むかしむかし あるところに

「んだよ、思ったよりもずっと早いな」


 炎天下に照らされながら、俺はウェアラブル端末の通知に目を落とす。レイドの発令は一四時から。俺が再ログイン可能になるのとほぼ同じタイミングでの開始ということになる。確かに早くても一時間後にしてくれとは言ったが、まさか本当にその通りにする奴があるか。それほどに早急な対策が必要と会長が踏んだってことなんだろうが……。


 いや、うん、早急に滅すべきではあるな。人のことを舐めきったようなあのぷかぷかと浮かぶ挙動、思い返しただけで殺意が湧いてくる。


 と個人的な恨みはさておき、長期間放置しておくと面倒なことになりそうな個体だった……というか、そういう風にしてしまったのは確かだ。

 形態変化前の鈍重そうな図体ならまだしも、浮遊と瞬間移動を獲得している今の大蜘蛛バージョン2は、恐らくその気になれば一瞬で街を射程圏内に捉えられる。


 あれ? もしかしてそうなると俺って大戦犯なのでは? 


 そういえば前にハルに教えてもらったことがある。

 世の中には不用意に攻撃を加えることで却って不利になるボスがいて、それをやらかしたプレイヤーが匿名のオープンチャットで晒され引退表明するまでボロカスに叩かれるとかなんとか。何のゲームの話だかはさっぱり分からなかったけど、まさかアレと同じパターンってこと? 『パラダイム』の引退表明って何? 死?


 ……まぁ、本当にヤバかったら今頃もっと大騒ぎだろうし大丈夫なんだろう。多分。


 突如駆られだした底知れぬ不安を払うように頭を振り、俺は空を見上げる。

 マンション街であるこの辺りは、昼間の人通りがまるでない。その分、人が集まっている中心部はきっと今頃浮ついた学生たちで溢れかえっているはずだ。ビルの側面から飛び出す広告用博グラムも、今や臨時ニュース一色に染まっている。




 ――ほんの数年前まで、この世界はある災害に見舞われ続けていた。

 それは何の予兆もなく突然発生し、地震や突風と共に建物や地形に甚大な被害を及ぼす。人間社会が発展するにつれその脅威度は増し、歴史上で数え切れないほどの犠牲者も出した。しかしその原因も、正体も、対策の手がかりの一つすら長らく掴むことが出来ないまま、人々はそれを自然現象の一つとして受け入れ、耐え忍ぶしかなかった。


 果たして、誰が言い始めただろう。

 その災害はやがて、『幻災』と呼ばれるようになった。



 まぁ、そんな感じのものが昔の話らしいが、このタネは今から一五年ほど前に明かされることになる。


 なんでも研究の末、俺たちの世界にほど近い次元に異世界とも言える別次元の空間が存在していたことが明らかになったという。

 『ベーダ』と名付けられたそこは、異形の怪物が蔓延る世界。そう、この怪物こそ、今はサーバと呼ばれている敵だ。


 ベーダと俺たちの世界は同期しているらしく……つまり、ベーダでサーバが暴れ回り、こちら側で言う建物に該当するオブジェクトを壊すと、それが俺たちの世界にも反映されてしまう。

 何も知らないこちら側からすれば、突然ビルが爆発して砕け散ったかのように感じてしまうことになる。この仕組みこそが、幻災の元凶だったわけだ。


 こうして並べてみるとなかなか突拍子も無い話な気がするけど、現実としてそうなっているので仕方がない。


 ともかくこの真相を元に、世の中の偉い方々が一気に対策に乗り出した。幻災による被害を無くす為、サーバの撲滅を掲げたのだ。運が良いことに、一連の研究成果の過程で発見された未知の物質が、この目標を達成する為に非常に有用だったらしい。

 結果生まれたのが、『パラダイムシステム』。


 俺たち人間の生体データをスキャン、数値化し、新物質――幻想量子セイズを介してベーダへ送り込む。街に押し寄せ被害をもたらすサーバに対してあらかじめ防衛線を張り、直接叩いてしまえば幻災が起こることはない。生身で戦うわけでもないのだから、死ぬ心配だってない。無駄なく合理的なシステムだ。


 今となってはこの世界のあらゆる場所でパラダイムシステムが採用され、軍人から一般市民、学生まで誰もが世界の平和を守るための戦いに参加できる。こうして、今や我々は幻災を克服しつつある。




 ……というのが、学校で教わるという歴史の授業の一部分。俺はサボってて参加してないのでマイから内容を聞いただけだけど。


 『パラダイム』は、今もなお進化し続けている。新たなスキルや装備データの追加も連日のように行われ、より深く楽しめる『ゲーム』として。

 そう。俺たちは平和のために戦っているのだ。ただその媒体がゲームの形を模しているというだけの話。そんな日々が当たり前になって、もう七年は経つだろうか。



 ここは『学園都市』ガフ。

 一般市民から政治の担い手である議会の人間まで、住民のほとんどが二〇歳以下の幻災孤児で構成された、世界有数の大都市だ。



「ただいま~っと」


 近所のコンビニで買ってきたおやつを片手に玄関のドアを開け、誰に向けたわけでもない定型文を家の中に放り投げる。もちろん家の中には誰も居ない。この都市に住む人のほとんどは一人暮らしだ。


 俺とて、もう親の顔はさっぱり思い出せない。十何年も昔、物心が付くかどうかってくらいの頃のことだし、記録なんかもほとんどが当時の幻災に巻き込まれて消失してしまったと聞いている。

 けどぶっちゃけそんなに気にしてないし、生活に困ってるってこともない。


 パラダイムで活動していれば少なからず自然とサーバを討伐することになる。そうして得たポイントは様々な報酬と交換できたり、通貨のようにして生活費に回すこともできる。おかげさまで学生の一人暮らしにしては不自由なく、むしろそこそこ余裕を持って生き延びさせてもらっている。……学校に行かず入り浸ってるからってのもあるかもしれないけど。


 とは言え、こうした討伐活動も強制ってわけじゃない。

 そりゃそうだろう、この街には色んな人がいる。皆一様に両親を失っているのは一緒だが、そんな中にも心に負った傷が深く、未だ癒えていない人だって暮らしている。まさかサーバに対しトラウマを抱えている人にまで戦線に立たせるわけにはいかないだろう。

 そういう生徒のため、学園は基本的にバイトも自由だし、生活補助金制度も充実してたり……と、パラダイムに頼らずとも生きていける環境がある。


 俺個人としてこれらの恩恵を受ける機会は全く無いが……実際、それで助かっている人は多いのだろう。


 何もサーバを倒すことだけが正義じゃない。この街に暮らす人たちは各々、色んなものと戦ってるのだ。そう、今ここにいない、だって。


「――その分、俺がちゃんと守れるようにならなきゃな」


 ってなわけで。

 今日も今日とてゲームついでに生活費を稼ぐわけだが……いやこの場合どっちがついでになるんだ? 流石に生活費か? でもサーバに街をやられたら生活が無くなるからな。まぁ細かいことはいいや。

 レイドというのは生徒会から直接発令される大規模イベントであり、その分報酬も上乗せされるようになっている。つまり今日は、絶好の稼ぎ時ってことだ。


「さてと」


 買ってきたものを適当にテーブルの上に置き、手を洗い、自室へと向かう。終わる頃にはきっと夕方だろうな、と考えてカーテンを閉めておき、俺はベッドの上に寝転んだ。


 パラダイムを起動する上で、必要不可欠な物がある。


 それこそが最新式ウェアラブル端末、名を「ホープ」という。腕時計型やチョーカー型、眼鏡型など多種多様なタイプが存在し、自分の趣味に合った物を選ぶことが出来る。

 これを装着することで、俺たちの五感は幻想量子に干渉できるようになる。ホログラムの近くや高度情報伝達の制御、そして――ベーダへの転移。旧世代機ではディスプレイを介さなければ行えなかったあらゆる物事が、コレ一つを身に着けることで身一つで完結する。今や生活必需品といっても過言じゃない。


「よし、行くか……!」


 腕時計型のホープをリアクティブ待機からアクティブに切り替え、目を瞑る。

 やがて瞼に覆われた視界にはその奥底から青白く光が差し込んでいき、無数の幾何学模様と共に暗闇を拭い去った。



『Paradigm System : Full Activate』



 真っ白な空間に、薄いグレーのグリッドが走り、多彩な柄の球体が浮かぶ空間。両手を目に見えるところまで上げれば、青く半透明な身体が目に入る。これがいわゆるホーム画面。この空間を基点に、システムが持つ様々なモードへとアクセス出来る。


 だが勿論、選ぶのは一択だ。

 星のようなマークを付けた球状のアイコンに触れる。すると次の瞬間、真っ白だった世界がポリゴンへと分解されていく。ガラガラと崩れていく空間は遂に足元すら消失し、底へ底へと落ちて行くような感覚と共に、視界は再び黒く塗りつぶされた。


 そうしてまばたき数回分の間の後、『転移を開始します』という機械音声と数字の書かれたウインドウが浮かび上がった。カウントダウンが始まったのだ。


『3、2、1、』


 そうして、その数字が0になった瞬間――、



『Paradigm Shift』



 ――『ゲーム』は、始まる。

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