第9話不審者

ある冬の日曜の朝。


Kさんは、庭の落ち葉を掃除する為にホウキとチリトリを持って家の外へと出てきたのでした。


すると、その時です……


「ん、誰だありゃあ?」


Kさんの家では庭で犬を放し飼いにしている為、庭の周りは垣根で囲われているのですが、その垣根越しに怪しい一人の男が立っていたのです。


その男は、Kさんの知らない男でした。


垣根の外から、庭の中を覗くようにして立っていたその男は、Kさんと目が合うと慌てて顔を横に向けたのですが、それでもその場を立ち去る様子はありません。


不審に思ったKさんは、当然のごとく庭の外へと出て行ったのでした。


すると、庭の門を出て男の方を見たKさんは、なぜその男がそこに立ち、Kさんと目を合わせて顔を背けてまでもその場を立ち去らなかったのか、ようやく理解したのです。


Kさんとその男とは全く面識が無い、いわば“赤の他人”なのですが、Kさんはその男に対し言葉を発しない訳にはいきませんでした。


なぜなら…………





「おいっ!テメェ~!

なに他人んち垣根にションベンひっかけてやがんだああぁぁぁっ!」


そうです。その男は、事もあろうにKさんちの垣根に立ちションをしていたのでした。


Kさんと目が合って慌てて顔を背けたのも当然。


逃げ出そうにも、まだ事が途中だったのでその場に立っているより仕方が無かったのです。


「おいっ!いつまでやってやがる!早く止めろ!」


「そ、そんな事言われても!」


確かにそんな事を言われても、任意に出したり止めたり出来ないのが生理現象というものです。


Kさんも男ですから、その事は即座に理解して苦虫を噛み潰したような表情で、男が用を足すのを待っていました。


男はずいぶん我慢していたのでしょうか、オシッコはなかなか止まりません。


「おいっ!いい加減にしろ!いつまでしてやがんだっ!」


「すいません、もう少しですから!」


なにしろ、家主の目の前で垣根に立ちションされているのです。


Kさんのイライラも限界に達しようという時、ようやく男の生理現象は収まりました。


すかさずKさんの怒声が飛びます。


「テメェ~!よりによって俺んちの垣根に小便なんてしやがって!」


Kさんの怒る気持ちは大いに分かります。


こんな現場を目にすれば、誰だって怒らずにはいられないでしょう。


現場を押さえられた以上、全面的に悪いのは男の方です。


常識的に考えて男は何を言われようと、ここはひたすら平に謝る以外無いと思うのです。


ところが、Kさんに対する男の態度はそんな常識とは少し異なったものでした。


男は自分の行いに反省するというよりはむしろ、周りの状況が気になって仕方がないという感じで、Kさんの話もうわのそらで落ち着きなく辺りをキョロキョロと見回していたのです。


「聞いてんのか!コノヤロウ!」


さらに声を上げるKさんに……



「すいません、あまり大声を出さないでもらえますか」


「なんだと!もういっぺん言ってみろ、おいっ!」


男のなんとも不誠実な一言に、Kさんはぶちキレてしまったのです。


堪らず男の胸ぐらを掴みそうになったKさん。


すると、その時でした……





隣の家の影から、その隣の家の影から、そしてその向かい側の電柱の影から……


出てくるわ、出てくるわ……その男の仲間らしき男達が!


「なっ、なんだお前らはっ!」


どうして朝っぱらから、こんな店も無い路地にこんなに人間が集まっているのか……


しかも、家の影に隠れているのか……


その状況は異様としか言い様がありませんでした。


いったい、この連中は何者なのかと

Kさんが思い巡らせていると、その中のリーダーと思わしき一人の男がKさんに話し掛けて来たのです。


「驚かせてしまってすみません。

私達は決して怪しい者ではありません」


「十分怪しいだろっ!」


Kさんの言う通り、十分過ぎる程に怪しいこの男達。


しかし、よくよく話を聞いてみると、なぜこの男達がこんな所に集まってしかも隠れていたのか、その理由がKさんにも理解出来たのです。


「実は、我々はこういう者でして……」


そう言ってリーダーの男が上着の内ポケットから取り出した物。




それは、警察手帳でした。



♢♢♢



「実は今、ある被疑者の自宅の張り込みをしている最中でして……あまり大声を出されて被疑者に勘付かれてはマズイのですよ」


立ち小便の男が、Kさんに怒鳴られながら「あまり大声を出さないで」と言ったのも、それが理由だったのでした。


それなのにKさんときたら、男の胸ぐらを掴んでなおさらに騒ぎを大きくしようとするのですから、仲間の刑事達が慌てて止めに出て来たのも仕方の無い事です。


「へえ~~。アンタ達、刑事なんだ!」


それを聞いたKさんは、先程の怒りは何処へやら、この刑事ドラマさながらの出来事に興味津々といった様子です。


「それで、犯人の家ってのはいったいどの家なんだ」


「いや、そういった事は捜査上の事ですので……」


「あの辺りか?それともあっちか?」


「いや、ですから……」


もう、早く何処かへ行ってくれと言わんばかりの表情の刑事達に構う事無く、Kさんはどうしても被疑者の家を聞くまでその場を離れないといった様子です。


その、しぶとさに根負けし、とうとう刑事は被疑者の住んでいる家をKさんに教えてしまうのでした。


「あそこですよ!あのアパートの右の角の部屋!」


それを聞いたKさんが、ポツリと一言。


「なんだ、〇〇(被疑者の名前)のとこじゃねぇか……」


「えっ!〇〇をご存知なんですか!」


「そりゃ知ってるさ、あそこまでは同じ組だからな。

そうか……なるほど、あの『悪党』なら頷けるよ」


まるで、何かを知っているような口ぶりのKさん。


そのKさんの口から発せられた『悪党』という言葉に、刑事達は異常に興味を示したのです。



「悪党とは、どういう事なんですか!良かったら私達に聞かせて下さい!」


「アイツは悪党だよ。

ところで、アイツ何やったんだ?」


「実はまだ確証は無いのですが、あの〇〇という男には、違法薬物所持の疑いがありまして……」


「あぁ、やっぱりな!アイツならやりかねない!」


いったいKさんは、〇〇の何を知っているのでしょう。


もしかしたらKさんは、刑事達が血眼になって追っている事件の重要な手がかりを知っているのかもしれません!


刑事達もその可能性を感じたのか、興奮気味にKさんから話を聞き出そうとするのです。


「お願いします!教えて下さい!

なぜ、〇〇ならやりかねないと思うんですか!」


そして、真剣な表情で懇願する刑事に気分を良くしたのか、Kさんは得意げに被疑者〇〇についての自分の知っている事を語り始めたのでした。


「そんなに知りたいんなら教えてやるよ。

ここら辺は、あのアパートも含めて全部同じ組に入るんだけど……それで、持ち回りで班長とか、ゴミ当番とか、祭りの係とか決めるんだけどさ……」


「フム……それで?」


刑事達は真剣でした。


まだ、容疑者である〇〇を検挙するまでの証拠は揃ってはいないのですから。


だからこそ、こうして朝からアパートの張り込みをしているのです。


刑事達は、懐から手帳とペンを取りだしKさんの言葉を一言一句聞き洩らすまいと必死にメモを取るのでした。


「それで、〇〇が悪党とはいったいどういう事なんですか!」


その刑事の問いに、Kさんは答えたのです。








「あいつ、俺達がいくら言ってもゴミ当番やらねぇんだよ!

全くとんでもねぇ奴だよっ!」


「ゴミ当番………?」


「そうだよ!いつも、うまい事言って逃げやがるんだ!」


そう言って憤慨するKさんに対し、口をぽかんと開いて呆然とする刑事達。


「それだけですか?」


「そうだよ!あんな悪党見たことねえよ!」


「……………」


刑事達は、このKさんの捜査に全く役に立たない供述に返す言葉もありません。


「……そうですか………それは大変ですね、では我々はこれで………」


変なオヤジに付き合って、無駄な時間を費やしてしまった。


心の中では、そう思っていたに違いありません。


早々と背を向け、Kさんの周りから離れようとする刑事達。


ところが、その背中越しに、Kさんは刑事達を呼び止めたのでした。


「おい、ちょっと待ちなよ刑事さん!」


「まだ何か?」


「いいから、俺が戻って来るまで少しそこで待ってなよ♪」


Kさんは刑事達にそう言い残すと、自分の家の中に入って行ったのです。


刑事の一人が首を傾げながら言いました。


「いったい何ですかね?『待っていろ』って……」


「さあな、コーヒーでも差し入れてくれるんじゃないのか?」


日夜市民の安全を守る為に身を危険に晒して働く警察官に敬意を表して、近所の住民が差し入れを届ける。


田舎ではよくある光景です。


刑事達も、せっかくだからとその場にとどまってKさんが戻って来るのを待っていたのでした。


そして、待つ事1~2分……


Kさんは、刑事達のもとへ戻って来たのです。





「あ…………」


戻って来たKさんの姿を見た刑事の一人が、呆気にとられた表情で声を洩らします。


Kさんが家から持って来た物……


それは、刑事に差し入れする温かい缶コーヒーなどではありませんでした。



「ほらっ、これ貸してやるから小便しった所しっかり掃除しとけよ!」


Kさんが家から持って来た物は、水の入ったバケツとデッキブラシでした。


これを刑事に渡し、自分で汚した所は自分でしっかりキレイにしておけと言うのです。


「いや、あの……我々、今『張り込み』の最中でして……」


やんわりと拒否しようとする刑事に、Kさんのキツイひとことが飛びます。


「確か、立ち小便てのは『軽犯罪法違反』じゃ無かったっけ?」


「………………」


これを言われたら、刑事にはもう返す言葉はありません。


無言でバケツとデッキブラシを受け取り、垣根の掃除を始めた刑事に背を向け、Kさんは空を眺め大きな伸びをして言うのでした。


「いや~今日もいい天気だ。犬の散歩に出掛けるか♪」


そんなKさんの背中を見つめ、刑事達は今後絶対に立ち小便はするまいと、心に誓ったに違いありません…………





















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頭文字(initial)-K- 夏目 漱一郎 @minoru_3930

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