良く出来た物語

「それで……一応こちらが、会敵報告になります」


「あぁ、どうもありがとう。わざわざ悪いね、そこまでしてくれなくてもこっちだけでどうにか出来たのに」


「いえ、この行動が我々の……いや、俺たちの街を守る上で、最善だと考えたまでです」


 堅いなぁ、という苦笑交じりの声が小さく響く。



 半円上の部屋。高い天井。壁一面に敷き詰められた窓ガラスからは、大小様々な建物がひしめき合うこの街の全貌を一望することができる。

 その開放感とは裏腹に、深く昏い藍色の床が独特の厳かな空気を演出している。


 ……あぁ、何というか。ひどく息が詰まる。


 中央議会棟第0区画、この都市を象徴するあの高い高い塔のほぼ最上階。

 我らが『学園都市』の生徒会長執務室。その只中に、私はポツリと立っていた。


「重装甲大質量型の大蜘蛛……ね。分かった、レイドの発令は承認しておこう」


「ありがとうございます」


「しかし山岳地帯か……。森林部の生体反応は確認できる?」


「申し訳ありませんが――多数、としか」


「まぁそれはそうだ。いずれにせよいくつか段階を分けて対処する必要がありそうだね」



 その会話の輪の内側に、私はいない。

 ついさっきまでは私ととで話していたのだけれど、どうやら緊急事態になってしまったみたいだ。ただでさえ喉につっかえるような息苦しい空間が、さらに重々しく首元にのし掛かってくる。


 今のうちにこっそり退室しても……別にバレない、よね。なんか邪魔してはいけないような雰囲気だし、物音を立てないように、そっと、そぉっと……、


「――君」


「ひゃいッ⁉」


 突然向けられた矛先に、私は思わず喉の裏から変な声をひっくり返す。もしや帰ろうとしたのが彼女の気に障ってしまっただろうか、と恐る恐る顔を覗いた。意外なことに、そこにあった表情は穏やか……というか、むしろ「蚊帳の外に置いて申し訳ない」とすら言いたげに、眉を八の字に下げて笑みを浮かべていた。


「突然すまないね。君にも、少し意見を聞こうと思って」


 しかし。そんな柔和な表情においても、彼女が持つ引力は計り知れない。鈍く輝く金色の双眸は、私を射貫いて離そうとしなかった。



 中央議会セントラルフロー附属第一学園生徒会長プリンシプス、兼、中央議会議長。


 正真正銘、全てを見渡す最上部に座す彼女こそ、この都市の心臓そのもの。

 名前を、御琹みことミソラ、という。






「っだはあぁ~……」


 ひと気の少ない教室に戻ってきた私は、机に頬をべったりと擦りつけ、陽気に当てられほかほかと暖まった温もりを一身に感じる。あぁ、あったかい……この丁度良い温度が今の私にとっては天国も同然だ。気分はまるで干し草の上に寝転ぶパンダ……。


「……うおっ」


「っ⁉」


 後頭部に投げかけられた驚くような声ではっと我に返る。慌てて身体を起こそうとした弾みで、膝を思い切り天板に激突させてしまった。


「ッ、痛ぅ……」


「だ、大丈夫、委員長……?」


「えぇ、大丈夫、だいじょうぶ……」


 ヒリヒリと残る痛みと引き換えに、ちょっとだけ意識がはっきりとした。

 いけないいけない、いくらついさっきまで気を張り詰めすぎていたとはいえ、今日の学校はまだ昼休み、あと半分も残っている。もうすぐ外に出ている生徒の皆も戻ってくる頃だろう。


 気疲れしたときこそ切り替えて、平静を保たないと。このクラスの委員長として……!


「――ふぅ。どうかしましたか? 伊緒さん」


「え、いや、委員長がぐったりしてるの珍しいなーって思って……」


「……」


 貼り付けた笑顔がビシリと割れた。

 流石に言い逃れができるような醜態ではなかった、ということで、この話は終わり。終わりったら終わりなのだ。


「まぁ、ちょっとね」


「さっきまで誰かに呼ばれてたんだよね? どこ行ってたん?」


 ジューと手に持った紙パック飲料に口を付けながら、隣の席の女子生徒――伊緒さんが話かけてくる。見られたのがこの人でまだ良かったかも知れない。隣の席同士ともなれば、それなりにお互い色んな場面を目にするものだ。そういうことにしておこう。


「その……少し、御琹会長に」


「え、すご。何かやらかしたとかじゃないんでしょ?」


「それは勿論」


 私の言葉に、伊緒さんがひえ~と声を上げて、紙パックに刺さったストローから口を離す。どうやら飲み干したらしいそれを教室の隅のゴミ箱目がけてポンと投げ……外した。


「こら」


「ごめんごめんって。でも凄いじゃん? あの人に目を付けられるのってよっぽどのことがないと無いみたいだよ」


「あまり良い意味には聞こえないのだけれど……」


 楽観的に笑顔を向けてくれる伊緒さんと対照的に、私はまた一つ溜め息を吐いた。

 私たちの通うこの学園が誇る生徒会長。ほんの十数年前まで廃都市過ぎなかったこの地を僅か数年でここまで大規模に育て上げた恐るべき異次元級の手腕。その才能を欲する人は当然後を絶たず、今日に至るまで引く手数多なのだという。


 この都市に暮らす以上、彼女の事を知らない人も、彼女の事を慕わない人も、きっと誰一人いないだろう。私たちの生活は、全てが御琹会長によって作り上げられたシステムの上に保障されている。圧倒的な人徳と実力を兼ね備えた、まさに超人。


 それ故……というか。色んなウワサや逸話も絶えない人だ。好きな食べ物はこれらしい、みたいな些細なモノから、実は三人居るらしい、なんて突拍子もないものまで。


 ただ、その中でも、彼女の存在を象徴するような都市伝説が、一つある。


 曰く――彼女に見初められた者は、栄華を手にする、と。


 如何にもというか、耳にしただけで脳裏に彼女の剣幕がよぎるウワサだ。


「でも、じゃあ何の用事だったんだろうね?」


「さぁ、その話題に入る前に時間が来てしまったし。でも大方、勧誘とかじゃないかしら」


「あ~、まぁ最近色々聞くもんねぇ。機動隊の整備だーとか軍拡だーとか」


 話題に上がったそれらも全て、ここ最近で増えている都市上層部の動向に関する噂だ。相変わらず、彼女の周りに話題が尽きる気配は無いらしい。


「もしそういうのの勧誘ならちょっと羨ましいな~。委員長だからこそなんだろうけど」


「まぁ、もしそうだとしても――」


 ぴしゃり、と。

 私は、次の授業で使うテキストを机の上に置く。


「――私は、戦うつもりはないから」


「……言うと思った」


 伊緒さんは肩を竦め、やれやれといった表情で席へと戻っていく。


「でも」


 椅子を引き、肘をつきながら、彼女はどこか遠い物を見るような目を、私に向けた。


「私はそういうのも格好良いって思う」


 その言葉に私がきょとんとしていると、伊緒さんは「私はほら」と続ける。


「『パラダイム』使ってる理由なんて別に考えたことないしさ。他の人も皆使ってて、まぁあと実績に応じてお金もらえて便利だし、みたいな感じで」


 きっと、この街に住むほとんどの人がそうだろう。既には、私たちの人生と切っても切り離せない関係性を成立させている。統合化された仕組みに今更疑問を抱く方が、きっとよっぽど変なのだ。


「……おかしいよね。あんなことがあって、まだ何年も経ってないのにさ」


「――それは、」


「だから委員長のことだしさ、きっと色々考えあってなんだろうなって。ま、私が勝手に思ってるだけなんだけど」


「……そうね」


 肯定にしても否定にしてもおかしな、曖昧な返事だけを返して、私は教室の前方へと向き直る。そのくしゃりとした笑みを、あまり長く見つめているわけにはいかない気がした。



 パラダイム、と呼ばれるインフラがある。


 少し前に発見された新物質によって世の中の情報かは三段飛ばしに進歩し、今じゃホログラフィーや循環エネルギーなんてものが当たり前のように使われている。けれど、その本来の用途は――、


 ピンポーン……。


 お知らせを告げる放送のタイムが、前触れ無く校舎内に鳴り響いた。


中央議会セントラルフロー生徒会、特務本部からのお知らせです』


「ん? 珍しいね」


 あぁ、と私は思い至る。さっき御琹会長が話していたのは、このことだったのか。


『都市管轄内のフリーフィールドに於いて、超大型サーバの活動が確認されました。これに伴い、本日は今後一切の学園内タイムテーブルを変更し、一四時より大規模侵攻迎撃作戦レイドミッションを発令致します。繰り返します――』


「……これって」


 伊緒さんがそう反応するのとほぼ同時、教室のドアの向こうがにわかに色めき立った。そのどよめきは水面に石を投げ入れたが如く広がり、あっという間に学園中を駆け巡る。


「レイド⁉ レイドってマジかよ」

「何ヶ月ぶりだ?」

「午後の授業休みってこと⁉」

「ホントじゃん、遊び行こ」

「バカ、折角の小遣い稼ぎのチャンスだぞ!」

「でもレイド規模ってなると流石に大変そうだなー」

「あんま役に立てる気しない」

「どうせデカいのはカウンシラーかランカーが何とかしてくれるっしょ」


 教室の中、廊下の向こう、窓の外。ありとあらゆる場所の話題が、一瞬でに塗り変わる。バタバタと雑に荷物を片し、先陣を切って駆けだしたのは血気盛んな男子達。その後を追うように、他の生徒も次々に教室棟を去って行く。まるでお祭りのような騒ぎようだな、なんて思ったけれど、彼らにとってはまさにお祭りなんだろうな。


「……」


 そうしてあっという間に取り残されたのは、私と伊緒さん。直前に話していた内容が内容だけに、私は思わず決まりの悪い表情を隠しきれずにいた。


「いやぁ、噂話なんてするもんじゃないね~……」


 と、そんな伊緒さんもまた、鞄を片手に提げ、席を立つ。情報の密度が減った教室で、彼女が立てる物音は酷く耳に響いた。


「そんじゃま、私も行こうかな」


「ん……」


 去って行く背を前に、私はつい声にならない声を鳴らす。

 その音を伊緒さんがどう受け取ったのかは分からないけれど――、


「……んぁ、それはそれとして」


 ちょっと考えるように立ちすくんでから。伊緒さんは、ちょっと意地悪な笑みを浮かべて振り返った。


「好きな男をゲームに取られてるからって、拗ねてばっかじゃなんも変わらんぞー」


「なッ――、はぁ⁉」


「なはははー、じゃね~」


 最後の最後に余計のことだけ言い残して、伊緒さんも廊下へと出て行ってしまう。

 この学園には緊急レイドが発生したとき、在学する生徒達が迅速に参加できるよう、システムと同調する為の専用設備が整えられている。皆、多分その部屋がある棟へと向かったのだろう。


 すっかり音を失った教室で、私はぼんやりと窓の外に目を向ける。

 小綺麗にまとまったビルの数々、そこにひしめき合う色とりどりの広告。そこから更に視線を上げれば、私たちの暮らすマンション街があり、更に奥には外縁特区が広がる。


「……ミナト」


 その辺のどこかにいるんだろうな、どうせ。

 全く、人の気も知らないで。


「帰ろ……」


 何だか頭が痛くなってきた。机に出していた本の束も鞄に入れ直して、私はギ、と椅子を引く。空になった空間が、大きな残響を残した。

 今日は随分と空が澄んでいる。

 街の向こうに連なる山々が、いつもよりはっきりと見えた。

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