第6話

あれから数日後、僕はいつもの日常に戻っていた。いつの間にか親との喧嘩のことも忘れて、失った時間を取り戻すように勉強にも励んだ。


学校でも僕とあかねさんの関係がいつもの陰キャモブと才色兼備の美少女に戻っていて、周りの人はこぞってあのときのことは幻覚だと噂していた。僕としてはそれで良かったと思った。


でも、なにか物足りない感覚に時折襲われる。たった二週間、それだけの時間環境が変わっただけで僕になにかの変化が訪れていたのだ。


なんとなくゲームをしていても鬱陶しいくらいに軽くコントローラーを動かせた。


「なんだろう……」


時折、そんなことを口にした。


そんな生活を繰り返していたある日、ふと姉さんから言われた。


「なあ、燈雅。お前さん、好きな人はいないのかい?」


「なんだよ急に」


好きな人なんているわけ……


「あかねちゃん。今頃どうしているかね〜」


「何が言いたいの? 姉さん」


あかねさんの名前を出すのは卑怯ではなかろうか。僕だってあかねさんのことが好きか嫌いかで言えばもちろん好きだ。でも、もうあかねさんと関わることはない。あのときそう決めたんだ。


「自分の気持ちに素直になれってことよ。今の燈雅には物足りない何があるんだろう?」


「……余計なお世話だ。俺はもう振り切ったんだから」


「ふ~ん……まあ、弟が決めたことに口出しするほど私も野暮じゃない。でもな燈雅、自分の気持ちに素直になれないとこの先後悔するよ。多分あかねちゃんも同じなんじゃないかな」


「……素直に」


素直になれないと後悔する、か……僕があかねさんに言ったことをこうやって別の人に言われるとこんな気持ちなんだな。


姉さんの時折見せるこの姉としての威厳。余計なお世話なのに、どうしてここまで言葉に重みがあるのだろうか。人生の中で経験した量の違いからかな。


「ま、あとは自分で決めなさーい。お姉ちゃんは陰ながら見ることにするよ」


「うっせえバカ姉」


「ふふーん」


鼻歌を歌いながら何処かへ消えていく姉にため息をついて、改めて考えてみることにした。


「一度、珠空さんに電話してみるか」


あの日からほとんど連絡していなかったけど、一度、一度だけ連絡してみるのもあながち間違いじゃないのかもしれない。自分から逃げた僕にあかねさんの現状を聞く権利があるのかと聞かれればないという方が高いかもしれないけど、僕は姉さんに言われた通り、素直になってみようと思う。


__翌日


「あ、もしもし。珠空さんですか?」


「あら、久しぶりね。月波くん」


「お久しぶりです。すみません突然電話をかけてしまって」


「いいのよ。ちょうど暇していたから」


明るい声で電話に出てくれた珠空さんの声を聞いて懐かしいという気持ちと、少し安心している自分がいた。天月邸を出てから3週間たったのにも関わらず、僕と明るく話してくれる珠空さんは天使かなにかなのだろう。


その後、2人で現状報告をしつつ、ちょっとした世間話をした。そして話はあかねさんの話になっていった。


「そうですか」


「ええ、だから燈雅くんには一度だけでもいいからあかねと話してほしいの」


「そうですね。本はといえ、僕があかねさんの家から出て言ったのが原因ですし」


僕が天月邸から手でから数日後、あかねさんの元気が著しくなくなっているらしい。これまで朝起きてこなかったのにも関わらず、今になっては自分から起きてきて朝早くから学校に歩いていっているらしい。そして、何より心配になったのはご飯を食べるとき以外、自分の部屋から出てこなくなってしまったという。


毎日元気がなく、話すことすらままならない状態だそうで、かなり珠空さんも大輝さんも心配しているそうで。


「あの、珠空さん。一つあかねさんに伝えてもらってもいいですか?」


「ん? なにかな? 言ってみ」


僕は珠空さんからあかねさんに、明日の放課後に出会った場所で待つことを伝えてもらうことにした。


「わかった。きちんと伝えさせてもらうわね」


「ありがとうございます」


珠空さんにお礼を言ったあと、僕は電話を終了した。


__次の日の放課後


僕は一人、あの日にあかねさんと出会った公園で約束の時間を待つことにした。あかねさんがここに来てくれるだろうか。


いや、待つしかない。僕の後悔を払うために。


待つこと数分後。一向にあかねさんは現れる気配はなかった。もう、来ないのだろう。まあ、仕方ないよな。僕は一人逃げた負け犬だ。今更、もう一度会って話したいなんて恩着せがましいくらいだ。


「これが、あかねさんの出した答えか……」


僕は俯き、微笑んだ。悲しいからなのか、それとも自分が醜ことに対しての自己嫌悪だからなのか。


そして、僕は立ち上がり、家に帰ることにした。今帰ったら姉さんになんて言われるか想像できたが、それも仕方ないのかな。


__ブーブー


僕のポッケの中でスマホが震えた。


まるで「まだ帰るな」と言いたげになり続けた。僕は渋々電話に出ると、声の主は珠空さんだった。


「あ、ごめんなさいねこんな時間に」


「いえ、それよりどうかしたんですか?」


何やら深刻そうに話を進める珠空さん。僕は黙々と聞き続けた。おかしなくらいに耳に入ってきた。珠空さんは約束通りにあかねさんに伝えてくれたのだけれど、いかないと言って聞かないこと。もう、僕に会いたくないということ。


あかねさんが、一人悩んでいることを僕は淡々と聞いた。胸が痛くなった。僕は危うく、取り返しのつかないことをしてしまうところだ。気づいた時には僕は走り出していた。


「珠空さん!」


「ええ、分かってるわ。大輝さんとも話は通ってるわ。いつでも来ていいわよ」


「ありがとうございます」


僕はスマホの画面を切って、ひたすら走ることだけに集中した。走って、走って、走り続けた。


なんて言われるかな。


「珠空さん!」


「待ってたわ。あかねは部屋にいるわよ」


「ありがとうございます……!」


息を切らしながら、あかねの部屋に向かった。


ふーっと、深呼吸をして、部屋のドアをノックした。


「あかねさん。俺だよ」


「……なんで来たんですか」


「約束だからね」


「……何を今更」


冷たい声が返ってきた。でも、僕も引き下がらない。引き下がれない。


「そうだね。今更僕が何を言っても無駄かもしれない」


「……」


僕の言葉は今のあかねさんに届かないかもしれない。だから、僕は自分を下げることにした。


「でも、僕は後悔してるんだ。あの時、ここに残ることを選んでいればって」


「……もう、遅いです」


「……そうだね」


僕には短い時間だった。でも、あかねさんの中ではそれだけの時間がたったということだ。時間の進み方が違うというのを初めて実感した。あかねさんはこの3週間、一体どれだけの思いをして過ごしていたのか。僕の知らないところであかねさんを傷つけた。それだけで自己嫌悪に陥りそうだった。


「ごめん、やっぱり帰るよ。もう、ここに来ることはこれが最後だろうね……」


僕はまた言っては行けない一言を言った。後悔はない……


僕はまた、逃げるようにして帰ろうとした。その時__


__ガチャッ


「……待って」


僕は立ち止まった。


「……少しだけ、少しだけ話したい」


「……わかった」


僕はあかねさんと共に部屋に入った。


ベッドに座り、しばしの沈黙が流れた。あかねさんは僕のそばで体を寄せて肩に頭を乗せてきた。久々の感覚だけど、不思議と嫌な気分ではなかった。


「……一つだけ、聞いてもいいですか?」


「うん……」


「私、辛かったです。燈雅くんがここを出てから毎日、学校から帰ってくるたびに寂しくて、毎日泣きました」


「うん……」


震える声で話してくれるあかねさんの頭を僕はゆっくりやさしく撫でた。この3週間分の後悔と謝罪の意味を込めて。


「なんで……なんで私から離れたんですか……?!」


「……ごめん」


「許しません……! 許せるわけないでしょう……!」


「うん……そうだね」


あかねさんは僕の胸に顔を埋めて泣き出した。わんわん泣いた。3週間前よりも大粒の涙を流した。僕はこんなにも彼女から目を背け続けたのか……


最低だ。大馬鹿野郎だ。


「……もう、もう絶対に離れないって約束して……!」


「うん……そうする。絶対に約束だ。好きだよ、あかねさん。もう自分からもあかねさんからも逃げない」


「私もずっと好きだったのに……! 燈雅くんのバカぁぁ……!!!」


「うん……僕は大馬鹿野郎だ」


僕はあかねさんを強く抱きしめた。自分も泣きたいのを必死に我慢して、今はただ、あかねさんが我慢していたものを全身全霊で受け止めることに専念した。彼女に背負わせた、いや、背負わせすぎたこの辛い感情を今度は僕が背負うべきだ。一生、いや、死んでも背負い続けてやる。


あかねさんの笑顔を見るために。こうして僕たちは恋人になった。


__数分後


「あかね。もう大丈夫?」


「……もうちょっと」


「わかった。気が済むまでこうしていよう」


「うん……えへへっ、久しぶりに燈雅くんの匂いがする……」


「大丈夫かな? 汗臭くない?」


全速力で走ってきた分、朝も尋常じゃないほどかいた。


「ううん、平気。燈雅くんの匂いなら輝になならないよ」


あかねさんはニッコリと微笑んで僕の顔をみた。綺麗だ。


「あかねさん。これからどうしてほしい?」


「これからって……?」


「これから僕はあかねの恋人兼お世話係なんだけど。あかねさんが決めていいよ」


「なら、もちろん、ここで暮らすよね?」


「聞かれなくてもそのつもりだよ。また珠空さんや大輝さんのお世話になっちゃうけど、あかねが望むなら僕も頑張るよ」


「んふふ〜燈雅くんってばかっこいい」


僕はあかねの頭を撫でながら微笑んだ。


「でも、私のしてほしいのはこれじゃない」


「え?」


そう言うとあかねは顔を上げて僕の口に限界まで近づいてきた。


「ちょ、あかね?」


「しっ、静かにして」


「もう、あかねってさ少し大胆になったね」


僕も諦めて、僕らは2人で甘いキスをした。恋人になって初めてのキスだった。


それから僕たちは2人で話し合いの末に恋人になることを決めたことを珠空さんと大輝さんの二人に話した。2人は喜んで恋人になることを認めてくれた。あかねがそれで幸せなら私たちは二言はないわとのことだ。本当にこの2人には頭が上がらない。2人の許可を得た瞬間、あかねはこれまで溜まっていたであろう甘えたがりモードが爆発し、聞くやいなや僕に抱きついてきた。僕としてもあかねと付き合えたことは何よりも嬉しい。


これからはあかねを泣かせることがないように努力しなきゃいけない。あかねに見合うくらいの男にならなきゃな。


その後、大輝さんと珠空さんの意向で僕たちの2人だけの家を作ってくれるらしく、僕の父さんや母さんも快く了承してくれた。まあ、この二人の場合は僕があかねと付き合うことをただ楽しんでいるようにも見える。それでも、ありがたいことには変わりない。


「あかね、くっつきすぎ」


「えーいいじゃん。私がいて邪魔になんてならないでしょ?」


「邪魔じゃないけど、本が読みづらい」


「それ半分くらい邪魔って言ってるようなもんじゃん」


「だって事実だもん」


「むぅ……燈雅くんのことなんか嫌い」


「あわわ、わかったから拗ねないでよ。いくらでも甘えていいからさ」


「やったー! 燈雅くん大好き!」


「はいはい」


とまあ、こんなふうに2人だけの生活を始めてからは、時間があれば僕があかねを甘やかして、学校にいるときもあかねは僕にベッタリという関係になっていた。そのせいか、男子からは嫉妬と羨望の眼差しを毎日のように向けられて、体中がひしひしと痛かった。


でも、家に帰ればあかねが甘えてきてくれて、それを甘やかしているときが一日の中で最も楽しい事だ。


僕はあかねのお世話係兼恋人。あかねのお世話の中にはあかねのやりたいことを尊重し、存分に甘やかすことという契約がある。高校卒業までは過度なスキンシップは避けるようにと珠空さんから忠告を受けているから、まあ、そっち方面のことはできないけど、抱き合ったり、ちょっとだけキスしたり、バカップル並のことならやっても問題ないだろう。毎日のようにあかねのかわいい顔と甘えている姿を見ることができるのはものすごく嬉しいし、これは僕にとっての特権だ。誰にも渡さない。


その気持ちはあかねも同じだろう。いや、同じであってほしい。


「あかね」


「ん?」


「大好き」


「……!!」


「どう? 効いた?」


「うう……っ、燈雅くんはずるいよ……」


時折、あかねに不意打ちをするとこのように顔を真赤にしながら僕に顔を見られないように僕の胸に顔を埋めてくる。可愛すぎないか?


「あかねはどう?」


「……もう、聞かなくても分かってるくせに」


「もう一回聞きたいな」


「……大好き」


顔を真赤にしながら小声であかねが言う。


「ごめん、よく聞き取れなかった」


「……っ!!」


白を切ってからかう僕。


「……大好き!!」


「うん、僕も」


あかねの大声に隠すように僕も頷いた。本当にやっていることはバカップルに相違ない。


でも、本当に僕の彼女はかわいいな……

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家出したその日にご令嬢と仲良くなった話 八雲玲夜 @Lazyfox_07

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