電脳式代理戦争

「っし、滑り込みセーフ……」


 レイド開始7分前。


 無事一時間越しのリスポーンを果たした俺は、薄暗く狭い空間で目を覚ます。ほんの少しでも動いたら鼻先に壁が当たってしまいそうなほどのそれは、いわゆる休眠カプセルのようなものだ。

 カプセル内でユーザーデータの認証が自動的に行われた後、何やら蒸気のようなものを吹きかけられ、重々しい音を立てながら眼前の壁がスライドしていき……景色が一気に開ける。


 そこは大勢の人が行き交う異世界のメインストリート。この学園都市の外縁部に築き上げられた、世界初の対サーバ前線基地だ。

 プレイヤー用のセーフルームやクエストロビー、技術職プレイヤーが切り盛りする工房なども建ち並んでいて、こちら側に転移した人々が快適に出撃準備を整えられるようなインフラが揃っている。


 もっとも、現実世界からこの区域を見渡しただけでは、用途不明の無人ビルが大量にそびえるゴーストタウンのようにしか見えないだろう。現実とベーダの間で建造物オブジェクトが連動する仕組みを逆手に取っているってことだ。


 あとはまぁ、最悪サーバに一番外側の壁を突破されても外縁地区を犠牲にして市街地戦に持ち込み倒しきれば人的被害が0で済む、みたいなクッション材の役割も兼ねているらしい。確かに合理的っちゃあ合理的だが、何とも維持管理費はバカにならなそうな話である。


「にしても……」


 今はやたらと人が多い。いくらレイド前とは言え、往来の騒がしさはいつもと比べても5割増しってところだ。俺が言うことじゃないけど平日の昼間っすよ? 皆さん普段何をやってらっしゃる方々で?


『――戻ったか、ミナト』


「おお、ハルか」


 声の主は近くにいない。だがそれは確かに耳に届いた。パラダイム内ではフレンド同士で自由に通信を行うことができる。ウィスパーチャットと呼ばれる機能だ。


『レイド開始まであと数分で再ログイン……、あの後大体5分くらいで死んだ計算か? まぁそんなものだろう』


「んだとコラ悪かったな大して長く持たなくて!」


 わざとらしく鼻で笑うような声まで入れやがってこの野郎……。どうせどっちがあの場に残っていようと、結果は似たようなものだったに違いない。あんな初見殺しを前にして一発で捌けるような人間はそうそういない……あ。


『まぁそこに関してはさほど問題ではない』


「……あ、あぁ、耐久時間の話ね、うん」


 どうしよう、教えておいた方がいいかな、大蜘蛛が形態変化して挙動が別物になってるってこと。あの後俺がどうやって死んだかを知らない以上、ハルは第二形態の存在も知らないはずだ。とは言え、ネームド級の出現報告を上げてからレイドの発令・開始までに掛かった時間が異常に短いことを考えると、どうも上層部……というかあの会長は大蜘蛛の高速形態を認知しているようにも思える。


『? どうかしたか?』


「……いや、こっちの話は後で良い、続けてくれ」


 まぁ上が分かってそうならいっか。ハルには是非目を丸くしていただこう。反応が楽しみだ。


「っていうかそうだ、何か今回人多くね? 平日のレイドってこんなもんだっけ?」


『丁度その話をしようとしていたところなんだが……』


 と、ハルはそこで言いよどんだ。

 どうした、と聞くには及ばない。その理由は視界の真ん中に浮かんでいる。


【告知:レイドクエストの概要を更新しました】


 半透明の小さなウインドウにはそう記されていた。レイド開始5分前になると現れる、俺たちにとってはおなじみの予告情報クエストボード。ここに、その時のクエストで標的となるサーバのデータが可能な限り羅列される。


『何にせよ、見てもらった方が早いだろう。展開してくれ』


「あぁ」


 そう返事をしたのとほぼ同時、街中にどよめき声が上がり始める。驚愕と困惑が入り交じったような、不安定で掴み所の無い空気。水を打ったように伝播する違和感が、背筋を逆撫でしていく。


「え、なになに? 怖いんだけど」


『いいから見れば分かる』


 はあ、と雰囲気に流されるような生返事を返し、俺はウインドウをポンと押した。小さかった枠がグンと拡大され、その最上部には今回討伐対象となるサーバの名前が……、


「……はぁ?」


 素っ頓狂な声が腹の奥から漏れ出た。喉じゃないぞ、もう腹から出た。


『つまりそういうことだ。俺たちが接敵したのは――』



 サーバの名称には、ある程度の法則が存在する。


 ほとんどの小型、いわゆるザコに値する個体には最低限の識別コードネームが与えられ、小さいものから順にα、β、γという記号が名前の後ろに付けられる。狼型のサーバを『ヴォル』としたら、最も小さいものが『ヴォルα』、それより大きく脅威度が高ければ『ヴォルβ』、『ヴォルγ』といった具合だ。


 これと別枠で考えられるのが、命名種ネームドと呼ばれるもの。ネームドは多くの場合、形状が根本から他のサーバと異なる。故にそれらには全く別の固有識別名が与えられ、危険な個体として特別な扱いが施されているのだ。


 だが。その脅威度を大きく超えるものもまた、この異世界には確かに存在する。

 ネームドを超えるネームド、即ち二つ名持ち。またの名を――、



二節縫合体ダブルスタックだ……!』



【発令:特別警戒態勢】【討伐対象:幻惑の撃鉄リカード・ガンバニー



「なるほど、こりゃあ――」


 ――運が良いのか悪いのか分からないな。ほんの少し前に散々思い返したそんな言葉を、今一度反芻する。


 二節縫合体はパラダイムシステムが成立してから七年間の記録上、二桁程度しか出現を観測されていない強力な個体だ。そして、討伐が出来なかったケースでは漏れなく『大幻災』へと繋がっている。これが意味するところは至って単純明快だ。


「何が何でも倒すしかねえ、か」


『とにかく緊急事態だ。万が一に備え学園は全体臨時休講、希望者は議会棟内で全員システムの戦力に回ってもらっている』


「なーるほど、だから人が多かったわけね」


 あんまりボス相手に人が増えて欲しくないんだけどなぁ。対ボスの報酬は貢献度のパラメータを全体に対する割合で算出して支払われる。人が多ければ多いほど取り分も減るので醜い争いが起こりやすい。前に俺もトドメを横取りされてキレたことがある。誰が体力3割も削ってやったと思ってるんだこの野郎……! 皆はマナーを守ってサーバを討伐しましょうね! あんまり悪質だったらアクセス権凍結措置とかちゃんとあるからな!


『学園はガフの中心部だ。仮に外縁地区が攻め落とされても決して魔の手が向くことはない』


「そりゃ安心」


『だが……そう言えばお前は学校行ってないんだもんな……』


「だーもううるせえな! だから倒せば良いんだろ倒せば!」


 確かに今のところ普通に死ぬ可能性が一番高いの俺じゃん。それでも十分距離はあるし大丈夫だと思うけどさ。


「ひとまず合流しようぜ。今どの辺りにいるんだ?」


『それなんだが……少し召集が掛かっていてな。一旦別れて行動することになりそうだ』


「あそう? じゃあまぁ、そうさせてもらうとしますかね」


 生徒会直属の治安維持組織なのだ、厳戒態勢が敷かれている今、やらねばならないことも山ほどあるのだろう。そう考え、俺はハルとの通信を打ち切った。


 ぐるりと腕を回し、身体の感覚を確かめる。気分は上々、いつもより緊張感はあるが、それもこの世界においては程良いスパイスの一つ。多少は背負うモノがあった方がやる気も出るってもんだ。


 外縁地区の街並みを抜けると、その果てにはさながら城壁のように都市を囲うゲートが構えられている。ガフの内外を繋ぐこのゲートの先に広がるのが、戦闘区域――俺たちにとっての狩り場となる。


 リポジトリから魔装核セイズ・フレームを取り出し、両手に握りしめる。先の戦闘である程度の感覚は掴めた。出力した武装に実体が無いからこそ実現した圧倒的な軽さ。それ故に手応えは独特だし重心の把握もしづらい。加えて、いくら拡張性があると言えど使用感は好き嫌いが分かれそうだし、まだ万能とは言いがたい。それも当然だ、まだ試作品みたいなものなのだから。


 だが、軽さは速さだ。動きを最適化していけば、更に軽快で爽快な操作感を得られるに違いない。俺が求めているのは、それだ。


「長い付き合いになりそうだな、コイツとは」


 さぁて、もうすぐ開始時刻だ。

 ボス一体倒してハイ終わりならまだ楽だが、どうせそうはならない。気を引き締めて行こうじゃないか。


 再びユーザーデータの認証を受け、ゲートが開いていく。


 その先に広がるのは、果てしない大平原。なだらかな起伏に富んだ新緑の絨毯からは、ところどころ色艶の良い岩が突き出ている。ついさっきまで眺めていた無機質な街並みからはとてもじゃないが想像できない、まるで世界が変わったかのような景色だ。


 少し遠くに目を凝らせば背の高い木々が影を落とす森の入り口が見え、その先にある山――さっきまで俺たちが戦闘していた場所だ――の麓を覆い隠している。


 そんな山の上から吹き下ろす風が運んでくる木々や草花の香りも、俺たちは鮮明に感じ取ることが出来る。この忠実に再現された五感も、パラダイムの大きな魅力だ。

 今や都市の外はほとんどが戦闘用区域として指定され、生身の身体では出入りすることすらままならない。こんな自然の景色を感じることのできる場所も、現実世界ではかなり限られている。


 ……そろそろ頃合いだ。


 アラートが鳴り響く。雲一つ無かった青空が緊急事態エマージェンシーを示す真っ赤なアイコンへと、オセロの駒のようにひっくり返されていく。

 ゲートはひっきりなしに開閉を繰り返し、次々にプレイヤー達が戦闘態勢を整えていた。


『――ミナト』


「うおっ何だハル、もう用事は終わったのか?」


『いや、もう少し掛かるが……忠告をしようと思ってな』


 その言葉をハルが言い切るが早いか、僅かな地響きが俺たちプレイヤーの身体に襲いかかった。それは決して、あの大蜘蛛によるものじゃない。もっと細かく、もっとけたたましく、何よりもっと


『今回の二節縫合体の出現位置は非常に悪かった。山岳地帯と都市を直線で結んだとき、その間にはあの森林が大きく横たわっている』


「あぁなるほどね、大体言いたいことは分かった……!」


 その言葉の意味するところを察し、俺は魔装核のトリガーを引いた。一対の光剣を構え、その地響きの正体を前に身構える。もしかすると、今回の戦闘は思った以上に規模が大きくなるかも知れない……!


『森林地帯は小型サーバの巣だ。上級個体の出現によって脅威を感じパニックに陥ったサーバ達が一斉に逃走を図っている。その行く先は言うまでもないだろう』


 そう、それはかつて幻災の大部分を占めたとされる、連鎖的災害。


「スタンピード……!」



【大規模侵攻が発生しました】

【管轄区域内に脅威を確認】

【脅威度の測定が完了しました:2281】

特別認定大規模侵攻迎撃作戦ダブルスタックレイドクエスト幻惑の撃鉄リカード・ガンバニー戦を開始します】


 緊急ウインドウが多重展開する。時刻は14時、定刻開戦だ。


 しかし四桁の脅威度自体それなりに稀だってのに、それすら軽々飛び越して二千と来たか。冗談キツいぜおい。

 地響きは徐々に大きく、その煩雑な足音が立てる土煙すら目に見えるほどに近づいている。数を数えるのも馬鹿馬鹿しいが、まずはあれを全部片付ける必要があるってことね。なるほどなるほど。よくもまぁ無茶を言ってくれやがって。


「ッシャア上等だ! まとめて掛かってこい!」


 まぁちょうど一時間もブランクが空いちまったんだ、雑魚処理で準備運動と行こうじゃないか!

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Out of Order Online. 矢五八 寝倉 @nequra_rjbh

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