クズと地味

@ktsm

第1話

 『緊急要請コール緊急要請コール


 深夜三時。そのアナウンスは、二度繰り返された。

 待機していた社員たちは、ダラァと立ち上がる。


「なによ、どこ」


 眠たげに真っ赤なアイマスクをずらした男がスピーカーを睨み、スマホを弄っていた男がテーブルに嵌め込まれた大きな画面を横目で確認する。

 画面には、地図が表示され、一点が赤く点滅していた。


『西区B21-5 ラナン通りのチャタル伯爵邸にて、蟲の発生を確認。レベル6。急行せよ』


「おー、お。6はデカイね。大型は久々じゃん。要請は軍から? 被害はどんなもん?」


「蟲は伯爵の屋敷を破壊して食べてるみたいですよ。今のところ人間を餌と認識している様子はなし。死亡者はいません。怪我人と行方不明が多数。消防と救急が既に現場に到着しましたが、蟲に阻まれて建物内の救助活動が難航中」


 スマホ男がテーブルの画面を見ながら伝達する。


「周辺住民の避難は」


「済んでます」


「軍の部隊は?」


「動いてます、が。・・・・・・ ガス管がやられてるみたいで、銃火器が使えません。応援に来いってことみたいですよ」


「・・・・・・ あ。チャタルってアレじゃん。変態伯爵」


 某付きキャンディを舐めていた男が不味いものを口にしてしまった時のように顔を顰めて「げー」と舌を出した。


「ボクあいつキラーイ」


「なんで。金で買った後妻にSMプレイ強要してるって噂あるから?」


 髪の色を指先でくるくる変えて遊んでいた少女のような男が首を傾げる。


「それもあるけど。え、や、もーなんか生理的に無理?」


「疑問符ウケる」


 言いながらも彼らは装備を確認する手を止めない。


「はいはい、コール続いてるからね出発するよー」


 アイマスク男が手を叩き、社員たちは車庫に走る。


「ねー、てかさーガイウスはぁ? 応援って、どうせガイウス目当てでしょ」


「さっき、叩き起こした」


 スマホ男が、手に持ったスマホを振って答える。


「あいつ今、非番じゃん。どこいんの」


「西区B19-7にあるアイツの何番目かの女の家」


「丁寧な返答ありがとう。あいつやっぱクズだね」


 非番の日にも関わらず駆り出されるというのは、本来なら同情に値することである。

 しかし、彼らの知るガイウスという男は戦闘狂の女狂いで、大変面倒な性格をしており、取り柄は容姿のみなので、同情する者はいなかった。

 その頭抜けた戦闘力がなければ、背中から刺されて何十回死んでいてもおかしくない男なのだ。


「マッパで来るかな」


「マッハで現場へ行けとは送ったが、マッパで来るかはわからない」


「半裸で来たことはあったけど、マッパはまだないな」


「え、来たらどうする」


「ちょん切ればいいんじゃん?」


 軽口を叩きながら車に乗り込み、飴男がハンドルを握った。



***


 『蟲』とは、人の生活を脅かす存在である。

 彼らは陰から生まれ、あらゆるものを食し、人さえ襲い、時に他の生き物に寄生して、繁殖する。大きさも被害も様々で、蟻ほどのサイズのものに噛まれたというものから、建物より大きなものにビルが壊されたというもの、果ては『蝗害』という大量繁殖した蟲に全てを食い尽くされ国が滅んだという事例もある。

 発生期と消滅期をランダムに繰り返す蟲が、再び発生し始めたのは、約三十年前。およそ百年ぶりの復活に大陸西沿岸部の国ルダの対応は遅れ、各地で報告される被害は爆発的に増加した。これを受けて国は民間の駆除業者との連携を打ち出した。

 迅速な対応を目指したこれは、蟲の被害をレベル1からレベル9に振り分け、このうちレベル1から3までの軽度の被害を民間に委託するものであり、レベル4から5は警察が、レベル6から上は災害認定され軍が動くという取り決めである。

 ただし、迅速さを求める上で、現場が必要と判断した場合に限り、他組織への協力を要請することができる。


 ほとんどの場合は、民間組織から警察や軍へ、業務中レベル違いのものが発生した場合にされるが、ごく稀に唯一警察や軍が救援を要請する民間組織がある。


 それが、『財団法人夜騎士』である。


 夜騎士は、前回の蟲の発生期より、消滅期を経て現代に至るまで、蟲について研究し、独自に対応策を用意して来た組織だ。


 ゆえに、政府より一足早く蟲害に当たり対応してきた。

 夜騎士が研究してきた記録が、現代の警察や軍の対応に生かされている。


 そして、たった今コールによって出動していった『騎士』と呼ばれる私設警備団こそ、夜騎士が誇る蟲退治の専門家集団だった。


 中でも最強最悪最害と名高い騎士の名をガイウス・ユリエスという。

 


 

 


 今回の蟲は、蟷螂に似ていた。

 ただし、その身体は影法師のように真っ黒でどこか薄っぺらく、大きさも比較にならないほど巨大である。

 蟲は四階建てのチャタル伯爵の屋敷をその鎌で崩しては抱えて、食べている。


「つくづく不思議だね。影もない薄っぺらな身体のどこにコンクリートの塊きえてんの」


 屋敷の近くにのんびり胡座をかいて頬杖をつくのはガイウス・ユリエス。同僚から『クズ』『戦闘狂』『女狂い』とさんざんに貶される美丈夫である。

 惚れ惚れするほど美しい男は、短い銀の髪を風に遊ばせ、蟲を見る。

 ちなみに、マッパではない。ジーパンに仕事用のジャケットを羽織っただけの格好だ。

 じつはガイウス、連絡が来る前から蟲の発生に気がついていた。だからこそ、女との逢瀬を一方的に切り上げて、嬉々として飛び出し、こんな屋根の上に登って、事態を観察していたのである。

 サイレンと怒号、悲鳴の合間に屋敷の崩壊する音が響く。


「ガイウス・ユリエス!!!!」


 呼ばれてガイウスは笑った。下を見れば憤怒の顔をした軍人がいる。何度も現場で顔を合わせた蟲討伐隊の副隊長だ。


「ああ、副隊長さんじゃないの。お久〜。近隣の避難完了お疲れぇ」


「見てたんなら手伝え!!」


 空を割るような怒声にも彼は動じない。


「んー、でもほら、俺一般企業の平社員だから。勝手に動けないんだよね。依頼は会社に出して」


 へらり、と返してジャケットを引っ張る。ジャケットの背中には『財団法人夜騎士』のロゴがある。


「こっっっの!!!!」


 副隊長は舌打ちして現場へ駆けていった。


 蟲の駆除において、よく使われるのは毒と火だが、軍が火器を使う様子はない。

 ガスが漏れているためだ。下手に火器を使えば引火してさらに被害が拡大する。

 毒の散布も蟲の巨体を考えれば、下から噴射するだけでは、量が足りない。かと言って、空からの散布もできない。周辺は住宅地だし、今夜は風が強い。


 消防が到着し放水を開始したが、蟲が気にする様子もない。悠々とコンクリートを食べている。


 まったく蟲というのは、実に厄介だ。


「ハハ」


 ガイウスの瞳が赤く底光りした。

 彼は蟲が嫌いなのだ。だって、キモい。

 デカくてもキモいし、小さくて密集してると肌を掻きむしりたくなる。


 そして労働も嫌いだ。

 時間外労働も休日出勤も嫌い。


 しかし。

 それ以上に。


 彼は赤い瞳で巨大な蟲を見つめる。


 その視線の熱に気がついたかのように、蟲が、カシカシと無機質にこうべを巡らせた。


「あー……早くこねぇかな、緊急要請コール


 ガイウスは、無償労働が大嫌いだった。

 

 だからこそ、どんなに蟲がキモくて、殺したくて堪らなくても我慢できるのだった。


 ゾワゾワと疼く身体を余裕の顔をして宥めに宥めることしばし。


 彼が待ち侘びた『緊急要請コール』が、ようやく入った。




 ここからはスピード勝負だ。

 緊急要請を受けた瞬間から、たとえ非番であろうとも、出動した社員の給与には危険手当が出され、蟲を倒した社員には活躍に応じて特別手当がつく。


 彼は他の社員が現着するまでに片をつけるべく、嬉々として屋根から跳んだ。


 それはごく軽い跳躍にも関わらず素晴らしい速度と高度を叩き出し、瞬く間に彼は空の人となった。


 常人にはあり得ないこの能力こそ、ガイウスが人格的に問題があっても社会から必要とされる所以である。


 人口増加に伴い、ごく稀に特殊な能力を持って生まれる子の出現が報告されるようになった。


 そのうちの一人がガイウスだ。

 彼の能力は、『ヴァン

 風の操作だ。今夜のような強風の日は、特に調子がいい。


 ガイウスは、そのまま空を蹴って、体勢を変え、蟲に向かって跳ぶ。弾丸のような速度を維持したまま、


「そーら、よっとぉ」


 右脚を振り抜いた。

 風がガイウスの足の動きに押し出され、巨大な刃となって飛んでいく。

 透明の刃は、蟲の頭を切り落とした。

 巨大なそれはコンクリートを口部に含んだまま落下する。屋敷の一部が倒壊した。地上では悲鳴と怒号が交差し、ガイウスへの非難が轟々と上がる。


 しかし、ガイウスはそれを丸っと無視した。

 今の彼に見えているのは蟲改め特別手当の塊である。

 

 カシカシと無機質な目が、ガイウスを捕らえ、胴が彷徨うように揺れた。


「あーっはっはっは! キモいんだよ蟲野郎」


 蟷螂に似た蟲が緩慢に鎌を振り上げる。頭部を失っても動くのは核を潰せてないからだ。

 これだけ巨大になる蟲ならば、必ず核がある。


 鎌を避けつつ観察すれば、蟲は屋敷の瓦礫の下に影を伸ばしていた。


「みーっけた」


 ニイィと口の端を吊り上げて、ガイウスは風を編む。


 蟲を拘束し、空へと持ち上げた。

 地上に伸びていた影が根のよう引き抜かれ、その先に小さく光るものが見えた。目のいいガイウスにははっきりとそれが映る。

 女物のブローチだ。


「ガイウス・ユリエス──!!!! 貴様、何するつもりだ────!!!!!」


 どこからか副隊長の怒号が聞こえたので、ガイウスは回答として、蟲をそのまま地上へ叩きつけた。

 

 屋敷が完全に倒壊した音に混じり、ブローチが砕け散る。

 核を失った蟲は、そのまま空気に溶けるようにして消滅した。


 

 現場に到着した夜騎士の騎士たちは、それを目撃し「あーあ」と失望する。

 特別手当が消えた。


「マッハで来てましたね。上半身裸でジャケットだけ羽織ってますけど」


「屋敷、潰す必要あった?」


「核だけ潰せよ」


「無駄に派手。被害が」


 好き勝手に罵り最後に。


「被害額とコールセンター職員がこれから受けるクレーム対応の精神的苦痛分に対する手当分あいつの給与から天引きするか」と隊長が締め括った。


 

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