第8話車の運転は難しい
「まったく、アイツには車の運転させられねぇよ……」
会社に到着するなり、そんな台詞を呟きながらトラックの荷台に積んで来た軽自動車のリア・バンパーを下ろすKさん。
見るとそのバンパーはかなりヘコんでいて、塗装も剥がれています。
恐らく、どこかの塀にでもぶつけたのに違いありません。
そして、Kさんの言いぶりから、ぶつけたのはKさんに“アイツ”と呼ばれた人間……
では、“アイツ”というのは、いったい誰の事なのでしょう?
僕がKさんに詳しい話を聞いてみると、Kさんはウンザリした表情で前日の夜に起きたある出来事の事を話してくれたのです……
♢♢♢
その相手から、前日の夕方Kさんのケータイへと電話がかかって来たらしいのです。
『ねぇ、〇〇スーパーまで迎えに来てくれない?』
「はあ?……迎えに来いってお前、車で行ったんじゃねぇのかよ?」
『それがね……車、ぶつけちゃって……」
実は、この電話の相手というのは、Kさんの奥さんだったのです。
「なんだ、ぶつけたって結構ヒドイのか?」
少しの間が空き……
『バンパーが取れちゃった』
明るく答える奥さんの様子に少し呆れながら、Kさんは話を続けます。
「バンパー取れたって、車は走るよ!さっさと帰って来い!」
『えっ、バンパーって取れても走るの?……でも、怖いから迎えに来てよ……』
「……ったく!
今行くから待ってろ!」
ぶつぶつと文句を言いながら、それでも仕方なくKさんは奥さんの待つスーパーへと車を走らせたのでした。
「このヘタクソ!」
スーパーに着くなり、奥さんに悪態をつくKさん。
「だって、こんな所に塀があったんだもん……」
「だからって、ぶつける事ねぇだろ!」
傍らに転がっているバンパーを拾い上げ、軽自動車の中に押し込むと、Kさんは自分の乗って来た車のキーを奥さんに渡しました。
「それに乗って帰れ!
俺がこっちに乗るから!」
「うん、わかった♪」
「いいか、俺の車ぶつけるなよ!」
「うん♪」
「うんじゃねぇよ、ったく……」
それが、Kさんから聞いた最初の話でした。
♢♢♢
「アイツはさぁ~、バックの時にちゃんと後ろを見てねぇんだよ!だからぶつけるんだ!」
Kさん曰わく、奥さんが車をぶつけるのは圧倒的に後ろが多いのだそうです。
前に走るぶんには、全く問題は無いらしいのですが、バックの車庫入れなどはすこぶる苦手。
運転を苦手とする女性にはよく見られる傾向です。
対して、Kさんの運転技術はそれはもうたいしたものです。
それを証明する、あるエピソードを紹介しましょう。
ある日、Kさんが自分の車で信号待ちをしていた時の事です。
Kさんの後ろを走っていた車が前方不注意で、Kさんの車に追突してしまったのです……
そして、その時の衝撃でKさんの車は大破……幸い怪我は無かったのですが、車のギアがバックに入ったまま抜けなくなってしまったのでした。
普通ならレッカーを呼び、車を修理工場まで運んでもらうところです。
車が後ろにしか進まないのですから、誰だってそうするより仕方がないと考えるのが当然でしょう。
……ところがです………………
「じゃあ、後でここに電話してくれよ!」
追突して来た相手と連絡先の交換をすると……
Kさんは、おもむろにハンドルを右に切り反対車線に出ると、そのままバックで反対車線を走り出したのです!
反対車線を対向車と逆方向に走る事を『逆走』と言いますが、この場合、車の向きは逆でもバックで走っているので……
何と名付ければ良いのでしょうか?
右手をハンドルに、そして左手で助手席のヘッドレストを抱え、後ろに首を向けたまま、半分潰れた車を操り結構なスピードで交通の流れに乗って走るKさん!
周りのドライバーの唖然とした視線を一心に集め、まるでアクション映画のスタントマンのごとく2キロ程の道のりを走破し無事に会社まで戻って来たのです!
「信号待ちで、後ろの奴と目が合って気まずかったよ♪」
僕が、どうしてそんな無謀な事をしたのかと聞いてみると……
「レッカーの奴がなかなか来ないから、待ってられなかった!」
煙草の煙を吐き出しながら、Kさんはそう答えたのでした。
♢♢♢
それから何日か経ち、奥さんの軽自動車のバンパーもキレイに直った頃の事です。
せっかく直したバンパーをまたぶつけられては堪らないと、Kさんは車の助手席に奥さんを乗せて近くのスーパーの駐車場へと赴き、奥さんにバックでの車庫入れのレクチャーを始めたのでした。
「バックはこうやって走るんだよ!」
右手でハンドルを握り左手は助手席の背もたれに置き、上半身を捻って後方の確認。
女性が『男性の何気ない仕草で格好良いと感じるもの』のひとつとして挙げる事が多いこのポーズ。
ですが……Kさんの奥さんは口を尖らせて、こう反論するのです。
「無理無理!そんな難しい事出来る訳無いでしょ!」
奥さん曰わく、Kさんが見せたお手本のような走り方で、車のリアウインドゥ越しに後ろを確認するのは、奥さんには難しいと言うのです。
「だったら、これならどうだ?」
最初のやり方では難しいとの奥さんからの申し出に、Kさんは次なる後方確認の仕方を奥さんに伝授。
その方法とは、これまた駐車場などでよく見かける、運転席のドアを開けて顔を車体の外に乗り出すようにして後方を確認する方法です。
この方法のメリットは、車体の外側から後方を確認出来る為、バック時によくぶつけてしまうバンパーの角辺りがよく見える事です。
但し、この方法では車の左側の確認が出来ないので、あらかじめ左後方に障害物が無いのをしっかりと確認しておく事が必要になります。
「あ~~っ、これなら後ろがよく見えるわ♪」
Kさんのやり方を真似て運転席に座り、実際に車庫入れをしながら奥さんは満足そうに言いました。
「じゃあ~これからは、そうやってバックするんだぞ!」
「うん、わかった♪」
もう、これでKさんもひと安心です。
今度は、買い物に出掛けた奥さんから電話で呼び出される事も無いだろうと、Kさんは安堵の表情で煙草をぷかりと吹かすのでした。
♢♢♢
それから数日後のある日の事です……
『ねぇ、〇〇スーパーまで迎えに来てくれない?』
「あ……………?」
あれからまだ一週間と経っていません。
「お前、またぶつけたのかっ!」
『だって……あんな所に電柱があったんだもの……』
わざわざスーパーまで行って運転のレクチャーを施したというのに、Kさんはもう呆れてしまいました。
そして、皮肉の意味も込めてKさんは電話の向こうの奥さんに向かって、こう言ったのです。
「迎えに来いって事は、お前またバンパーでも落っことしたんじゃねぇのか♪」
『あのね……今度はドアが落っこっちゃったの……』
「は………………?」
奥さんの返答に、思わず持っていたケータイを落としそうになってしまったKさん。
「今、なんて言った?」
『だから、ドアが取れちゃったのよ』
「どんなぶつけ方したらドアなんて取れるんだよっ!」
『だってドア開けてバックしろって言ったじゃない!』
奥さんはKさんが教えた通りに、運転席のドアを開け、そこから顔を覗かせてバックしていたそうなのです。
ところが、奥さんは自分の車のバンパー周辺ばかりに意識を集中していた為に、車の外側50センチ…ちょうど開けたドアが届く距離に建っていた電灯の鉄柱の存在に気付かずにいたのでした。
♢♢♢
まるで、工場のラインで製造途中のような、ドアの無い奥さんの車を無表情で見つめるKさん。
「・・・・・・・」
「いきなり大きな音がして、びっくりしたわ!」
びっくりしたのはこっちの方だと言わんばかりの表情で、Kさんは無残に下に転がっている車のドアを両手で持ち上げました。
「これ、俺が乗って行くからお前、俺の車に乗って行け!」
バンパーが落ちた車もかなり目立つものですが、ドアの無い車はそれ以上に目立ちます。
そんな車を運転し、すれ違う車のドライバーの痛い視線を集中的に浴びながら、Kさんはぶつぶつと文句を呟くのでした。
「……ったく、アイツには運転させられねぇよ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます