重ねに重ねられた激甚化は、人類の手に余る化け物を生み出し、大地を焼いた。九か月に及ぶ大虐殺で、世界人口は半分以下まで下落した。文明は衰退し、今後五十年は進歩が望めないと予測された。二足す二は五にも十にも百にもなった。自然に発生するクリーチャーは上から甲乙丙丁の四段階であるが、その上に一つ、激甚化のみでしか到達し得ない領域がある。それらは悪魔と呼ばれ、悪魔を生み出したのは人間だった。その歴史、悲劇の感慨を込められた場合、言葉の重みは決して軽くない。激甚化はリンの最初の答えの通り、間違いなく戦闘で避けなければならない禁忌なのだ。


 そう、禁忌。


 本来、クリーチャーとの戦闘はかなりデリケートな、レナトスの気まぐれに任されていいものではないのだ。レナトスは簡単に禁忌に触れられ、のっぴきならない災害に通じるのだ。しかし、私はクリーチャーと戦うことを欲していた。それは欲求ではなく、使命ではならなかった。個人の都合で戦うべき相手ではなかった。


 私はどこかずれている、と思った。そして、恐らくそのずれを理解してくれるのは、シズクしかいない。


 …………。


「……大丈夫?」


 思考から顔をあげると、カノンのハの字眉がこちらを覗いていた。私はその眉毛の間抜けな感じが大好きだったから、すっと気持ちが軽くなった。


「ニコって、突然、魂だけどっかに行っちゃったみたいになる時あるよね」


「ごめんごめん。続けて」


「まあ、後はそこまで話すことは無くて、さっさと倒しちゃったんだけどね」


 話は以上のようだった。詳細が知りたくて、どのように倒したかと聞いたら、覚えていない、とにかくすごかった、と返された。


「じゃあさ、カノンは私よりもクリーチャーを目にしてるわけじゃん」


「……確かに、そうだね」


「その時、何か感じることない?」


「え? それは……怖いとか、本当に真っ白だなとか思うけど……」


「違くて、こう、惹きつけられるような。引力みたいな」


 私がそう言うと、カノンは曖昧な、困ったような微笑を浮かべた。私の突飛な質問に、彼女はよくこんな顔ではぐらかすのだ。これ以上続けるのは無駄だと思ったので、追及は止めた。やはり、私はシズクに会わなければと思い……ドアの開く音がした。振り向くと、制服姿のアタリさんであった。


「お疲れ様です。勉強ですか?」


 カノンは素早く居住まいを正し、労いの声をかけた。アタリさんは肩に掛けた鞄を机に置くと、自虐的な笑みと共に息を吐いた。薄い唇から真っ白な歯が覗いた。


「そうだね。三年だと教科が増えるから、明日も試験だよ」


 アタリさんはほとんどのレナトスが蔑ろにしている勉学に励む、珍しい上級生だった。普通は赤点を取らないように試験に臨むものなのだ。レナトスは薄給の代わり、卒業後は優先的に希望の学校や職が斡旋される。トウカさんのように後進の育成に就いたりする人も多い。軍の教育部も、レナトスの不真面目に対して特に何も言ってこない。彼らとしても教育は建前なのだろう。前になぜそこまで頑張るのかアタリさんに聞いたら、


「嫌なんだよ。他人より点数低いの」


 と真顔で答えられた。なんだか自分の怠惰とプライドの低さを非難された気分になった。


 また羨ましいことにアタリさんはシズクと同じ、花形のグラディウスである。それに一つしか離れていないのに頭一つ分は背が高いし、鼻梁も真っ直ぐ通って大人っぽい。


 軽く劣等感。


「今何時?」


「八時四十分です」


「ぎり間に合うな」


 そう言うと、アタリさんはベッドに投げ出された衣類やタオルをかき集め、颯爽と部屋を出て行った。どうやらお風呂に行くようだった。急いで閉められた三人部屋のドアは、反動で若干半開きになっており、軋む音を立てて揺れていた。

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