追放してきたパワハラ幼馴染女勇者にざまぁしますか?▶いいえ

桜餅ごめ子

第1話 勇者一行から抜けた少年は父の形見が世界を救う鍵だと知る

 “災厄の鬼神”は目覚めた。

 いずれ世界は鬼神の力に蝕まれ滅びる。しかし、それを討ち滅ぼす運命さだめを背負いし「勇者」が現れ、世界を救うであろう。

 大賢者はかつて、そう予言した。


「ユリオロイダ! いくら勇者だからって、他の人を乱暴に扱っていいわけじゃないだろ! そういうふるまいはいつか返ってくるもんだ、その前に――」

 オレの怒号に怯みもせず、ユリオロイダは粗野に嘲笑った。そして、後方に続く二人の女の子に目を向けた。

「おいおい、ポンコツがいっちょまえに忠告なんかしてるぜ。この勇者様によ! 笑っちまうな。なあ、ティネマ、ラミー」

「そうね! 役立たずのフォローはいい加減疲れたわ」

 強い口調で話す彼女はティネマ。攻撃魔術を得意とする魔術師だ。

「ユリオロイダ様に……諫言なんて……身の程知らず……」

 ぼそぼそと喋るのはラミー。彼女はティネマとは異なり、癒しの魔術を扱う魔術師である。


 オレの幼馴染、ユリオロイダ。

 彼女は大賢者に予言された、救世の勇者である。

 ユリオロイダは、世界を救う旅に出る際、王国から遣わされた優秀な魔術師のティネマとラミーのほか、何故か凡人のオレも旅の一員として指名した。

 勇者であるユリオロイダは行く先々で期待の声をかけられ――悪く言えば、持ち上げられた。そのせいか、彼女は次第に「勇者」の肩書きを鼻にかけ、粗暴な言行が目立つようになっていった。このままでは、いずれ人々から見放されてしまうだろう。

「分かったか? お前は勇者の仲間にふさわしくねえんだよ」

 ユリオロイダはそう吐き捨てて、オレの肩を突き飛ばす。

 悔しいが、オレが彼女たちの足手まといになっているのは事実であった。そんなオレが何を言っても無駄なのかもしれない。オレはもはや、黙って背を向けてその場を立ち去ることしかできなかった。


 オレ――サーシャ・ローミラーの人生は、悲しいくらい「期待」という言葉に縁がない。

 実家の後継者は優秀な兄貴にほぼ確定。何の才もない平凡な弟であるオレは、嫌われてはいないが期待されてもいなかった。

 一方、幼馴染のユリオロイダは全く違っていた。「勇者」になると予言されて以来、幼少期から今にいたるまで、あらゆる人々から羨望と期待の目を向けられてきた。

 「勇者」という肩書きが人々の注目を集めたのはもちろんのこと、彼女は外見も優れていた。整った顔立ちに、陽の光を紡いで糸にしたかのような美しい金の髪。鍛えあげられたしなやかな身体。宝石のように澄んだ赤い瞳。それら全てが、人々の耳目を惹きつけた。

 劣等感を抱えながら暮らしていたオレに、旅立ちを控えたユリオロイダが旅の仲間にならないかと誘ってきた。ユリオロイダはオレに期待してくれているんだ! そう思えて、オレは初めて自分に自信を持てた。

 しかし、実家の習わしで多少魔術の勉強をしていた程度で、世界を救うための準備など全くしていなかったオレは、結局大して役に立てなかった。彼女の期待を裏切ったのだから、オレに対する暴言ならいくらでも耐えよう。


 ユリオロイダ達の行く末も心配だが、オレ自身の身の振り方も考えなくてはならない。

「はぁ……」

 これからどうしようかな。

 今滞在している町は、故郷の村からまだそう遠くない。これから実家に帰るという選択もできる。ユリオロイダはオレを役立たずと罵りながらもなぜか分け前は均等に分配してくれたから、帰る資金は十分にある。どうせ、送り出した家族だってオレが勇者の旅に最後までついていけるなんて思っちゃいない。「たまには故郷の外に出て見聞を深めてこい」以上の気持ちはないだろう。いっそもう帰ってしまおうか。ひどく虚しくなって、オレはまた深いため息をついた。


「……ん?」

 とぼとぼとあてもなく歩いていると、ふと家と家の隙間に大きな毛玉のようなものがつまっているのを見つけた。

 猫だ。

 ふわふわの白い猫が壁と壁の間に挟まっている。狭いところでくつろいでいるのかと思ったが、時折じたばたと身じろぎしている。どうやら自力で出られなくなってしまったようだ。

 実のところ、オレはこういった、モフモフとした可愛らしい生き物に全く目がない。壁に挟まったままでは困ってしまうだろう。助けてあげることにした。

「挟まっちゃったのか~? 今助けるからなぁ〜」

 優しく小声で話しかけ、猫の身体にそっと触れる。痛がらないように気を付けながら、壁から取り出した。

 ずんぐりとした巨体を抱き上げると、腕の中で目があった。

 険しく鋭い目付きをしたその子は、額に青い石が光っていた。そんな猫は見たことがない。そういう種もいるのだろうか? 疑問に思いつつも、まずは安心してもらおうと思い、優しく声をかけながらゆっくり地面に下ろそうとした。

「よしよし、もう大丈夫だからな……」

 しかし、猫はオレから離れるのを拒むかのように、ぎゅっと腕にしがみついた。そして、尻尾を揺らめかせて空中を指し示した。

「……ひょっとして、オレをどこかに連れていきたいのか?」

 オレがそう問うと、猫はするっと腕から抜け出して、トトト……と街道を歩いていく。まるで、どこかに導くかのように。

「あっ、待って待って!」

 オレは慌てて立ち上がり、不思議な猫を追いかけていった。


 夢中で走っていると、いつの間にか町外れまで出て、広い原っぱに出ていた。猫はひらけた場所までオレを誘導すると、前足でとんとんと地面を叩く。

「……座れってこと……かな?」

 オレは戸惑いつつも、猫の指示に従って座り込んだ。その際に背負っていた鞄を地面に下ろす。すると次の瞬間、猫は突然飛びかかって中身をあさりだした。

「あ!? ちょっ、ちょっと! やめろ! 何してんの!?」

 猫はオレの静止に構わず器用な手つきで素早く鞄を開け、折れた短剣を取り出した。

「だめだっつの、危ないだろ!」

 オレはどうにか猫の手から短剣を取り返した。短剣は袋にしまっていたが、うっかり傷ついていたりしないだろうか。慌てて身体をくまなく確認するが、幸い怪我はないようだった。

「よかった、ケガはないみたいだな……。全くもう……折れてるけど刃物なんだぞ……」


 折れた短剣。これは、オレの父さんの形見だ。

 大賢者が予言した当時、ユリオロイダはまだ四歳の幼子だった。そんな彼女に勇者の使命を背負わせるわけにはいかないと考えた国王は、ユリオロイダに代わって“災厄の鬼神”を倒すために、よりすぐりの豪傑を集めた兵団「勇戦士団」を結成した。

 勇戦士団は果敢にも“災厄の鬼神”討伐に向かったが、残念ながら失敗してしまった。団長だった父さんのほか、多くの戦士が命を落としたらしい。

 オレはユリオロイダより年下なため、その時はまだ赤子だった。だから父さんの記憶は殆ど無く、周囲の人から伝え聞くのみだった。


 苦々しい心境を抑えつつ、短剣を鞄にしまった。父さんは立派な人だったが、息子のオレはこの通りポンコツ。自身の至らなさにつくづく嫌になって俯くと、不意に視界がくるりと回った。

「へ?」

 目の前には猫の顔。ふわふわの身体にずっしりとのしかかられている。どうやら押し倒されたようだ。

「……聞こえるか、サーシャよ」

 そして頭の中で何か聞こえてきた。人間の言葉で喋っている。

「ん、ん? えっ!?」

「我が名はニコディロ・オリディ・シルタ。その剣の化身なり……」

「ニコ……? 何?」

 突然の展開に呆然としてしまう。しかし猫もといニコなんとかはそんなオレに構わず話を続けた。

「それはただの折れた短剣ではない。“災厄の鬼神”を打ち倒す鍵、『五つ星の剣』なのだ!」

 ニコなんとかは険しい表情でまくし立てた。しかしオレは合点がいかず、間抜けな顔で首を傾げてしまった。

「……えぇ……?」

「サーシャ! 貴様、信じておらぬのか!?」

 オレが不審に思う気持ちをあらわにすると、ニコなんとかはクワッと目を見開いた。そうは言っても明確におかしい点がある。

「それが本当なら、何でオレが持たされてるんだよ? そんなに大事なもの、とっくの昔に『勇者』のユリオロイダに預けられてるんじゃないのかよ」

 オレはぶすくれて顔を背けた。すると、ニコなんとかは一転、苦々しく目を細める、

「あの勇者は駄目だ」

「だめ」

 ニコなんとかのあけっぴろげな言い方に、つられて思わず復唱する。

「あれはダメだ。見込みがない。勇者であることで、無条件に賞賛されて育ち……故郷を出て開放的な気分になった今……とんでもなく調子に乗っている。“災厄の鬼神”の力は大陸の半分にまで及んでいるのだ。もはやあんな馬鹿者に任せている場合ではない」

 重苦しくため息をついたニコなんとかにつられて、オレはユリオロイダの姿を思い浮かべた。旅立ったあと、粗暴な言動――特に、オレを含めた戦う力のない人々に対する罵詈雑言が増えていったユリオロイダ。

「……やっぱりそうだよな!? あいつ、さすがに調子に乗りすぎだよな!?」

 オレがおかしいのかとすら思ったが、やはり、故郷を出てからのあいつは明らかに増長している。ようやく同じ意見を分かち合える他者に出会えて、オレは喜びを覚えた。

「それに、サーシャは勇者を羨んだことはないか? 周囲からちやほやされていた勇者を」

 次に放たれたその言葉に、胸がどきりと鳴った。苦い思い出が頭をよぎる。

「……あ、あるに決まってるだろ! みーんな、口を開けば勇者、勇者って! オレの初恋のマリンちゃんだって『あたし勇者様が好きなの! あんたみたいな凡人じゃイヤ!』ってこっぴどくフラれたし!!」

 勇者はすごい、勇者に比べてお前は……。オレの人生はそんなことばっかりだった。恨みと羨望と物悲しさがこもった感情をぶちまけると、ニコなんとかはさすがにたじろいだ。

「苦労を……、苦労をしたのだな」

 ニコなんとかが悲しそうにオレの頭を肉球でぺたぺたと撫でる。

「そうだ……ユリオロイダのやつ……!」

 悲しみが怒りへと変換されていく。世界中から期待を背負っていることを忘れ、驕り高ぶる勇者に、世界の命運は任せられない! このまますごすご帰ってなんかやるもんか!

「よーし、決めた! オレがユリオロイダよりも早く“災厄の鬼神”をぶっ倒してやる!! そんで、あいつの目を覚まさせてやる!!」

 オレはニコなんとかを抱き上げ、勢いよく拳を大きく突き上げた。

「よく言った! 我も剣の化身として全力で力を貸そうぞ!」

「ありがとう! よーし、これから頑張るぞー!」

 へらへらぼんやり屋なオレの一大決心。待っていろ、ユリオロイダ! 必ず君に一泡吹かせてやる!


 一息ついたところで、ニコなんとかに気になっていたことを伝える。

「そうだ、君のことニコって呼んでいい? 名前が長すぎて覚えられないよ」

「まぁ、構わん」

「やった! ありがとう!」

「それよりも、サーシャにやってもらいたいことがある」

 オレは話を聞きやすいようにあぐらをかき、膝の上にニコを乗せた。

「んー? 何?」

「『五つ星の剣』を掲げ、『青の宝玉よ、あるべきところへ』と唱えてみよ」

「え、えーっと……青の宝玉よ、あるべきところへ」

 オレは気恥ずかしく思いつつも、ニコの言うとおりにしてみた。すると、ニコの額に埋め込まれている青い石がきらきらと輝いて光の粒と姿を変えて、流れ星のように短剣に吸い込まれた。慌てて短剣の方を見ると、鍔に刻まれた五つのくぼみのひとつに、不思議な紋様が刻まれた青い宝玉がはめこまれていた。

「おおっ!?」

「大昔に散逸してしまったが……この『五つ星の剣』には本来、自然神が司る五属性の力を宿した宝玉があったのだ》

「あっ! 五属性のことは魔術の勉強で習ったぜ! 確か、赤、緑、黒、白、青だよな!」

 胸を張るも、ニコは無視して話を進める。

「それらを集めることで、剣は真の姿を取り戻すのだ」

 ニコが短い前足を掲げると、咳払いをするかのようにプスプスと鼻を鳴らした。

「青は、モノを操る力を司っている。青に属する魔術は、『水流魔術ウォルアー』『動作魔術ムーヴ』などが当てはまる。しかし、最初から何でも操れるなどと思わないことだな。何事にも鍛錬は必要だ。宝玉の力を使うときは、剣を掲げて『青の宝玉よ、我に力を与えたまえ』というふうに言うのだ」

「なるほどなぁ……」

 どうやら色々応用がききそうな力だ。これから模索していこう。

「でも……、これからどうしようかな?」

 正直なところ、ユリオロイダに着いていくつもりだったので、詳細な道筋はよく知らないのだ。

「我らが住まうこの『フォルトット王国』の中心……そこには『ズサーク岩山』がある。ここを抜けた先の未知の領域に、“鬼神”の本体が在る」

「ふむふむ」

 オレはニコの話を聞きながら地図を広げた。見ると、確かにそれらしき山があった。

「ズサーク岩山……これか。ここに行くには……」

「この町『カシドス』は、フォルトット王国の西部に位置する。これから首都『ルワーノ』に行って『ゴルラッタ峠道』を通る。道中の『ヴェニルワの砦』が最後の補給場所だ」

「なるほどなー!」

 ニコがすらすらと経路を提示する。さすが「五つ星の剣」の化身なだけあって物知りだ。

 ふと薄暗さを感じて顔を上げると、空はすっかり夕暮れ色だった。いつの間にかだいぶ時間が経っていたようだ。

「まあ今日は遅いし、もう休もうか」

「……言っていなかったが、この近くに『賢者の館』というものがあってな。我とこうして会話できるのは、その館の近くだけ、かつ我の体に触れている時だけだ」

 そう言われてみると、ニコはその巨体がオレの膝から離れぬよう気をつけているようだった。

 賢者の館。王国に仕えている偉い賢者が大勢集まってるという。ユリオロイダが勇者であると予言したのも、賢者の館に属する大賢者だそうだ。

「賢者の館は、フォルトット王国の各地にあるのだ。カシドスの賢者の館は……ここから西の方だ」

 促されるがまま西の空を見ると、塔のような高い建物の影が見えた。おそらくあれが「賢者の館」だろう。

「いつでも話ができるわけじゃないってこと? なんで?」

 つい不満を漏らすと、ニコはゆるゆると首を振った。

「そういうものだ、仕方あるまい。さあ、日が沈む前に宿を探した方がいいのではないか?」

「おっと、そうだな!」

 ニコの言う通りだ。話し込んでいるうちに陽がどんどん落ちていっている。オレは慌てて鞄を抱えて立ち上がると、急いで町まで戻った。


 昼間は食堂だった店が酒場となっているようで、町中は変わらず賑わっている。

 オレの足下を歩くニコは通行人が気づかず蹴飛ばしてしまいそうで危なっかしい。

「人が多いな……。ニコ、抱っこするよ」

 ニコ。抱き上げると、ニィ……と猫の鳴き声で鳴いた。現在地から賢者の館はかなり距離があるため、もう先ほどのように会話することはできないようだ。

 宿を探していると、ユリオロイダたちに出くわした。

「あぁ? てめぇ、まだこの町にいたのか」

 ユリオロイダは眉を歪め、こちらを馬鹿にするように笑った。ティネマとラミーはどこか気まずそうに顔を見合わせている。

 オレはそんなユリオロイダ達に、真正面から向き合った。

「ユリオロイダ。君がオレに言ったこと、そっくり返してやるよ。『君は勇者の名にふさわしくない』。だから――オレが“災厄の鬼神”をぶっ倒してやる」

 そう啖呵を切って立ち去ろうとすると、ティネマが引き留めた。

「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ! 何考えてんのよ! あんた、 あたし達よりずっと弱いじゃない!」

 ティネマの言うことは事実だ。だが――、

「……分かってるよ。でもな、オレにだって引き下がれない時はあるんだ」

 そう言って、今度こそ行こうとした。しかし、ユリオロイダがオレを引き留めた。

「待てよ」

「……何?」

「身の程知らずにもほどがあるが……どうしてもやるってんなら、ここから北の森に住む賢者カウォ様の元を訪れてからにしろ。勇者ユリオロイダと賢者キルシュラ様の紹介っつったら、門前払いはしねえだろうよ」

 賢者キルシュラ様。歴代最年少で賢者になったという超エリートだと噂で聞いたことがある。しかし「カウォ」という名前は初めて聞いた。

「賢者カウォ様……?」

 思わずオレが聞き返すと、ユリオロイダはフンと鼻をならした。

「彼女がてめぇを認めたら、何かしらの力を授けてくれるだろうさ。ま、お前のことなんかどうでもいいけどな。それに、どうせ見込みなしって言われるのがオチだろうしな! ハハハ!」

 ユリオロイダはひとしきりオレを嘲笑すると、右手でマントを握ってばさりとマントを翻し、去っていった。ティネマとラミーはオレ達を気にするようにチラチラ見ていたが、すぐにユリオロイダの後を追っていった。

「くそっ、いけ好かないやつ!」

 彼女が纏う真っ赤なマント。施されている金の刺繍は、腰に下げた剣の鞘と揃いの模様のようだ。見覚えのないマントだ。新しく買ったのだろうか。

 颯爽と歩いていくユリオロイダはわざとらしいのに絵になる。とても腹立つ。あっ、よく見たら町の人達の目があいつに釘付けだ! 見た目だけであんなにモテるなんてやっぱ世の中おかしい! あー腹立つ!

 腹立たしい気持ちを抱えながら、オレはなんとか宿を見つけた。


 ようやく部屋で一息ついたオレはベッドに腰かけると、道を確認するため地図を広げた。

「ニィ、ニィ」

 たしたし、とニコが地図をしきりに叩く。北の森がある位置だ。今は鳴き声としぐさだけでしか意思疎通できない。だがその動作から何を言いたいのか何となく分かった。

「賢者の家に行った方が良い、ってことか?」

「ニィー!」

 ニコは今までにないくらい大きな声で鳴いた。ユリオロイダの言葉通りに動くのはシャクだが、ニコがここまで言うのなら、寄ってみるのもいいかもしれない。

「……分かったよ。ルワーノに行くついで、でな」

「ニィ」

 ニコは一声鳴くと、今日はもう話すことはないとばかりにオレから離れ、部屋の隅に丸くなった。冷たい床に座り込んでいるせいか、なんだか寒そうに見える。

「ニコ、そこだと冷えるだろ? ほらこっちこっち」

 オレはニコを抱き上げてベッドの上にのせ、毛布をかけた。

「寒くないか?」

「……ニィ」

 オレが笑いかけるとニコはぶっきらぼうに鳴いた。そのまま寝るのかと思いきや、ニコはオレの膝の上に乗ってきてお腹に顔をうずめてきた。ちょっと重いが、柔らかくてあたたかい。

「君が現れてくれたおかげでやる気が出たよ。ありがとな、ニコ」

 オレはそっとそう言って、ニコの毛並みを撫でた。静かな部屋に、ニコの寝息だけが響く。

「……はぁ」

 気が抜けたのか、嫌な記憶が呼び起こされた。つい先ほどの、ユリオロイダとのやりとりが頭に浮かぶ。彼女の言い草には本当に腹が立つ。だが――。

「……前はあんなんじゃなかったのにな、あいつ」


 ユリオロイダとオレは、最初から面識があったわけではない。幼い頃は村人達の噂を通じて、一方的に知っていただけだった。

 ――王国は、勇戦士団の生き残りにユリオロイダの指導者になるよう命じたそうだ。

 ――ユリオロイダは毎日訓練をしているそうよ。

 ――時には遠征として町の外へ行き、何日も留守にしているんだって。

 伝え聞く噂は、どれも世界を救わんと日々鍛錬を重ねる立派な勇者そのもので、オレにとってユリオロイダは、憧憬と羨望を向ける対象であり、遠い存在だった。


 しかし、その認識を塗り替える出来事があった。

 故郷にいた頃のことだ。家のお使いの帰り道で、橋の上で一人佇むユリオロイダを見かけた。寂しそうなその姿が何となく気になって、オレは声をかけたのだった。

「どうしたの?」

 ユリオロイダは声をかけられてようやくオレに気づいた、という様子で振り向いた。彼女の瞳は、暗い影を宿していた。

「……つかれ、たんだ」

 ユリオロイダの言葉の意図が分からず首を傾げると、彼女はふっと悲しげに微笑んだ。

「世界のため、人々のため……私はそんな、偉い奴にはなれない。“災厄の鬼神”を倒したところで、私を恐れて遠ざけるだろう。そしたら『やっぱりな』って嘲ってやる――それが私の、唯一の気力の源なんだ。……だめな勇者だな、私は」

 自嘲的な笑みを浮かべるその横顔に、オレはどうしようもなく胸が苦しくなった。

 頑張って帰ってきた彼女を迎えるのが「歓声」でも「賞賛」でもなく「拒絶」だと、そんなふうに思っているなんて。だから、言ってやったんだ。

「オレは君を怖がったりしないよ。約束する、絶対に、君を笑顔で迎える」

 

 その日をきっかけに、オレとユリオロイダは友達になった。

 そのせいで嫌な思いをたくさんした。幼い頃からずっと、誰もが期待するユリオロイダのことが羨ましくて仕方がなかった。近しくなったせいで彼女と比較されるようになり、心無い言葉を浴びせられることもあった。

 それでも縁を切らずにいたのは。

 これまでずっとオレが彼女と友達でいたのは――勇者たらんと努力する姿が、尊敬に値するものだったからだ。

 そう。ユリオロイダは、最初から驕り高ぶっていたわけではない。なのに、どうしてああなってしまったのだろう。


 ――勇者であることで無条件に尊敬、賞賛されて育ち……故郷を出て開放的な気分になった今、とんでもなく調子に乗っている――

 ニコの言葉がよみがえる。勇者といえどもまだ青く、行く先々で持ち上げられれば調子に乗るのも仕方ない。理屈としては、理解できる。

 それでも、どうしてもオレは解せなかった。

 あの日見た彼女の苦しげな笑みを、忘れることができないから。

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