帰りの電車
一条 千里
帰りの電車
ありがとうございました~!!!
お客さんを見送る挨拶が狭い店内に響き渡る。
残っているお客さんはあと一組、まだラストオーダー前ではあるものの店内には大衆居酒屋に似合わない流行りのJPOPに混ざって閉店の雰囲気が流れていた。
新規のお客さんが入ってくるような気配もないし、今日はいつもより早く帰れそうだ。
時計を見てみると、計画的に閉めの作業をこなしたらいつもより2本前の電車に乗れるかぎりぎりの時刻。帰宅後のリラックスタイムを増やすためにもここで頑張るしかない。
俺は両手で頬を軽くたたいて気合を入れなおした。
「高木センパイ…何してんすか?……もしかして…Mだったりします…?」
不意に後ろから聞こえた蔑みの含まれる声に全身が硬直してしまう。頬を手で挟んだまま錆付いたロボットのようにギッギギギッと首を回すとそこには後輩の長沼真尋が立ち尽くしていた。
彼女は半年ほど前にバイトに入った新人だ。彼女を一言で表すとダウナー系ギャルで、普段のテンションは高くはないのに対し、見た目のテンションは高い。超派手だ。髪の毛はブリーチを何回もかけており、仕事中はゴム手袋をしているので隠れているが爪も他に見たことがないくらい派手に着飾っている。耳に数えきれないほどに空いている穴も普段はピアスをつけているのだろう。瞳はカラコンで灰色に染まっていて……その瞳から失望の眼差しが向けられていた。
ああ、とんでもない誤解をされている。どちらかというと逆なのに。多分この誤解を解けなかったら今後のバイトはドMだのマゾだのいじられて仕事どころではなくなってしまうかもしれない。起こりうるであろう最悪の結果に一瞬でたどり着き、すぐに弁解タイムに突入する。
「いやっ誤解だって!時間あと少しだし気合入れなおそう的な!?いっちょ頑張りますか的な!?別に叩かれたいってわけじゃないから!!」
「…じゃあ、叩きたい…方なんすか?」
「いや別にSでもないから!…うん!」
「そうなんすね」
なんでちょっとテンション下がる!?
先ほどまでのドン引きの表情はなくなったが、今度は少しうつむいて悲しそうな顔をしている。
会話の中のどこで悲しくなったのかという疑問は残るがいったんあらぬ誤解は解けただろう。
「あっそうだ、高木センパイ、このゴミ裏持ってっちゃっていいっすか?」
どうやら本題はこれのようだ。いけない、俺も早く締めを終わらせるという目標を早速忘れるところだった。
「うんお願い。ああ、あと帰ってくる時にラストオーダー聞いてきて。お客さん、奥の座敷に座ってる人たちしかいないから。」
「りょっす」
長沼さんは覇気のない声で返事をして店の奥の方へと消えていった。さすが長沼さん、振ろうと思っていた仕事を先に提案してくれるほどに成長してくれた。
長沼さんと初めてシフトが被った日はその見た目に少し驚いてしまったことを覚えている。ついでに仕事はしっかりとするのかというステレオタイプな杞憂もしてしまった。
しかし、実際に一緒に働いてみると、教えたことはすぐに覚えるわ、わからないことはちゃんと聞くわで上達スピードはすさまじいものだった。
今回も長沼さんは締めを早めに終わらせようという雰囲気を感じ取って、本来店が閉まってからするゴミ捨てを今のうちにするという判断をしたのだろう。臨機応変に判断してくれる上に、確認もとってくれるので彼女との仕事はスムーズに進みやすい。
ただ、後輩の成長は嬉しい反面少し悲しい。
「もう教えることないもんな~」
なんてぼやきながら早上がりを目指して僕は雑に手を動かし続けた。
結局、残っていたお客さんはラストオーダーを聴いた後すぐに退店した。
数時間前までは音が飽和していた空間が静寂に包まれる。
早く休みたいがそのためにもあと少し頑張って締めを終わらせなきゃいけない。幸いなことすでにほとんどの作業は終わっている。これも長沼さんのおかげだ。
この調子でいけば最初の予想通り2本早めの電車に乗れるだろう。
「お疲れさまでした~」
ラストオーダーを取り終わった後退勤となった長沼さんが帰るようだ。
「お疲れさま!この時間だったら15分の電車乗れるんじゃない?」
「いや、走ればいけるかもですけど働いた後に全力疾走はさすがに無理っすよ」
「それもそっか、それじゃ」
「はい、頑張ってください」
話もほどほどにして長沼さんを見送った後に僕は作業を再開した。
長沼さんが帰ってから約15分、すべての作業を終わらせ、店長に一言入れてからタイムカードを押すと電車の時間まであと10分、一応全力疾走すれば間に合うぎりぎりの時間だ。いつもなら早々に諦めて次の電車にするが今日は先に目標として決めていた。
急いで着替えた後、走って駅を目指す。
電車に乗り込むとすぐに後ろからドアの閉まる音がした。
なんとか間に合った。完全に上がってしまった息を整えようと静かに深呼吸をする。真冬だというのに汗だくになってしまった。
そういえばさっきの話的にこの電車に長沼さんも乗ってるんじゃないか?
周りを見渡してみたがそれらしき人は見当たらなかった。まあ別車両に乗ってるのだろう。
座席に腰を下ろしてスマホをいじり始める。
明日のシフトは…おお明日も長沼さんいるのか
少しだけ明日が楽しみだ
◇ ◇ ◇
わたし、長沼真尋は今知らない道を歩いている。といっても迷子になってるわけではなくて…
いつもバイトから帰るときに使っている大きな駅ではなく、そのひとつ前の駅に向かっている。居酒屋からは反対方向、いつもよりさらに10分くらい時間のかかる小さな駅。自宅とも反対方向だからお金も時間も無駄にかかってしまう。
なんでこんなデメリットしかないことをしているのかというと、少し遅めの電車に乗るためだ。それもなんでかって言われると……センパイと一緒に帰りたいから…。突発的な行動ではあるが自分でもキモイことしている自覚はある。下手したらストーカー認定されてしまうかもしれない。
まああの人なら「気分転換に」とか「何となく」とか言えば納得するだろう。
だってセンパイはやさしいし、お人よしだし、頭がいいのにバカだし、面倒見がいいし、顔もまあカッコいいし…
バイト始めたばっかの頃にうまく馴染めていなかったわたしに何度も話しかけてきてくれたし、何かを覚えるたびに全部褒めてくれる。それに気づいたときはもう好きになっていた。我ながらチョロすぎる。
ただ、センパイはわたしを一人の後輩としてみている。
じゃあ、わたしからアタックするしかないじゃん
バイト中のセンパイは明らかに仕事モードで付け入るスキがない。それにお店に迷惑かけちゃうかもだし。だから帰るときの電車は数少ないアタックできる時間だ。
これまでもバイト上がりの時間が被った日に何度か一緒に帰ったことがあるが、その時も楽しいひと時を過ごせた。
とはいってもそのために毎回違う駅に行くようなことはしない。今回はふと思いついて試そうと思っただけだ。
わたしを見たときセンパイどんな反応するかな?驚くかな?
センパイの顔を想像しながら駅を目指す。
冬の寒さで指先は悴んでいるが、体の中はポカポカと温かい。
思ったより駅にたどり着くまで時間がかかってしまったが、ギリギリ目的の電車に乗ることができた。次の駅までの数分、電車に揺られて心臓の鼓動が速くなる。
車内アナウンスが終わった後、体が横に少し引っ張られる感覚とともに電車が止まった。
右前方からドアの開く音が聞こえる。センパイがいるか確認したいが、偶然を装うためにまるで何も気にしていないかのようにスマホに顔をおろす。
ドアの閉まる音が聞こえたのでおそるおそる顔をあげる。
だけど先輩はいなかった。
まあそんなもんか…別の車両に乗っているかもしれないし、仕事が増えたせいでこの電車に間に合わなかったのかもしれない。もしかしたら帰り道の途中にある牛丼屋で夜ご飯を済ませているのかもしれない
別に当たり前のことだ落ち込むことじゃない。勝手に期待しておいて勝手に落胆するのはお門違いもいいとこだ
なにやってんだろわたし……
「まもなく〇〇~」
開いたドアから冷たい空気が流れ込んできた
帰りの電車 一条 千里 @ichijo_chisato
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