第28話 エピソード0
その魂は深く深く傷ついていた。
何も言わず、動かず、ただ私の側にいるだけだった。
その子は松井繁子という、今でいう高校生であった。当時、女性が高校に進むことは本当に本当に限られていることで、彼女はその才知と家柄で選ばれた。
快くないと思っている男子生徒は多かった。
彼女は誰もいない図書室で、男子高校生に集団で乱暴をされた。それをまた見つけたのが、彼女が淡い恋心を抱いていた先進的な先生であった。
かくて、繁子は発作的に脅され、置いて行かれたナイフを持ってその場で自害した。享年16歳。
自害もまた、こちらでは殺人であった。
彼女は、積まれた本を読まなければならない。その中には乱暴を働いた男子生徒の名前もあった。
彼女は見ることも拒否した。
どのくらいの時が彼女の中で立ったのであろうか。
彼女はふと口にした。
「先生は、なぜここにいらっしゃるの?」
先生、とは私のことだと、しばらく気づかなかった。
私は一言で答えた。
「それが、私の役割だからです。」
彼女はまた返事もせず、途方もない時間また無言となった。
「なぜ、このやうなところがありますの?」
「なぜでしょう。よくわかりません。」
そこからぽつりぽつりと話始めた。
「先生、先生、先生。」
やがて多くのことを語るようになった。自分にはまるで小さい夜のように、なんでも見守ってくれる父がいること。晴れの日の、干した布団の香りのようなハイカラで逞しい母がいること。まだ幼く、優しく、花のように繊細な弟がいること。
嬉しそうに、時に涙しながら、彼女は語ってくれた。
それからようやく彼女は夢の本を読み始めた。泣きながら、時に泣き怒りながら、彼女は本を読んだ。地上が一生大雨になるのではないかと、そう思えるほどに彼女は泣きぬれた。
彼女はひどく後悔していた、自分の行いに。
こんなに苦しめると思っていなかったと言っていた。
両親はすっかり変わってしまった。とりわけ弟へ、間違っても女性に乱暴を働かないよう今までになく強く躾られるようになったと。
「この夢には私を出してください。」
そう彼女が差し出した夢は弟の夢であった。厳しい躾に姉へ助けを求める弟の夢。
夢の中で彼女は体罰を喰らった。弟を守るために。母の厳しい躾の鞭を彼女は夢の中で弟の代わりに喰らった。
その態度は等々、死ぬまで変わらなかった。
「なんという、むごい人生。全て私のせいね。」
彼女は再度打ちひしがれた。しかし、母親は最後の夢で彼女にこういった。
「次こそは、私が繁子を守って見せる。」
そういった。
そして、彼女はこういった。
「次こそは、弟の一郎を守って見せる。」
かくて、彼女は傷を負いながらも転生を決めた。
「一つ願いごとが言えます。何にしますか?」
しばらく考え、彼女はこういった。
「次の人生が終わった時、先生が迎えに来てください。」
彼女はここに来るまでに、ひどく迷わなくてはならなかった。
「なぜ、私に迎えに?」
「先生がいらっしゃらなければ、私は等に消えておりました。」
「何もしておりませんが。」
「いいえ、ここにいてくださいました。ただ静かにここにいることをひたすらに許してくださいました。それがどれだけ救いになったか、先生にはわからないのでしょう。」
そういって、初めて笑った。この魂の笑顔であった。
私は、その笑顔がどうしても心にひっかかる特別なものであった。
死を犯した彼女の罪は重い。次の人生も素晴らしいものには決してならない。せめて少しでも救いがあればいい。そう思った。
「次、生まれ変わったら、男子がいいわ。もう女子はこりごり。でも絶対に、女子を傷つけない、傷つけるくらいなら自分が傷つくようなそんな男子になりたいわ。」
「私には名前がありません。先生に迎え、という表現で私だと神様は気づかれないかもしれません。この願いは叶わない可能性が高い。もっと、次の人生がよりよくなりそうなものに変えませんか?」
彼女は“いいえ”と言った。
「きっと伝わります。私も、先生も、両親もすべて等しく神の子ですから。」
そうして、彼女は生まれ変わった。
「道を照らしてくれた子だから、道照だ。」
そういう声の元に。
いってらっしゃい。
天国の学校から K.night @hayashi-satoru
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