第2話

「なんとか言いなさいよ!」


 ついてない。


「仕事仕事仕事って、仕事と私どっちが大事なのよ!?」


 あー、ついてない。

 せっかくの貴重な休暇がこんなことで削られるなんて。クソ、あの食堂の席もう埋まってるよなぁ。

 どうして二、三回寝たくらいで、女というのは束縛したがるのか。


「ねえ! 聞いてるの!?」


 もう、どうにでもなれ。

 思いっきり腕を伸ばした。

 背後から通り過ぎようとしていた通行人を引っ捕まえて抱き寄せる。


 目があった瞬間、内心舌打ちした。

 可愛くない。

 地味な女だった。引っ詰め髪はところどころほつれて見苦しいし、襟と袖はヨレヨレ。くるぶしたけのスカートの裾は汚れている。

 女は突然腕を掴まれたあげく、抱き寄せられたものだから、目も口も丸くしたまま固まっていた。

 整えていない太眉にはっきりと困惑が滲んでいる。


 うん地味。というかハズレを掴んでしまった。けれど、今更間違いでしたもない。


 仕方なしに、ガイウスは地味女に微笑んだ。


「ねぇ、帰らないで」


 女を落とすときに使う声で引き止める。


 地味女はまだ固まったままだ。

 それをいいことにガイウスは眉を下げ弱り果てたふりをして畳み掛ける。


「待たせてごめんね。怒っちゃった? すぐ、終わるから。帰らないで、ここにいて。お願い。ね、約束通り一緒にごはん食べよ」


 ねっ?、と地味女の前髪にキスをする。髪はパサついて、安い石鹸の匂いがした。


 あとはもう、地味女が正気に返る前にぎゅうと抱きこみ、顔を胸に押さえつけることで口を塞ぐ。


 さて、と視線を上げれば、喚いていた女は唇を戦慄かせていた。


「……は?」


 ようやく音になったそれは大層ドスが聞いていた。周りの通行人がぎょっと強張る程の低音である。

 しかし、ガイウスは肩をすくめて微笑む。


「勘違いさせて、ごめんね。悪いけどそういうことだから、じゃあね」


「この……ックソ野郎!!」


 女はガイウスをハンドバッグで思いっきり殴り「バッカみたい! 地獄に堕ちろ! ロクデナシ!!」と捨て台詞を叫んで、踵を返した。


 その背中が見えなくなってからガイウスは、微笑を解き、空に向かって細く長い息を吐いた。あー、煙草吸いたい。

 それから、ようやく腕の中で借りてきた猫のように縮こまっている地味女のことを思い出し、ぺいっと突き放した。


「巻き込んで悪いね。奢るよ何がいい」


「は、ぇ?」


 地味女はまだ思考が解凍できていないらしい。使い物にならんな、と判断して、ガイウスは地味女の肩を抱いてさっさと歩いた。


「どっかいくところだった? 食事でも宝石でもなんでもいいよ。常識の範囲内でなら大抵のものは買えるし。どうせこれきりだし。迷惑料だと思って好きにねだった方がお得」


 地味女は狼狽え、足をもつれさせながら必死についてくる。ガイウスと地味女では歩幅が違うからだ。ガイウスはそれに気が付いていたが、合わせるつもりもない。さらりと無視して歩く。

 借りはその場で返す方が後々面倒がなくていい。下手に優しくして勘違いされても困る。


「あ、いえ宿に戻るだけで特には…… えと、なんでも」


 戸惑うように地味女が呟いた。


「そ、お好きどうぞお姫様」


 ガイウスは軽く頷く。


「では。塩を一袋お願いできますでしょうか」

 

 地味女は、意を決したように願い出た。


「……なんて?」


 塩? 聞き間違いか?


「塩、です。あの、お料理に使う」


 聞き間違いではなかった。

 しかし、塩って。

 そこまで考えて、はたと思い至る。そういえば一口に塩といっても品質はピンキリだ。老舗の高級塩なんかは、小瓶サイズでレストランのコース料理より高いの値段のものもある。こういった塩は、貴族同士の贈答品として使われることも多い。ならば、そうおかしなリクエストでもないわけだ。


 珍しいことには違いないが。

 ガイウスは、頭の中で街の地図を呼び出し、高級塩を取り扱っている店を検索してリスト化する。

 一番近い店でもここからだと少し遠い。

 しかし、さっさと済ませたいので、ガイウスは迷わず歩き出した。


「料理するんだ」


「あ、はい。元家政婦なので。お料理はそれなりに好きです」


「元?」


「……クビになりまして」


 返答までに間があった。何かしら事情がありそうだが藪を突く気も起きない。


「お気の毒」


 そう流すに留めた。


「塩って、特にどの塩がいいとかある? 砂漠の薔薇水晶とか青湖の虹とかいろいろあるけど」


 塩に話を戻すと彼女はホッとしたようだが、塩のブランド名を口にした途端、ぎょっとして慌てだした。


「え? あっ、そんな高級品ではなくて、できればもっと普通の」


「普通…… ってどんな」


「五百グラム、三セトくらいの」


「三セト」


 それは家計に大変優しい値段である。

 一般的な家庭でよく扱われる塩はこのくらいのお値段であろう。

 だが、そのくらいの塩であればどの家にもありそうなものたが。


「口止め料含んでるから余計な遠慮はしないでほしいんだけど」


 あえて、不穏な言葉を突き出してみたが、彼女はリクエストを取り下げなかった。戸惑い顔のまま口を開く。


「今一番確保したいのは自分で食べる塩ですし……、それに、今の生活ではその高級品は持て余してしまいますから」


 ガイウスは、改めて彼女の様子を観察し、よれきった衣服と化粧っ気のカケラもない顔に納得する。


「あ、そ。なら、塩の他にも追加で奢るよ。何がいい」


「え、いいんですか」


「口止め料含みの迷惑料だって言ったでしょ。塩だけって、座りが悪いし」


「あ、じゃあお水のボトルを箱で」


 水のボトルは、一本一セト。箱は十本入りでも一マルク。


「水。念のため聞くけど」


「あ、普通のもので」


「だよね。なに、君、塩と水もない生活してたの」


 流石にないだろう。なんの冗談だ、と皮肉をぶつければ。


「……び、備蓄用です」


 彼女は、タラタラと冷や汗を流して目を合わせない。明らかに嘘だ。


「ほら、あの……いつまた蟲の被害に遭うかわかんないですし。備えあれば憂いなしと申しますし」


 また?


「待って、今『また』って言った?」


「えっ」


「いつ『また』蟲の被害に遭うかわからない、ってことは、前に遭ったってこと?」


 『蟲』とは、人の生活を脅かす存在である。陰から生まれ、あらゆるものを食し、人さえ襲い、時に他の生き物に寄生して、繁殖する。大きさも被害も様々で、蟻ほどのサイズのものに噛まれたというものから、四階建ての建物より大きなものにビルが壊されたというもの、果ては『蝗害』という大量繁殖した蟲に全てを食い尽くされ国が一つ滅んだという事例もある。


「被害に遭ったのはいつ」


「え、あ……昨日」


 ガイウスは、眉を跳ね上げ、地味女に視線を走らせる。目につく範囲で外傷はない。


「どこで」


「その……元仕事先兼住まいで」


「仕事先の名前は」


「……チャタル伯爵邸です」


「……」


 それは、まさにガイウスが破壊した屋敷だった。

 せっかくついた特別手当が、被害額やらなんやらを給与から天引きされて無くなったので、大変面白くなく、思い出したくもない事件だった。


「その、蟲が発生してしまったらしくて。私は旦那様……元旦那様のお使いで昨日は地方に一泊しておりましたので、直接の被害には…… 。ただ、住み込みの家政婦でしたので、私物はすべて今瓦礫の下で、蟲の汚染を除去しなければならないから、と中にも入れず…… 」


「ああ……」


「お安いお宿に飛び込めたはいいんですけど、通帳は瓦礫の下でお金はおろせないし、宿泊費を考えたら食費はないしで、本当にもうどうしようかと」


 それで、塩と水。


「いや、役所に申請はした? 蟲の被害者には補償あるよ?」


 屋敷の使用人なら、家令あたりがまとめて申請を出していてもおかしくない。

 事実、ほかの使用人たちには補償が降りたはずだ。


「わ、私の場合、その場にいたわけでもない、ので雇用されていたと証明できるものが必要らしいのですが」


 肝心のチャタル伯爵は逃亡中で、雇用契約書は瓦礫の下で見つかるかも怪しい。


「それで、その場にいた方々から順次被害状況を聞き取りしているそうなので」


「はーん、後回しにされたわけね」


 地味女は、ちんまりと沈黙した。

 なんとも間抜けな話だ。


「それなら、高いもの買ってもらって売るとか、ものじゃなくて現金でいくら欲しいって交渉した方が良くない? もしくは、仕事先紹介しろとかさぁ」


 わざわざ塩と水なんて回りくどいことせずに。

 呆れた目を向ければ、彼女は目を丸くした。


「あ」と、言ったきり、ぱちりぱちりと瞬いている。


「……なに、思い浮かばなかったわけ?」


「う、あ、面目ないです……その、生きねばとそればかりで」


 生きるために塩と水は最低限過ぎよう。


「生きづらい頭してんねぇ」


 ガイウスは今度こそ呆れた。わしわしと遠慮せず彼女の頭を掻き混ぜる。

 彼女は抵抗もせず「あう」と悲しげに鳴いてされるがままであった。

 そうしていると何となく彼女は犬っぽい。

 野良の雑種だ。


「……」


 昔々。ずーっと昔、まだ背丈の小さかったガイウスが気まぐれに拾った犬もそうだった。

 ボサボサでちっとも可愛くなくてこれまで散々な目に遭ってきただろうに、初対面のガイウスなんかに大人しく撫でられるような途方もなく阿呆な犬だった。


「んで? どうするの? お金にする? 高いものねだる? 仕事の紹介?」


「あ、う、えぇと……でき、たら、お仕事がいいです…… その、住み込みだとなお嬉しく……」


「そ。いいよ、わかった。家政婦だっけ? 料理はできる? 調理師の資格は?」


「あ、はい。持ってます。洗濯と掃除もできます!」


「ふぅん。…… うん、よし、決めた」


 パチンと指を鳴らして、その指を彼女に向ける。


「うちにおいで」


「えっ?」


「おっと、勘違いするなよ。まずは、あんたの実力が見たいってこと。ちょうど昼食時だったし。なんでもいいから飯作って。そんで、上手ければ、うちでホームパーティー開くから、そこで出す料理をあんたに任せる。招待してる客があんたの料理を気に入れば、紹介してやるよ」


「ありがとうございます!」


 顔を輝かせる地味女にガイウスは内心で飯炊女ゲットとにっこりした。

 この時彼が考えていたことといえば、それだけだった。

 

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